精霊の鐘の守人
地は耳であり、目である。
すべての音は地が聞いていて、地は全てを知っている。
しかし地は知性が無い。
そのため聞いた内容を全て話してしまう。
地には口がある。
その口は大きな鐘の形をしている。
すべての音は地を通じて鐘から発せられる。
そして今日もまたその鐘から音が発せられる。
その鐘を永久に見守る者もまた、全ての音を聞いている。
☆
リンゴーンと鐘の音が聞こえる。
人間にとって鐘は何かの象徴なのだろう。
異性同士が今後の時間を共にする契約をするときにも鐘を鳴らす。その音はとても心地が良い。
「世界が平和なのは良い事なのです」
この世界に精霊として具現してから数百年。鐘を見て、鐘の音を聞いて、鐘の下で眠りについていた。
「うむ、少し雑草が増えてきましたね。このガナリが取ってあげましょう」
胸を張り、目の前の鐘に話しかける。しかし、その姿は子供が背伸びをして言っているようにしか見えない。
ガナリと名乗るその実体は、見た目は幼く誰が見ても子供である。だが、数百年生きる精霊で、成長という概念は無い。
青く輝く髪と青い目。精霊故に性別は無いが、見た目は少女に近い。
少女の目の前の大きな鐘は、具現した時から近くにあり、一日たりとも離れたことが無い。
「ふむ、草を刈るにはどのような道具が必要ですか?」
鐘に問いかけても、すぐには答えてくれない。そもそもこの発言には意味が無い。
耳を澄まし、鐘の音を聞く。その音は世界中で鳴り響く音で、その中から目的の音をガナリ自身が探し出す。
「あ、草を刈る音が聞こえます」
欠けた星の形の刃物。それを使って作物を切っている音が聞こえる。
「思い出しました。この刃物を小さくした道具を使えば、雑草は切れますね」
そしてガナリは念じ、雑草を刈る道具を生成する。
「鐘の精霊ガナリにかかればこれくらいの具現は簡単なのですよ」
小さい鉱石の生成や道具の作成なら可能。残念ながら、目の前の鐘のような大きな物は生成できない。
これを人間は錬金という単語を用いたりするが、ガナリから見れば力を使っただけに過ぎない。
ザッザッと草を刈る。集まった草で何かを作る。前はつなぎ合わせてアクセサリーを作った。今回は何を作ろうか。
そうガナリが思っていると、聞き覚えのない音。いや、音というより声である。直接声がガナリの耳に響き渡る。
「雑草は根から抜かないと生えてくるぞ?」
「え、だ、誰!」
唐突に聞こえてくる声に杖を構える。
杖には特に力はなく、ただの人間の真似事である。しかし、何か魔力を放つとき、集中できるという利点はある。
「お、おっと。落ち着いてくれ。怪しいものではない」
「……名乗ってほしい」
男が立っていた。
尖った帽子に色鮮やかな服に細い体。腕も細く、町の力自慢と力比べをしたらすぐに折れそうなほどに細い。
「オレは……訳があって名乗れない。そうだな、笛吹き男とでも言ってほしい」
「笛吹き男さん。なぜここにいる?」
精霊の領域は、本来人間が立ち入る事ができない唯一無二の領域。だからこそ、ガナリはこれまで人間とこうして出会ったことが無い。
「嘘は嫌いだから言わない。信じるかどうかは君次第だ」
「早く言うんだ」
「迷った」
まっすぐガナリを見て話す男。そして、その言葉には……。
「嘘はついてないようだね」
「わかるのかい?」
「ああ、音でわかる。うそつきは心臓の鼓動。血管の動き。全てに何かしらの異常が出てくる。君は嘘を言ってない。それだけさ」
「ほほう、耳は良いのか」
「そうさ。ガナリは耳が良い。そしてこの聖域を守る守護者だ。ここから早く帰るといい」
ガナリは警戒を解かない。後ろには大きな鐘。それを守るのがガナリの仕事であり、命である。
「帰り道がわからない。少し休憩させてくれよ」
「休憩したところで、君は帰れないだろう」
「帰れるとも」
「なぜだい?」
ガナリは人間を信じていない。しかしこの男はなぜだろう。人間という感じはしない。でも明らかに心音は聞こえる。
そしてガナリは信じられない単語を耳にする。
世界で一番耳が良いガナリが、二度聞きそうになる単語だった。
「オレは音が見える。だから、帰り道は音が教えてくれる」
ガナリと笛吹き男の出会いは、本来ありえない現象のはずだった。
☆
笛吹き男は居続けた。
人間なので夜は寝て、昼間は起きては話をする。
笛吹き男はどうやら旅人らしい。
「笛を持たない笛吹き男はいつになったら帰れるのかい?」
素朴な疑問をガナリが投げかける。
「演奏者が常に楽器を持ってると思わないでくれ。ちなみに笛は途中で落とした……らしい」
「らしい?」
「その時の記憶だけが無い」
変な話である。色々な旅の話や町の話をして、その話の中には演奏した話が殆どだった。
「笛は、無いと困るのか?」
「困りはするさ。でも生きては行ける」
「変なやつだな」
毎日そんな話をしていたが、ある時気になったことがガナリにはあった。
「音が見えるというのは、どういうことだ?」
「気になるか?」
ガナリは音を聞いて、それを読み取る事ができる。自分と同じ能力であれば目の前の笛吹き男は精霊か、それに近い存在だろう。
少なくとも人間が普通にここへ来ることはできない。
「小さな音から大きな音。優しい音から苦しい音。全てがなんとなく目に見えるのさ」
「目に見える。思い浮かべるとは違うのか?」
ガナリは不思議そうに思った。
聞いた音がどんな音なのかは目を閉じれば想像できる。たとえそれが見たこともない物体や物質でも、音を出せばわかる。
「そうだな。たとえば今そこの大きな鐘から出ている音。これは苦しい音だ。だが、それが何の音なのかはわからない」
ガナリが目を閉じ、鐘の音を聞く。
『助けて!』
『エルル!』
『死ねえええ!』
どこかの国で、また戦争をしている。
悲鳴や憎悪。それらが入り混じった音がガナリの耳に入ってきた。
「戦争の音」
「ほう、ガナリちゃんにはわかるのかい?」
「子供扱いするな。ガナリは精霊だ。人間のお前よりは年上だ」
「精霊が年を気にするのか。それは悪かった。それよりも、この音がなんなのか、わかるのか」
「ガナリは音を聞くことができる。お前の見えるという表現はよくわからない」
「なるほど。じゃあこれはどうだ?」
そう言って、笛吹き男は軽く手を叩く。小さくパンッと叩かれた音に驚きこそしなかったが、ガナリは疑問を抱く。
「ただ音が鳴っただけだ」
「そう。鳴っただけ。でもオレにはこの音がガナリにぶつかるところまで『見えた』んだよ」
音が見えるというのはまだわからない。
「難しい顔をしているな。どこかに水たまりがあれば話が進むんだがな」
「水たまりがあればいいんだな?」
「ん? あるのか?」
「待ってろ」
ガナリが目を閉じ、鐘の音を聞く。世界の音から水の音を探し、そこから水たまりを探す。
大きな水たまりは邪魔だ。できれば小さい水たまり。
ちょうど雨が降り終えた街を聞き取る事ができた。そこから小さな水たまりを見つける。
「これかな」
「……まじかよ」
ガナリの手が光る。
そして、ガナリの正面の地面が少し凹み、そこから水がわき出てくる。水が少したまる程度で止め、やがてガナリの手の光が消える。
「ガナリは魔法使いか?」
「精霊だ。音を聞くことができる精霊。同時に、小さいものならこうして具現できる」
笛吹き男は驚いて、口をパクパクとしている。やはり人間なのだろう。
「いや、すまない。ちょっと驚いてしまった。じゃあオレの説明をするよ」
そう言って、笛吹き男は足元にある小石を拾う。
「これが音だ」
「いや、小石だ」
「例えだよ。精霊は頭が固いのか?」
「最初からそう言えば良いだろう」
ガナリは苛立ちながらも小石を眺める。
「この小石がこの水に落ちるとどうなる」
「沈む」
「他には?」
「水が揺れる」
「そう。輪になって広がるな」
笛吹き男は小石を水たまりに投げる。水たまりは小石を中心に丸い波を立てる。
「これがオレの見えている音だ」
「このように見えるということか」
ガナリは理解した。しかし、まだ不確定の部分がある。
「これでは波しか見えない。それのどこに苦楽がわかる?」
「なんとなくとしか言えないな。こればかりは」
苦笑いをする笛吹き男。なぜ苦笑いするか、人間の感情はこれだからわからない。
「とはいえ、オレもガナリの音が見えるという意味が理解できなかったが、ようやく理解できたよ。まさか水たまりを出すとはな」
「世界の音はここに集約する。たとえ笛吹き男がこの先どこへ行こうが、ガナリの耳からは逃げられない」
「おー、怖い怖い」
わざとらしく笑う笛吹き男。
「じゃあオレの笛がどこにあるか、わからないか?」
「笛……形は?」
「そうだな、細長くて、穴がいくつか空いている」
「……たくさんありすぎてわからない」
楽器は世界中にあり、そこから一つ探すというのは、空に見える星から一つ人間が住む世界を探すくらい難しい。あるかはわからないけれどとガナリは思った。
「そうか。じゃあ新しく笛を作ってくれないか?」
「笛を、作る?」
「ああ。ガナリとオレの世界に一つだけの笛だ」
「笛を作って何をする?」
「世界を旅するんだ。一緒に来るか?」
「ガナリはこの場所を出る事ができない」
ガナリは世界を聞き、そして見る事ができる。その必要は無い。
「じゃあオレの音を聞けば良い。世界中どこを探しても見つからない音の楽器を作れば、オレを見失わないだろ?」
確かに。特徴的な音の出す楽器を作れば、それは笛吹き男の音だとわかる。
「……だが、約束してほしい。その楽器は誰にも渡さないでほしい」
「何故?」
「ガナリの作る物は世界の掟を破っている。無いものを作るというのは、神の掟に反する」
「なるほどね。了解した」
軽い返事に、少し不安もあったが、この男なら大丈夫だろうと。なぜかそう思った。
再度ガナリの手が光る。見たことも無い楽器を想像する。しかし音が鳴らなければ意味が無い。音の精霊を名乗る者として、その構造は何としても間違わないように作る。
「へえ、これは見たことも無い縦笛だ」
「うん、きっと聞いたことのない音が出ると思う」
ガナリは笛吹き男に笛を渡す。笛吹き男はまるで吹き方がわかるかのように演奏する。
「……ガナリは笛吹き男に問います。その楽器はガナリが今まで知る限りの楽器以外の形で作りました。それなのに、なぜ吹き方がわかるのですか?」
「それがオレだ。楽器であれば何でも音を出すことができる。まあ音が見えるから、なんとなくわかるんだよな」
人間のなんとなくという感情がいまだにガナリには理解できない。
「さて、素晴らしい楽器をもらった所だし、そろそろ帰るとしよう」
「楽器があれば帰れるのか?」
ガナリが問う。そもそも楽器が見つかれば帰れるという前提がおかしい。実は帰り方を知っていたということだろうか。
「まあ、そういう事だ。なんなら口笛でも帰れる。音をたどれれば道は見えるからな」
「……その音とやらを見ながら迷わず帰れるということだな。人間とは不思議なものだ」
ガナリの言葉に一瞬返事を失う笛吹き男。初めて心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。
その時のガナリは特に気にしなかったが、後々後悔することになるとは思わなかった。
「じゃあここでお別れだ。次に会うのはいつになることやら」
「本来人間はここに来れない。笛吹き男がここに来たのは迷い込んだ故の事故だろう」
「意図して来ることはできない聖域。世界の耳であり口か」
「そうだ。ガナリはいつも見ているぞ。笛吹き男がたとえ良き行いをしても、罪を犯そうとも、ガナリの耳からは逃げられない」
「覚えておくさ。じゃあな」
そしてガナリは笛を吹く。周りの音を聞き、ガナリから離れていく。
やがて姿が目で見えなくなり、静けさが戻る。
「……不思議な人間だった。精霊でも神でも無いのにこの聖域に入るとはな。さて、奴は無事にこの聖域から抜け出せたのだろうか」
そしてガナリは鐘の音を聞く。
世界には音にあふれている。
幸せな鐘の音。心地の良い海の波の音。
だが、ガナリが何年探しても、笛吹き男の持つ笛の音は、一度も聞きつけることができなかった。
いとです。
短編も3つめということで、楽しく書かせて頂いてます。
今回は「不完全燃焼」を頭に入れての物語です。それと初めて三人称視点での物語でもあります。
楽しんでいただければと思います。
では