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そしてこの地、ファルド帝国に属する『魔女の大森林』にも『貴族』は封じられている。真実の名はもちろん、通り名を口に出すことすら憚られる存在。その名を『シェルーゲンの妖術使い』、『森の魔女』と呼ぶ存在がある。公爵、それが彼女の爵位だ。彼女は千年とも二千年とも知らぬ眉唾物の時間を生きて来たとされる辺境に生きる妖術使いであり、魔法、特に操霊術を得意とする彼女は、永遠を生きる彼女自身の慰めものとして数多の人形を作り出した。中でも、石人形は黒い人工心臓を埋め込まれ、人造の魂を込められた存在である。彼らは森の守り手として森を汚す者を自ら見分け、狩り、森の養分とする。そんな彼らだが、中には本来の任務を忘れて亜人の崇拝の対象となり、亜人に利益をもたらす存在もあると言う。
~ファルド帝国風土記より東部森林地方における記述より抜粋~
◇
森。日差しは明るいのだが、死の静寂が満ちている事に少年と少女は気づく。さすが野生児の勘とでも言うべきか。
苔むした大地は直ぐに針葉樹林に阻まれ、蜥蜴人が通ってきたと思われる狭い獣道が南方へと続き、背丈ほどはあろうかという密生した下ばえの中に飲み込まれている。
「行こう、ミーナ」少年は少女を促し、
「ええ、エリアス」と少女、ミーナは少年──つまりエリアス──に答えた。
原生林を前にして、なめし革の服と毛皮で体を覆った二人はお互いの顔を見る。一路"帝国"を目指す年の頃十二、三の二人の旅は、まだ始まったばかりだと言えよう。
◇
森の中を歩くにつれて、上気する体は汗も滲んで不快なものとなってくる。エリアスとミーナはその薄闇の中へ、深く深く入り込んで行く。雪の白に覆われた森は、時に大きな石や盛り上がった木の根など、二人が転ぶのを待ち構えているかのような錯覚すら起こさせる悪路だ。だが彼ら二人は荷物へ背負い、黙々と歩き続ける。そしてその端々でエリアスがナイフを用い、大樹の幹に傷を付けて行く。
獣道などはとうに無くなっており、二人は道無き道をただ真っ直ぐに歩いたのである。
太陽が随分と西に傾いてきた頃、野営の準備を進めていた二人は、近くに突然上がった男の悲鳴を聞いた。
エリアスが何事かと疑い、腰に佩いた魔剣を抜きミーナに目配せをする。ミーナはエリアスの視線に危険な色を感じたのか、右手に嵌めた毛皮の手袋を外し、その中指に嵌めた、七色に輝く真の銀の指輪を煌かせて頷く。
二人の野生児の勘は、見つめる木々の向こう、林の奥に潜む二つの影で動く何者かの気配を知らせたのだ!
エリアスが指差す。
ミーナが神に祈る。「光よ」と。
彼女の作り出した光は煌々と辺りを照らし出した。
エリアスとミーナ、二人は目撃する。蜥蜴人を模した動く石人形と、それに襲われている男性の森妖精を。
『光』が発動するや否や、森妖精に殴りかかっていた石人形は紫電の速さで後ずさり、森の奥、夕暮れの向こうへと消えてゆく。その動きは生き物に出来る芸当ではなかった。
一方で、その場に取り残された森妖精一面の血の海に沈み、全身に酷い傷を負っている。
そんな森妖精に声を掛けたのはミーナだった。
「お兄さん、助けが必要?」
ミーナは倒れた男へと慎重に近づきながら『帝国北東地方蛮族語』で話しかけてみるが、言葉が通じている様子は無かった。
続けてエリアスも魔剣と丸盾を構えて近づき「助けは要るか?」と、たどたどしい『交易共通語』で会話を試みる。
またダメか、とエリアスが諦めかけたその時、
「助けてください」と、まさに行きも絶え絶えの、こちらも訛りの酷い『交易共通語』が返って来た。
「ミーナ、癒してあげて」
「うん」
「神様、この人の傷を癒してください。お願いします」
ミーナが神に癒しを請う。
途端、ミーナの右拳が光り輝き出す。ミーナが森妖精に輝く手をかざすと、傷は塞がっていくのだった。
「今の人型はなんだ? 人間には見えなかったけれど」
尋ねるエリアスに、深い青、優しげな目をした森妖精は答える。
「今のを見たのかいボク。それなら話は早い。あれは蜥蜴人共が崇める、森の守り手だよ」
「俺とミーナは誇り高きノルドの戦士だ。子ども扱いしないでくれないか」
「ああ、これは申し訳ない。無礼を働いたね。ええと……」
イングラスの視線が宙を泳ぐ。
「俺の名はエリアス。偉大なるノルド、リクハルドの息子、神の寵愛篤き戦士エリアスだ」
エリアスは鼻息荒く言い切った。
「謝罪します、戦士エリアス。私は人間の年齢と言うものを外見から判断できるほど年を重ねていないのです。確かに私の落ち度でした」と、森妖精は肩を竦めて、
「どうか許して下さい。私は見ての通りの森妖精、『最上の角』のイングラスと言う者です」と名乗ってみせる。
「森の守り手?」
ミーナが口を挟む。
「ここ『魔女の大森林』には守護者たる石人形が無数にいるのです」
「「『魔女の大森林』に住む『森の魔女』!?」」
エリアスとミーナはお互いを見据えて、どちらからとも言わず助けを求めるように震え上がる。
恐怖の証拠に二人の顔は一瞬で蒼白になった。きっと今、毛皮に覆われている肌は青白くなっていることだろう。遠き迷信だった恐るべき地に今、自分たちは踏み込んでいるのだ。
「そうですとも。『シェルーゲンの妖術使い』として名高い女辺境公です。彼女は己の長い生に倦んだらしい。今でも人形を作っては偽りの魂を練り、人造の命を吹き込み続けています。寿命で死ぬ事のないお友達が欲しいという噂です。あくまでも噂ですけど」
疑問は残る。森の守り手と言うくらいだ、森を愛する森妖精が森を害するような事をするだろうか。
「でも、どうしてあなたが襲われたんだ?」と、エリアスはイングラスに尋ねる。
「それはアレだ、私にも良くわからないのです」イングラスは右手の人差し指をおでこに当てつつ、
「ただその『森の魔女』の噂を聞いたことはありますか? エリアス、それにミーナ嬢でしたか」と、二人を交互に見る。
「私は詳しいことは何も知らない。ただ、とても怖い存在だと。幼い時に母が『悪い子は森の魔女に連れて行ってもらうよ!』と言っていたのは覚えてる」
「ミーナも同じか。俺もだよ」
「そうなのですか。かの魔女の悪名が、遥かノルドの地にまで届いていたとは驚きです」
イングラスは大仰に首を左右に振った。
「で、イングラスさん。『森の魔女』の話はわかったから、俺の質問に答えて欲しいな。その魔女の作った石人形がどうしてあんたを襲うんだ?」
そんな森妖精にエリアスは問う。
「たまたまです。私が近くで弓を引くいたときの話になります」イングラスは遠い目で、
「偶然、本当に偶然に獲物を射た場所近くに森の守り手がいたのです。この私ともあろうものが、まさか気付かないとは。情けない事です」などと自嘲してみせる。
「それは大変だったな」
と、ミーナがエリアスの傍へ寄り、
「(この人に森の道案内をして貰いましょうよ)」と耳打ちする。
エリアスはミーナの助言を確かに良い案だと思った。
「イングラスさん、傷の手あてのお礼を要求している訳じゃないけれど、俺達の頼みを聞いてもらえないかな?」
そう口にするエリアスの声は、若干柔らかいものとなっていた。