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こどくの亡霊  作者: 由遥
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助けてください

 夜七時過ぎの帰り道、幻聴を聞いた。


 晩秋の日は落ちるのが早く、辺りは暗い。昨日は上着なしでも平気だったけれども、今日はやたらと冷える。早すぎる冬がきたみたい。少し寒くて両手の指先をカーディガンの中に引っ込める。駅近くの図書館で時間をつぶしていたらこんな時間になってしまった。明日からは少し早く帰るようにしよう。家にいる時間が長くなるのは憂鬱だが、これからは寒くなる一方だ。今歩いている商店街はここ数年で半分近くが店を閉め、残った半分も大方今日の営業を終えて店先に明かりの見える店はほとんどない。寒さがいや増すようないつもの光景。手袋とマフラーが欲しくなる。押し入れ、タンス、どこにしまっていただろうと考えながら商店街を歩き、途中で道を折れて住宅街に入る。家までの一本道、自分の靴のつま先を見ながら歩く。お腹が空いた。冷蔵庫の中に何が残っていたっけ。寒い、お風呂に入りたい。助けてください。葉野菜と肉があったから、夕飯は鍋にしよう。水炊きにしてポン酢で食べればいい。お願いです、だれか。帰ったら鍋の準備をして、煮えるまでストーブの前で温まろう。どうか助けて。……誰の声?

 助けて、助けてと声がする。空耳とも思えなくて、顔を上げて周りを見回す。

 「……え?」

 人気のない住宅街の夜道は、距離感もわからない真っ暗な空間に変わっていた。周りも真っ黒、空もアスファルトの道路もない。けれど自分の体ははっきり見える。助けを求める声は断続的に、心なしかさっきよりはっきり聞こえる。他の人に頼んだ方がいいと思う。おそるおそる足を前に出してみる。靴底に地面と同じ感触。どこかに落ちたりはしなさそうだ。何度か左右前後に顔を向けて、一番声がよく聞こえる方へ歩き出す。ここにいても、きっと何にもならない。



 暗闇の中を歩いて、どれくらい経ったのか。体感では長くて十分くらい。前方が薄明るくなってきた。相変わらず聞こえる助けてという声に何度か返事をしても反応はない。こちらからの声は聞こえないらしい。そのうち、前方の景色が見えてきた。屋内のようだ。洋風で、なんだか古めかしい。足を止めて深呼吸。カバンを肩にかけなおしてまた歩き出す。暗闇から明るい場所へ踏み出す瞬間、階段のような段差があった。一段低い場所へ。足元を見る、木の床。前を見る。一メートル足らずの間をおいて、目線より大分低い位置にくすんだ緑の塊。もさもさのそれが動き、人の顔が現れた。緑色のもさもさは髪だったようだ。奇抜な色に染めているなあなどと思った。

 「…………」

 互いの目が合い、半分閉じていた緑頭の目がまん丸に開かれた。一歩か二歩の距離を両手足を使い、四つん這いでにじり寄ってくる。普通の光景ではないと思ったが、危なさそうではなかったのでこちらも腰を屈めてしゃがみ歩きで近づいた。

 「……、……」

 緑頭の口がわずかに動く。何か言おうとしているようだ。手が伸ばされる。この手は取るべきなのか。取ってもいいのか。この部屋にいるのが自分と緑頭だけなら、今この手を取れるのは自分だけだ。迷った末、真っ直ぐ伸ばされた手を下から支えるように取った。緑頭はまだ若そうなのに、老木のようなかさついた手だった。

 「お願いします、助けてください……どうか僕に、力を貸してください……!」

 帰り道で、真っ暗な空間で、何度も聞いた声だった。やっぱり、こちらの声は届いていなかったらしい。

 「おねが……」

 再度の懇願はすぐ途切れた。緑頭が倒れたから。とっさに頭を受け止める。その場にぺたりと座り込んだ。呼びかけても返事がない。所々縺れた髪を退かして顔を覗くと瞼は閉じて口からはか細い息が漏れていた。頭に浮かんだ気絶の二文字。

 見ず知らずの人間の頭を膝に抱えて途方に暮れる。助けてと言っていたが、何からだ?どうして自分なのか、そもそもそれはーー

 「失礼」

 「うわあ」

 背後からかけられた声に心臓が跳ねた。顔を後ろに向けると、いくらか年上に見える青年がいる。全部がつまらなそうな、どうでもよさそうな表情の薄い顔だ。人のことを言える立場じゃないが。青年はすぐ横に膝をつくと、ひょいと緑頭を持ち上げて肩に担ぐ。緑頭は全くの無抵抗無反応で、意識がないのは明らかだった。

 「その人」

 大丈夫ですか、とつい口を挟みかける。何ができるわけでもないのに。青年がこちらに目をやり、緑頭を担いだまま頭を下げた。

 「突然のご無礼申し訳ありません。混乱しておいでとは思いますが、どうか今しばらくお時間を頂けませんか。主の意識が戻ったら、あなた様への説明も叶うでしょう」

 「あるじ」

 「これです」

 聞きなれない単語を繰り返したら、これ、と緑頭を揺する。大袈裟なくらい緑頭の手足が揺れた。全く力が入っていないからあんなに揺れるんだ。

 「どうぞこちらへ。まともな寝床もご用意できませんが、少しでもお休みください」

 青年は体の向きを変えて歩き出す。部屋の奥には扉があった。床に置いていたカバンを拾って後に続く。ちらりと後ろを振り返った。家具も窓もない殺風景な部屋。焦げ茶色の床に、さらに濃い色で描かれた大きな円が目についた。円の中には所狭しと模様が描かれている。漫画やゲームに出てくる魔法陣みたいだ。



 緑頭は隣室のベッドに寝かされた。青年いわく「栄養失調と睡眠不足です」らしい。よくよく顔を見ると、肌の色は悪いし唇はかさつき頬は不健康に痩けている。五日寝ていなくて三日食べていないという青年の言葉にも納得だ。よほど深く眠っているのか、黄緑色の液体を口に流し込まれても反応がない。

 青年は手際よく一通りのことをこなすと、何かあれば呼んでくれと言って部屋を出ていった。小さな灯りが揺らめく薄暗い部屋で、少し硬い座り心地のソファに横になる。渡された毛布にくるまって考えた。ここはどこだろう。この部屋には窓があったので外を覗いてみた。外は暗くて、たくさんの木々が見えた。今は夜らしい。あの緑頭は、青年は誰だろう。そもそもあの真っ暗な空間は。答えは出ない。馬鹿の考え休むに似たり。いっそ眠ってしまいたいが、妙に目が冴えて寝付けない。毛布を被ったままソファから起き上がり、ローファーを履いて机近くに置かれていた椅子を持って部屋を歩く。ベッド近くに座り、眠り込む緑頭を眺めた。部屋は暗くて顔色は分からないが、意識がないのに皺が寄るほど苦しげだった顔つきが穏やかになったのはいいことだろう。

 「……あなたは助けて欲しいと言っていましたが……あれは私に言ったんでしょうか」

 独り言だ。誰かに聞いてほしいわけではない。それでも、口にせずにはいられない無意味な言葉だ。

 「人違いでないなら、他を当たった方がいいですよ……なんの用事が知りませんが私じゃあ力になれません」

 私は何もできませんから。


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