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闇夜の京に鵺二匹  作者: 惜本大祐
第二章 平重盛
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陰謀

 六波羅は騒然としていた。

 法皇が天台座主を奪い返されて黙っているわけがない、というのは武者や女中の末にいたるまで、ほとんどの人間が知っていた。

 必ず何かの行動を起こすはずであった。

 予想されるのは、明雲の身柄を引き渡すように命令すること、素直に聞かない場合は平家の武力をつかって脅そうとすることも考えられた。


 彼らはそれを、ひいては福原にいる清盛を恐れた。

 清盛が延暦寺と手を組もうとしているのを彼らは知っている。

 このうえ延暦寺を攻撃することは、清盛の意を無視することだった。

 重盛が山法師を撃退してしまったことですら、すでに清盛の意向に反している。

 それを止めなかった自分達も糾弾されるのではないかと恐れた。


「今回こそは重盛様をお止めするべきではないか」

「すくなくとも清盛様の意向を聞かずに動くわけにはいくまい」


 彼らはそのように相談して、重盛に意見しにきた。


「重盛様、申し上げたいことがございます」

「なんだ」


 重盛はいつもどおりの顔で、彼らの前に座った。

 さぞ対応を悩んでいるだろう、と思っていた彼らには意外だった。

 すこし気圧されるような気さえした。

 しかし、ここで引き下がるわけにもいかなかったので、彼らはさきほどの相談の通りの内容をのべた。

 重盛は自らは口を開かず、彼らの言うことを頷きながら聞いていた。

 重盛が口を開いたのは、彼らが意見を言い尽くしたあとだった。


「お主らの意見、もっともだ」


 まず、そう言って一同の顔を見回した。

 穏やかな顔である。

 それから形をあらため


「しかし」


 と鋭く言って、続けた。


「皇家はこの国の根幹である。その皇家をお守りし、盛り立てることで平家は栄えてきた。その命を蔑ろにするものを見過ごせば、平家もまた忘恩の徒として蔑まれ、やがては孤立してしまうだろう。ましてや、それに反抗するものを野放しにするわけにもいかず、強訴のような我儘を認めることもできん」


 そこでいったん言葉を切って、また一同を見渡した。


「父上のなさっている大事業もまた、この国のため、皇家のためになさっていることだ。延暦寺と手を結ぼうとなさったのも、その大事業の邪魔になる公家を抑えるためであった。延暦寺と手を結ぶのは、言わば枝葉、根幹は忠義にある」

「よって、強訴が起これば再び防ぎ、延暦寺を脅すとなれば喜んで平家の力を使う。父上も、それについてお咎めはなさるまい」


 最後に、もう一度、家来たちを見渡した。


「よいな」


 もう不安を覚えている者はいなかった。

 家来たちは平伏した。

 重盛はうなずいて奥に去っていった。


 それからすこしして、法皇から呼び出しの使者が来たときも重盛は平静だった。


「法皇様がお呼びでございます。 急ぎ参れとのお言葉です」

「そうですか」


 重盛はすぐに法皇のもとへとむかった。




 重盛が法皇の前に座ると、この方はいきなり言った。


「明雲が取り返されたのは知っているな」

「はっ、聞いております」


 きたな、と重盛は思った。

 延暦寺を囲んで明雲を返すように圧力をかけるのだろうと思った。

 しかし、この方の言葉は往々にして予想を上回る。

 法皇が言った。


「延暦寺を焼け」


 重盛の表情が固まった。

 思ってもみなかった言葉だった。

 畳みかけるように言葉が重ねられる。


「日ごろよりの強訴も無礼千万であるが、今回のように我が命令に公然と背いいたことは許しがたい。よき機会でもあろう」


 重盛は平伏したまま考えを巡らせた。

 事は重大であった。

 しかし、答えをすぐに決した。

 重盛が顔を上げると、まっすぐに法皇を見返して言った。


「私にはできかねます」


 法皇の眼が鋭くなった。


「なぜだ」

「延暦寺を私が攻撃したとあれば、仏法を尊ぶ公家方の反感を買い、平家の立場が悪くなるのは明白にございます」


 法皇の目がギラギラと光った。


「お主の都合で我が命に背こうというのか」


 その視線も受け止めて、重盛が答える。


「私ほど、国のために仕えている者はおりません。されば、この重盛の立場が悪くなるのは法皇様の損にございます」


 法皇の眼が、さらに鋭くなる。

 それでも重盛は微動だにせず、一心に法皇を見つめていた。

 しばらくそうやって睨み合っていたが、あるとき、ふっと法皇の眼光が和らいだ。それから肩が震えだして、笑い声も聞こえてきた。

 笑いやむまで、かなり時間があった。


「なるほど道理だ」


 やっと笑いやむと、法皇はそう言った。


「しかし、このまま延暦寺を野放しにしては国のためにならん。それもわかっていような」

「はっ」

「では、どうする?」


 重盛は居住まいを正して言った。


「父上をお呼びください」

「清盛を?」

「世間では、私が父上の命に逆らえぬように申しております。されば父上が比叡山を焼くというなら、私と平家はやむなくそれに従ったということになりましょう」


 法皇が噴き出した。

 それからしばらく声を上げて笑い続けて、笑い声が止んだあと、にやけた顔で言った。


「歌集は要らなかったようだな」


 重盛は真面目な顔で


「恐れ入ります」


 とだけ答えた。

 法皇は、また笑った。

 よく笑う方なのである。




 その翌日には清盛の姿は洛中にあった。

 彼は重盛の使者が言った


「法皇様はどうしても延暦寺を攻めるつもりのようです」


 という言葉を聞くと考え込んだ。

 実をいうと、清盛も迷っていたのである。

 法皇に対抗するために延暦寺と結んだのはいいが、さすがに勝手が過ぎる。

 このまま手を組んでいたら平家の孤立を招くかもしれない、という危惧があった。

 加えて前に重盛が体調を崩したのも、直接の原因は延暦寺――もといそれと結ぶ父――と主との板挟みたことによる心労であった。

 その重盛の立場を楽にしてやりたいという親心もある。

 反対に延暦寺と手を切ることで危ぶまれるのは法皇の力を抑えられなくなることだが、いまのところ法皇は平家の政策に理解を示し、反対するどころか推進している。

 すくなくとも急に法皇が敵に回るようなことは、ありえないように思えた。


「延暦寺を焼く、か」


 それ自体は不可能なことではない。

 彼が命じれば平家の武士たちは、延暦寺はおろか、天竺にでも火を放つに違いない。


「重盛、お前はどう思う」


 重盛と対面すると清盛は質問した。

 重盛は躊躇わずに答えた。


「すぐにでも延暦寺を焼くべきかと存じます」

「そうか……よし」


 清盛の考えは決まった。




「久しぶりだな、清盛」


 清盛が法皇の御所に来ると、この方は人を遠ざけて、一人で清盛を出迎えた。


「はっ、お久しゅうございます」

「福原は順調か?」

「あと五年はかからないと思われます」

「楽しみだな……それで今回のことだが」


 法皇の顔に笑みが浮かぶ。

 清盛は身構えた。すでに答えを決していたが、彼は昔から、この笑顔を見ると身構えずにはいられないのだった。


「俺の力を削ぐのはいいが、そろそろお前も山法師が邪魔になってきたのではないか?」


 清盛は背筋が冷たくなるのを感じた。

しかし、それを顔には出さずに答えた。


「まことに、その通りで」


 法皇の笑みがさらに深くなった。


「比叡山を焼くことに賛同するのだな」

「はっ」


 これをもって、延暦寺への攻撃が決まった。

 その時から京の街には、武装した平家の武者が集まりだした。

 日本仏教の聖人、最澄が開いてから三百年以上の歴史をもつ聖地比叡山は、これで幕を閉じるかに思われた。


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