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作者: 路傍工芸

この世界とは違う、だけど、どこか近い世界での物語

 この世界ではない、だけど、どこか近くて似ている世界での物語


 「噛島かみしま議長」

 噛島は憔悴しきった顔を副官に向けた。

 「議長、農務大臣がおいでです。」

 「わかった・・・しかし頭が痛いな。」


 如月最高国防評議会議長を務める噛島統合総参謀長は、南西領海に侵入する国籍不明艦の対処に追われていた。

 国籍不明とはあるが、明らかに敵意ある隣国の軍艦であり、対処を誤ると現在の情勢では紛争につながるおそれがあり、それには少ないとはいえ全面戦争の可能性も含まれている。

 全面戦争になっても負けはしないが、損失も大きい。

 噛島としては絶対にこれを回避させなければならない。

 

 しかし・・・


 「噛島君、戦争はいつ開始するんだね!」

 農務大臣が騒々しく会議室に入ってきた。

 この大臣は如月の過疎地から選出された田舎議員で、戦争は経済のカンフル剤くらいにしか思っていない男だ。


 事実彼の票田は数十年前の大戦争で一時的に経済が活発化し、経済の教科書にいまだに載っている。

 載ってはいるのだが、あくまで経済面だけの話で、彼の票田地域では当時若者が大多数戦死した結果として、それを主因に現在人口過疎地の道を歩んでいるのだ。

 それは教科書には載っていない。


 「選方よりかた大臣、戦争は回避しなければなりません。」 

 「君、国民はここらで一発やつらにキツいお仕置きを望んでいるんだよ。」

 「それはわかります。マスコミも煽っています、が、それに我々が乗っては・・・」

 

 選方は得意の球技の構えをし、空のフルスイングをしてからキッと噛島をにらむ。


 「あいつらの鼻をいっぱつへし折れば、来年の国際農産会議で如月は輸出枠を大幅に増やすことが可能

  なんだよ噛島君。

  農産物だけじゃない、やつらはここ10年で如月の各種産業を侵食し始めている。

  ここいらでだね・・・」


 「それについては総理にもすでにご説明しております。

  戦争を始めるわけにはいきませんが、もし始まった場合、大臣にお願いしたいのは農産従業者の予備

  役兵招集割合を増やしてほしいことなのですが・・・」

 「ダメだ、ダメだ。如月農業が高齢化の一途をたどっているのは噛島君もご存じのとおり。

  若者が兵隊で出て行ったら誰が如月国民の食べ物を作るのかね。

  戦争協力はするが、予備役割り当て増だけはダメだ。」


 「ならば大臣、重機の割り当て増はいかがでしょうか。」

 「ダメだダメだ、といいたいところだが、重機なら応じよう噛島議長。

  工兵に使わせるアレだろう?」

 「陸軍ではなく、海軍の設営隊に回したいと思います。」

 「何軍でもいい。種類と数は次官から聞いている。好きに使ってくれ。

  ただ、壊さんよう頼むよ。」

 「そこはなるべく。」


 選方大臣は再度フルスイングを決め、じゃあ、と騒々しく帰って行った。

 その際選方はドアで愛嬌のあるウィンクを噛島にきめた。

 敬礼で返す噛島は「なるほど政治家ってのはこういう憎めない所作を心得ているのだな。」と得心する。 


 会議室に静寂が訪れた。

「議長閣下・・・」

 副官が噛島に冷たい黒豆茶を出す。

 一気に飲み干すと、のどから絞り出すように噛島はつぶやいた。

「最初から重機しか期待してなかったさ。」


 噛島はこの一週間、捕らぬ狸の皮算用である戦争景気に浮かれる大臣や、ヒステリックに戦争反対を叫

ぶ大臣達の相手で疲れ切っていた。


「明日の海軍と空軍の総参謀長との会談ですが、昼食後13時の予定が1340に変更となりました。」

「影響は。」

「陸軍の北部軍師団長会議に間に合いませんので、移動は空軍機となります。」

「飛行機は苦手なんだが、な。まあ仕方ないか。」


 会議室の議長席は袖付き高級椅子である。

 深々と体を椅子に沈ませ、しばし噛島は瞑目した。


 -海軍には新規空母を約束した。

  空軍には新型対空ミサイルシステムの調達を約束した。

  陸軍にはコンパクトな機動旅団創設を約束した。

  だが、誰も俺には約束してくれない-


 -総理と財務大臣、それに関連省庁のお偉い連中を口説き落とすのにどれだけ俺が苦労したか

  誰もわかっちゃいない・・・が、それはいうまい-


 -戦争だ戦争だと煽る馬鹿ども、反戦だ反戦だと足を引っ張る阿呆ども

  俺はもう疲れた・・・しかし、この一件が終わるまでは休めるわけもない-


 -ホットラインで彼の国のホワン元帥に電話もしたが、元帥も軍を抑えきれていないようだ。

  ホワンも俺と同じ苦労をしているんだろう、きっと-


 「議長閣下、お時間です。」

 副官の声で噛島はハッと我に返る。

 「すまんな。次はこちらからでむくぞ。」

 「車は庁舎前に回しております。」

 「たまにはこちらが攻勢を仕掛けるとするか。」

 「閣下、たまには我々の溜飲をさげてください。」

 副官はたまにジョークらしきセリフを言う。真顔なので判然としないのだが。

 

 「戦時経済会議だ。戦とつけば私の独壇場だ、任せておけ。」

 噛島は選方大臣をまねてウィンクをしたが、瞼は連動して両目をつぶった。


 -3時間後-


 「くそっ!くそっ!」

 噛島は帰りの車の中で悪態をついていた。


 -まさか労働産業大臣があんな提案をしてくるとは!

  完全に裏をかかれた。

  参謀本部に動員計画の見直しをさせなければならん。-


 -軍を輸送するフェリーは労働産業大臣が握っている。

  提案を無下にするわけにもいかん・・・

  海軍の馬鹿どもが戦闘艦ばかり作らず輸送艦も作ってりゃこんな苦労はなかったのに

  くそッ!くそッ!-


 -明日の師団長会議にも影響が出てくる。

  これじゃあ南西に運用予定の北部軍を説得できん。

  ああ、頭が痛い。-


 「副官、ドライバーいいか?」

 「閣下、どうぞお気になさらずに。」

 ドライバーも黙ってうなづいた。


 噛島はポケットから葉巻を出し、吸い出した。

 たちまち車内に煙が充満する。


 しばし無言が続く。


 「閣下、今晩の予定ですが、保留であった料亭はいかがされますか。」

 煙を吐き出して噛島は答えた。

 「・・・すまんがキャンセルしてくれ。

  少し用事があってな。」

 「かしこまりました。」 

 副官はドライバーに噛島宅に向かうよう指示をした。

 今日は直帰である。


 町のネオンがまたたき、空の星を霞ませる。

 夏が近い。蒸し暑い風が夜の辻を吹き抜ける。


 車は住宅街を抜け、閑静な官庁街の一角にある噛島の官舎前に止まる。

 噛島宅を護衛する保安分隊の兵長が駆け寄り、車に敬礼をする。


 「議長閣下ご帰宅!ササゲーェ・・・ツゥーツ!」

 分隊長の号令で正門前の衛兵が銃の敬礼をする。

 

 副官が分隊長に尋ねる。

 「ご苦労、異状はなかったか。」

 「ご不在間、特筆すべき異状なし。怪文書3通がありましたが、これは憲兵隊に回しました。」

 「そうか。」

 分隊長が副官に耳打ちをする。

 「ただし・・・奥様が少々ご機嫌斜めのご様子でありました。」

 「そうか。まあそれは議長閣下の案件・・・黙っておこう。」


 「諸君、今日もご苦労だった。」

 「閣下もお疲れさまであります。」

 分隊長以下が応じる。

 「本日のお勤めありがとうございました!」

 「明日も頑張ろう、頑張ってくれ。」

 

 噛島はまた不器用なウィンクを(結局両目をつぶるのだが)して部下たちに別れを告げた。

 

 玄関をくぐる噛島に副官が叫んだ。

 「閣下!なにとぞ、なにとぞ戦争を避けて、避けてください!

  我々は閣下を信じております!」


 分隊長の怒号が飛んだ。

 「敢闘!」

 副官とドライバーも応じ、指先まで気勢が行きわたった敬礼がなされる。


 噛島は嬉しさをかみころしたにやけ顔を見られたくなかったのだ。

 背中を向けたまま、右手を鷹揚に振って応じ、自宅の玄関に消えていった。



 

 「ただいまー」

 「アンタぁ!」

 玄関の噛島に一喝が飛んだ。

 のけぞる噛島に妻の怒号がたたみかける。


 「また遅かったんじゃないの。今日は鷹ちゃんの誕生日だって言ってたでしょ!」

 妻の怒気をはらんだ声が玄関を支配する。


 なお、長男の鷹はすでに寝ているようだった。


 「お父さんったら、鷹のやつ泣きながら布団に潜り込んで寝ちゃったのよ。」

 廊下から非難の声が飛ぶ。長女の亜弥だ。

 今年で19歳になる大学生だが、学問をしている風はちっともない。

 ただ口だけは達者である・・・


 玄関の妻に廊下の娘

 噛島がいつも撃破される陣形が整った。


-ここは正面突破だ・・・-


 「遅かったのはすまない。誕生日なのも忘れていない。

  ただ、お前たちも今は如月が大変な時期だというのはわかっているだろう。」 

 

 「チャンチャンの軍艦が戦争を仕掛けてきてるんでしょ、知ってるわよそのくらい。」

 「亜弥、そんな差別用語を使ってはならん!あと一応国籍不明だ!」

 「どうしてよー」

 「まず第一に教養を疑われる。それに総参謀長の娘がそんな言葉を使っているなどとマスコミにばれた

  ら私の立場も面倒なことになる。」

 「お父さんは保身第一なんだー」

 「ばかもん!「教養を疑われる」を第一にあげただろう。」

 「アンタ、屁理屈はいいから。」

 「お父さんは自分のことばっかりネ。」


-ぐぬぬ・・・優先順位を示す方法は妻と娘には絶対通じない-

 噛島は毎度このパターンで抑え込まれてしまう。


 「ともかく、チャンチャンだなどと下品な言葉は使わないことだ。」

 「あーカタいカタい。」

 亜弥は不満げに応えた。

 

 大学に入ってから亜弥は髪の毛を紫と黄色のまだらに染めてしまった。

 全軍将兵の風紀を厳にし、それまでの悪弊であった頭髪の不均整をただしたのは噛島なのだが、家庭にその威令は及んでいない。


 噛島は玄関の戦いで手痛い敗北を喫し、敗残の様相で居間に向かった。

 

 「とにかくアンタね、いくら仕事が忙しいからって、やりようがあるでしょ。」


 ちゃぶ台のご飯をかきこもうとする噛島にこれまた手痛い追撃がやってきた。


-やりようがあったら教えてほしいものだ・・・-


 「そうよお父さん、連合護衛艦隊・・・だっけ?あれで国籍不明の軍艦やっつけて国籍不明の国に攻めてってやっつけたらいいじゃないの。」

 「アンタ、そうよ、そうすれば早くうちに帰ってこれるんじゃない?」

 「馬鹿もん!戦争などあってはならんのだ!(そもそもそれはそれで帰宅などおぼつかなくなる。)」

 「お父さん、左翼みたいなこというのね。総参謀長なのに。」


 「あんなのと一緒にするな。

  とにかく軽々しく政治に口を挟むんじゃない。」


 ・・・と、口に出して噛島は敗北を悟った。


 「お父さん、それ女性に対する差別なんじゃないの?」

 「アンタ、女子供は政治に口出しちゃいけないの!?」

 

-こうなったらなんでもいいから話の方向を変えるしかない-


 「ところで鷹は何がほしいって言ってたっけか。」

 「あー話そらした、お父さん。」

 「アンタがなあんにも用意してなかったからアタシが新しい自転車買っておいたわよ。」

 「自転車?」

 「アンタは気づいてなかったでしょうけど、鷹ちゃんが乗ってた自転車はサイズが合わなくなってた

  のよ。ちゃんと「お父さんから」ってプレゼントしておいたんだから。」


 「・・・すまん、母さん。」


 愚痴や罵詈讒謗を飛ばすばかりではない、妻の気遣いに噛島は感謝した。


 「あらあ、すまないことないわよ、お父さんの来月の小遣いから引いてるんだから。」

 

 そして噛島の財布に痛撃が走る。


 会談で使う料亭の費用が国税から出るという話を今年度初頭にマスコミからさんざん叩かれた結果、各省庁とも自腹で料亭会談費用をはらうようになっている。

 年度末の控除でトントンになる仕組みなのだが、多くの家庭では控除された額が給料主の懐に入ることはない。

 噛島の懐も当然そうである。

 そして国籍不明艦の母国とおもわれる国が怪しい動きを始めた2か月前からその「会談」は回数を増している。

 もはや噛島の懐は風前の灯火である。


 「その・・・母さんや。」

 「なあに、アンタ。」

 「お父さんは仮にも如月国全軍のトップの地位にありましてな。」

 「知ってるわよ。」

 「ええと、それでですね、会談の重要性は常々その、お知らせしている次第であります。」


 噛島が妻に申し開きをしている最中、亜弥がチラチラと噛島を見る。


-あれは「助けてやってもいいわよ。」の信号・・・だがしかし・・・いや、うううう-


 「お母さん、大学の政治サークルで如月の縦割り行政の弊害ってのを習ったんだけどサ。」

 「それがどうしたの。」

 「現在の如月の行政の仕組みだと、それを補完するのがどうしても「会談」になるんだって。」

 「あら、そうなの。アタシはよくわかんないけど、大学で習ってるんだから間違いないわね。」


 噛島は自分が助かりそうな風向きを感じて亜弥に感謝していたが、統合参謀学校統合戦略課程主席の自分がいくら説明しても理解しなかった妻が、大学の青二才のひとことでなんなく納得するさまをみて無常を感じていた。


 士官学校、陸軍大学校、統合参謀学校いずれも並々ならぬ努力で主席卒業を果たした男の説明もこの世界では通用しない。  

 

 「お母さん、ところで私、夏休みにサークルのみんなとスキー合宿行くことになってるんだけど。」

 噛島が突っ込んだ。

 「亜弥、夏休みにスキーってどこにいくんだ!?」

 「お父さん、哈爾街山よ。海外遠征なんだ。」

 

-国籍不明艦の母国とおぼしき国のリゾート地・・・ああ、まどろっこしいが、とにかくとんでもない!-


 「ダメだ!ダメだ!今の時期にそんな。」

 「アンタがしっかりやんないから娘が外国にもいけないんじゃないの、お父さん。」

 「ワシだけの努力でなんとかなるもんじゃない!」

 「夏休みまであと1か月なんだから、ねえねえ、お父さん~それまでに国籍不明艦なんて追い払って仲良くできるようしてよー」

 「そうよ、アンタ、軍隊のトップなんでしょ。そのくらいチョイチョイってなんとかならないの。」

 

 噛島はご飯を食べ終え、静かにごちそうさまを発した。

 そして「どうにもならん・・・」とひとりごちる。


 「じゃあお父さん、あの島やっちゃえばいいじゃない。」

 「そうねえ、如月には2万くらいの島があるんでしょ。一か所くらい別にいいんじゃないの?」


 頭をぶんぶんとふって噛島はすっくと立ちあがる。

 「わかった、1か月だな。なんとかしよう。なんせお父さんは如月軍のトップだからな。」

 噛島は不器用な両目ウィンクを妻と娘にキメた。

 

 そして夜は更け、噛島家にもようやく休息のひとときが訪れた。

 

 やがて朝焼けとともに次の日がやってきた。


 支度をして家を出ると副官がすでに待機している。


「おはようございます、閣下!」

「おはよう。」

「今日も困難な会議や調整が山盛りであります。」

「なに、昨晩の会議に比べたらたいしたことはないよ。たいしたことはな。」

「閣下、頼もしい限りであります。」

「ああ、1か月で片を付けるぞ。」


 黒塗りの官用車は官舎を出発し、黎明の街に消えていった。

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