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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第一章 源頼政
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軽侮


「まだ刻限には早いが、姿が見えぬのは平家の一門衆と犬……おっと、源四位(げんのしい)殿だけですな」

「平家衆は重盛卿の見舞いに行ってから参るとのことだが、源四位殿は見えてもよいはず。まあ、四位殿がいなくとも不都合があるわけでもないが」


 下級の公家がささやきあう。

 そんな彼らの袖をひいて、注意をうながしたのも彼らの仲間の一人であった。


「おのおの、四位殿は、ほれ、あそこに」


 この日の御所には、そうそうたる面々が集まっていた。

 役職を挙げていけば関白や摂政を筆頭に左右大臣、大納言、中納言、左右近衛大将などなど。位階であれば正一位から従五位まで。

 そういう席だから正四位下の頼政の姿もある。

 彼は一座の端で体を小さくして座っていた。

 それを見止めた公卿たちはギョッとして、慌てた様子で口を閉じた。

 しかし、頼政が何の感情も表情に浮かばせることなく座っていたものだから、公家たちは聞こえなかったのだろうと結論して、陰口の続きに興じはじめた。


「まあ、面の皮が厚ければこそ、平家に媚びを売って四位まで進めたのでもあろうしのう」

「よく言ったものよ。犬四位(いぬのしい)とは」


 ささやくというには大きすぎる声であったが、やはり老いた頼政の耳には入らなかったのだろうか。

 その表情に感情は浮かんでいなかった。

 少しうつむき気味に目を閉じている姿は、居眠りをしているようですらある。


 そうこうしているうちに外の方がにわかに騒がしくなってきた。

 かなりの人数が御所に渡ってきているらしかった。

 そこでやっと頼政は表情を動かした。

 といっても、どういう変化をしたのかわからないほど、ごく小さくである。

 しかも、その微妙な変化すら隠すように、すぐに顔をうつむけてしまった。


「やあ、お待たせいたした」


 まず、先頭を歩いてきたのは平教盛(たいらののりもり)、官位は正三位(しょうさんみ)中納言(ちゅうなごん)

 次に出てきたのは平大納言(たいらのだいなごん)時忠(ときただ)。さらに正四位(しょうしい)平忠度(たいらのただのり)正三位(しょうさんみ)平経盛(たいらのつねもり)などに続いて、平の何某という一族、家臣が続々と連なる。その中でも華々しい装いで出てきたのは平宗盛(たいらのむねもり)。彼は従二位(じゅにい)左衛門督(さえもんのかみ)

 位階においては上の者ですら、ことごとく頭を下げて彼らを出迎えねばならなかった。

 もちろん頼政も頭を下げている。

 平家の一党は、その頭を見下ろしながら悠然と与えられた奥の座へ歩いていく。


 そして最後。

 すこし遅れてやってきた、その男こそが平清盛。

 従一位(じゅいちい)太政大臣(だじょうだいじん)にして、事実上の日本の王。


 彼は彼の一族の誰よりも悠々と歩いていく。

 その間、一同は頭を下げたまま、じっと清盛が座るのを待っているしかない。

 しばらくして、やっと与えられた座に着くと彼は言った。


「では、はじめますかな」


 その一言があってはじめて一同は顔を上げることができる。制度の中では清盛より上位にあるはずの者ですら例外ではない。おかしいとは誰もが思っていた。

 しかし、こうする他になかった。

 これが現政権の現状であった。




 三日月の下、連綿と続く京の街並みの屋根の上。

 彼女はたのしそうに体を揺らしながら歩いていく。遠くまで響けと口笛を吹く。その音色は夜の静寂に染み渡り、眠れぬ民の心を揺らす。

 彼女の邪魔をするものは、どこにもいなかった。

 そんな彼女が不意に足を止めたのは、ある公家の屋敷の上を通りかかったとき。

 静まりかえった京の都で、そこだけが楽しげな笑い声を外に漏らしている。

 彼女はニヤリと笑みを浮かべた。




 それは昼に開かれた歌会が終わったあとに設けられた、宴の席であった。

 集まっているのは下級の公家、それも普段から親交の深い者だけが集まった内輪の会合である。そういう席だから、いつしか酒の肴は普段ため込んだ愚痴が大半を占めるようになっていた。


「まったく近頃の平家の専横といったらない」

「さよう、清盛が太政大臣になってから我らは平家に仕えているようなものぞ」

「これで前のように源氏と平家でつぶし合ってくれたら良いのだが」

「仕方のないことよ、源氏に残っているのは、せいぜい犬四位殿ですからな」

「義朝殿のあと、源氏にあのような人物しか残らなかったのが悔やまれる。朝廷のためと考えるのであれば、いまこそ平家に一撃を加えねばならんというのに、あの男ときたら知らぬ顔を決め込んでおる」

「さすが“犬四位殿”よな、人とは面の皮の厚さが違うわ」


 最後の発言に一座はどっと沸いた。

 かなり酒も入っている。彼らの口は軽々と動いた。


「まあ、面の皮が厚ければこそ、平家に媚びを売って四位まで進めたものでもあろうしの」

「まこと犬四位とは、よくぞ言ったもの」


 ふたたび一同が笑い声を上げる。


「そうそう四位殿といえば、あんな御仁が本当に鵺を退治できたのかのう」


 不意に公家の内の一人が、そんな話題を持ち出した。

 一人が笑いながらその話題に乗った。


「できるわけがなかろう、鵺はまだ今日のどこかに潜んでいるにちがい……」


 おりよく館の外で鳥の鳴き声がした。

 みな等しく酔いを醒ました顔になり、ぱっとその方向に顔をやった。


「今の声は、まさか……」

「そんなわけがあるか。梟か何かであろう、そうでなければ風よ」


 一人が強引に結論づける。

 しかし、そんな結論を否定するように、今度は天井の上から甲高い声が響いた。


『キャハハ!』


 童の、それも童女の笑い声であった。

 すでに夜はふけ、子の刻も過ぎようとしているのに、である。


「……今のは?」


 不安げな問いに答える者はない。

 一同顔を見合わせて、不吉な物を見るように天井を見上げるのであった。




 暗がりの中、灯りが一つだけ点いている。

 その灯りを頼りに頼政は一通の手紙を読んでいた。

 書かれてある内容はたいしたことではない。他愛もない世間の噂話とか、近ごろの京での流行の話とか、そんなところである。

 しかし、その他愛もない文章を食い入るようにして読み込んでいるのだった。

 その中に、重大な秘密が隠されているかのように。


「何をやってるの?」


 彼女が部屋にやってきたのは、そんなときであった。入ってくるなり、頼政の肩越しに手紙をのぞき見て言った。


「宛名は……(すけ)? 誰だか知らないけど、たいしたこと書いてないじゃん」


 先ほどまで口笛を吹きながら夜の街を歩いていた、あの少女だ。

 彼女は頼政の肩から離れると、服についたホコリをはらった。


「夜鳥か、よう帰った」

「ただいま、頼政」


 彼女は先日、頼政が射た『鵺』であった。




 時間は、あの夜の次の朝まで遡る。

 場所は頼政邸の一室。


「ん……何だろう、これ?」


 布団を払いのけて起き上がったのは『鵺』であった。

 あの夜、頼政は鵺を自邸に運び入れ、応急的な治療を施していたのだ。

 しかし、鵺はそんなことは知らない。

 彼女の認識では突然、脇腹に何かが刺さって気を失って、その後どういうわけかここにいる、というものしかなかった。

 だから、脇腹の傷口に巻かれた包帯も、寝かされていた布団も、誰が何のためにやったのか見当もつかなかった。


「ここまでしてくれるっていうことは、私を殺すつもりじゃないらしいけど」


 鵺にわかったのは、それだけである。

 とりあえず身の回りの状況だけでも確認しておこうと、服をめくり、脇腹の包帯をすこしずらして傷跡を見た。

 血が滲んでいる。力を入れたり、動いたりすると鋭い痛みが走った。

 動けそうにない。

 耳を澄ませれば部屋の外に結構な数の人の気配がある。


「そうと決まれば仕方ない」


 どうせ逃げられないなら、自分を助けるような物好きの顔を拝んでやろう。

 そう考えを決めて、鵺はもとの布団の上にゴロリと寝転がった。高級なものではなかったが、鵺にとっては十分に柔らかく、快い感触をもたらした。


「目が覚めたか、鵺よ」


 そこに一人の老人が部屋に入ってきた。

 頼政である。彼は鵺が寝ている布団の横に腰を下ろした。

 鵺は頼政を注意深く観察した。

 一見、ただの年寄りに見えるが、さっきの腰を下ろす何気ない動作にも、鵺を見下ろしている姿勢にも隙がない。かなり腕が立つのだろうと察せられた。

 普段であれば逃げられるはずだが、腹立たしいことに今の手負いの状態では自信がなかった。

 鵺は布団を気だるそうにどけると、頼政に向きなおった。


「私に矢を食らわしてくれたのは、お前か?」


 威嚇するように低い声で問う。

 鋭い視線が頼政に向けられた。

 しかし、当の頼政は怖がる様子もなく、いたって平静に答えた。


「いかにも、この頼政である」


 その言葉は意外の思いを抱かせた。

 源四位頼政(げんのしいよりまさ)

 名に聞きおぼえがあった。

 曰く、敵の平家に媚びを売っている源氏一族の裏切り者。また曰く、利を与えてくれるものならば仇敵にすら尻尾を振る男。

 それで位階だけは高位にあるものだから、ついた渾名が〝犬四位〟。

 鵺が聞いていた源頼政は、そんな人間のはずであった。

 しかし、実際に目の前にいる男はどうだろう。

 得体のしれない盗賊を前にして、この落ち着き様、なかなか肝の座った人間ではないか。

 その頼政は鵺に笑いかけると言った。


「のう、鵺よ」

「……なに?」

「お主、孤児であろう。それもなかなか勢威のあった家で育ったものと見えるが、どうだ」

「……」


 鵺は黙り込んだ。

 その通りであった。

 世がなにごともなく収まっていれば、どこぞの尊い家に仕え、何不自由なく育っているくらいには裕福な家の出なのであった。

 頼政が言った。


「また盗人に戻りたくないのであれば、これからはワシの屋敷で女中として働かせてやるが、どうだ?」


 鵺は頼政を見返した。


「……いいの?」

「その気ならばな」


 こうして、頼政は捨て子を拾ってきたということにして、彼女を女中の見習いとして身近に置くことにしたのだ。

 これが頼政にとっても悪いことばかりではなかった。

 この娘はよほど盗人としての天分に恵まれていたらしく、どんな屋敷にも忍び込めるのだ。

 それを頼政が知ってからというもの、女中見習いの他に、こうした諜報活動もさせているのだった。

彼女からしてみればいままでやっていたことの延長でなかば遊び気分であったが、それでも十分に役に立った。

 ちなみに、いまは『鵺』の字を解体した『夜鳥』という名を名乗っている。


「ねえ、頼政?」


 ふと、手紙の差出人の場所に目を止めて、夜鳥が言った。


「この(すけ)って誰なの?」


 頼政はすこし考えたあとで答えた。


「昔の知り合い、といったところか」

「ふーん?」


 頼政の口調に引っかかる物があるのを夜鳥は感じた。

 しかし、この数日で追及してもはぐらかされるのはわかっていたので追求しようと思わなかった。

 頼政の肩から手を放してあくびをした。


「それじゃ頼政、お休み」

「明日の夜も働いてもらわねばならん、ゆっくり休むと良い」

「はーい」


 そう返事をして、夜鳥は自分があてがわれた部屋に帰っていった。




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