(3)
それからしばらく曇りや雪の日が続いた。大好きなあの空は広がることはなく、そしてあの子にも会うことはなかった。
「雪も風情はあるけれど、そろそろ晴れてくれるとありがたいんだが」
確証はないけれど、あの冬空の下だったらまた会えるような気がした。それを早く確かめたかった。
しかし、あの冬空はなかなか現れれはくれなかった。
その日は雑用がたまっていたので、部屋を利用禁止にして仕事を片づけていた。
「誰か一人くらい呼んで手伝わせるかな」
もうすぐ春になる。出入りしていた一部の学生は卒論と就職活動でしばらく顔も見ていない。
外を見ると久しぶりに青空が広がっていた。せっかくの冬の青空だが、仕事が終わらなきゃ散歩にもいけない。
「えっと、この時間暇なやつはっと」
出入りしている学生らのとっている講義一覧を書いたノートをめくる。誰がつけだしたのかわからない。空き時間がいつあるかを見るために付け出したのだろう、アルバイトの時間まで書いている者もいる。用があるときには便利なものだ。
「ちっ流は空いてなかったか」
真っ先に流の予定を見たが、ちょうど講義の時間だった。一番使いやすい流がいないとなると、次に誰をあてにするか迷う。上を向いて考える。何かを思い出そうとするとなぜ上を向くんだろうか。記憶は脳にあると無意識に思っているんだろうか。それとも天が知っていると思っているんだろうか。
今、知っているのはこのノートだ。
「暇そうなやつはっと」
ノートに目を戻した直後に、ノックの音がした。控えめなノックだ。教授陣や香住ではない。流でもない。流であれば、入る前からわかる。ぱたぱたと足音がするのだ。
いつものように音のするほうを見ずに声をかける。
「どうぞ」
学生の誰かだろうが、手伝えるような奴だったらこれからの手間が省けるなあ。入ってくるのを待っていたが扉が開く様子はない。ノックが聞こえたのは気のせいだったかな。
もう一度聞こえた。どうやら来訪者ははずかしがりやらしい。ドアをあける。
「ん?誰もいない」
やはりノックは空耳か。部屋に戻り、どうやら空耳ではないらしいことに気付く。
音は窓の方からだった。
「やあ、気付かずにすまないね」
来訪者ははずかしがりやではなく、自分では入ることができなかったのだ。口に何かをくわえているのでしゃべることもできなかったようだ。窓を開けると、冷たい風とともに入ってきた。
「オソーイ」
くわえていたものを机の上に置いてさっそく文句を言う。
「すまんな。窓ガラスなら音の違いに気付いたんだが。枠ではな」
あの少年と一緒にいたライという名の鳥だ。
「ライ、どうしてここがわかったんだ?」
「ライジャナイ」
「らい様だってんなら、窓から放り出すぞ?」
「ライジャナイ、メイナノ」
メイ?違う鳥なのか。しかし、そっくりだが。
「メイ、オツカイナノ。テガミナノ」
「手紙?」
「オツカイオワッタノ。カエルワ」
そう言ってまだ開いていた窓から外へ飛んでいった。
ライを初めて見たときと同じように、空に溶け込んでいる黒い鳥。
「なんだかなあ」
あの空と黒い鳥のように、日常に非日常を溶け込ませたような気分がする。違和感を感じる間もなく溶け込むから、どのあたりが日常だったのかわからない。
「さて、何の手紙だろうね」
丁寧に封をされている。いつものように封筒を破ろうとして、何故か無粋だと感じてはさみを持ってくる。オープナーはいらないと生徒に売りつけた。
はさみで端を切り取り、中身を出す。二つ折りの手紙には、パーティーを開催する旨と開催日・開催場所が書いてあった。
「招待状か。何のパーティーだ。書いとけよ」
そこまで見て、招待主の名を見る。見覚えのある苗字だった。
「あいつの身内か?いや、だったら事前に電話でもしてきそうだが」
とりあえず、服装規定を書いて欲しかったなあ・・・。
そして、パーティー当日。結局無難なスーツ姿で会場へ向かった。
「いらっしゃい。結理ちゃん」
出迎えは見知った顔だった。
「こんばんは。冬海先輩」
「あいかわらず男前だね、結理ちゃん」
真崎冬海先輩。後輩の真崎夏樹のお姉さんだ。大学のOGでもある。冬海先輩は男前だと私のことを言うくせにちゃん付けで呼ぶ
「先輩は以前あったときよりすごく綺麗になった」
「結理ちゃんに言われると、くどかれてるみたいで照れるね」
「先輩・・・」
あ、そういやこの招待主を確かめなきゃな。かばんの中から招待状を取り出す。
「先輩、この招待主って誰ですか?」
「ん?あれ、私の名前じゃなかった?全部私の名前で作ってるはずなんだけど。家に届いたでしょう?」
家に届いていたのか知らない。ここ最近面倒で郵便受けを開けてないのだ。
「すみません、最近郵便受けあけなかったんで。これは鳥が運んできたんです。メイと名乗ってましたけど」
「んー、それ見せてくれる?」
先輩に招待状を渡す。中の文面を見て、ふき出した。そのまま笑い出す。
「先輩?」
「ああ、ごめん。あれがこんな手の込んだことするのが面白くてね」
笑いの発作はまだ収まらないようで、言い終わるとまた笑い出す。そうしてひとしきり笑って満足したのかやっと普通の声音で答えてくれた。
「秋久は私のイトコなの。今日も来てるよ」
「で、どこに?」
会場を見渡すが、あの子はいないようだ。秋久とやらとあの子は同一人物ではないんだろうか。
「あそこにいる。紹介しようか」
そう言って、私の腕をとって歩き出す。はたからみたら、どうやら恋人同士みたいに見えるようだ。そして私たちに秋久さんも気付く。どうやらあの子ではなさそうだ。
「あれ、冬ちゃん。もしかして浮気なの?」
さらっとかなり失礼なことを言う。むっとしたが冬海先輩の手前何も言わずにいた。あれ、浮気って先輩付き合ってる人がいるんだ。何か意外だ。
「何いってんの、秋。結理ちゃんに失礼でしょう」
「結理ちゃん?女の子なんだ?ごめんね」
ちっとも謝ってない。声色がかなり面白がっている。しかし、名前を聞いても招待状の件に触れてこない。まだピンと来ていないのか。とりあえずフルネームで名乗っておこう。
「どうも。満井結理といいます」
「真崎秋久と言います。よろしくね」
まだ何も言ってこない。やっぱりこの人が出したんじゃないのか?あの子のいたずらかなあ。
「あれ、秋が結理ちゃんに招待状送ったんじゃないの?」
冬海先輩も不審に思ったらしい。
「え、何で俺が知らない女の子に招待状送らなきゃいけないの?」
「だって、メイがお使いで運んだって聞いたから。ほらちゃんとあなたの名前で招待状きてるんだから」
「えー俺メイにお使いなんか頼んでないよ?」
メイはたしかに秋久さんのペットらしい。どうやら疑問は増えてくばかりのようだ。
「先輩、ライって知りませんか?メイにそっくりだけど性格尊大な鳥」
「ライ?私は知らないけど、秋は知ってる?」
「いや、知らないけど」
とりあえずいきさつだけ話しておこう。もしかしたらあの子が誰なのかわかるかもしれないし。
「うーん、その子が出したのかもね。でも、そんな年の子知らないんだけどなあ」
冬海先輩はやっぱり心当たりがなさそうだった。当の秋久さんもどうやらわからない様子。さて、どうしたものかなあ。
「あれ、満井先輩きてたんですか」
「あ、真夏いたの?」
冬海先輩の弟で真崎夏樹。真夏はあだ名だ。
「うわーその呼び方懐かしいですね。最近は誰もそう呼ばないから」
「そうか。最近は『夏樹真』の名前の方が通ってるからなあ」
真夏は最近小説書きとして、そこそこ売れ出している。一度は読んでみたのだがどうやら私には体質的にあわなかった。水無瀬が夏樹真の大ファンである。
そういえばひとつ聞いてないことがあった。
「そういえば、今日のパーティーって何のパーティーなんですか」
「あ、そっか結理ちゃんは知らないんだっけ。正規の招待状にはちゃんと書いてあったんだけど、今日は私の結婚披露パーティーなのよ」
「・・・え、冬海先輩、結婚するんですか?」
「正確にはもうしちゃってるんだけど。去年の末に」
「えーっと・・・」
どうも素直に飲み込めない。冬海先輩と結婚が全然結びつかない。
「だから冬ちゃん、ウェディング姿でケーキ入刀の年賀状送れって言ったのに」
「そんなことやってないって。それにいつも年賀状なんて送らないし」
「とりあえず、何かはずした気がしますが。結婚おめでとうございます」
「ありがとう。実はね、本当はその招待状の様に来て初めて教えようかと思ったの。みんなの驚いた顔が見たいと思って。でも思い切り彼に反対されちゃった」
そう言って笑う冬海さんはまぎれもなく新婚さんの幸せをかもし出していた。今の冬海先輩と結婚は素直に結びつく。
「で、お相手は誰なんですか?」
「んー今日はどうしても外せない仕事ができちゃったらしくて来てないんだ。また今度紹介するね」
「はぁ」
結婚披露パーティーより優先する仕事を持ってる人なのか。それともただの仕事好きか。とりあえずマイペースという点でかなり似たもの夫婦らしい。
しかし、ここにくればあの子に会えるものと思っていたのになあ。
「さて、どうしたものか」
「先輩、どうかしたんですか?」
「ああ夏樹は後から来たんだっけ。教えてやるよ」
「何か恩着せがましい言い方ですね、秋さん」
とりあえず私が話したことを秋久さんが真夏に教える。ちょっとは自分の見解とか盛り込むかと思ったが丸投げだった。普通に聞いていた真夏は話が進むにつれて何か考えているようだった。
「ああ、やっぱりそうなっちゃったんだ」
聞き終えた真夏の最初の一言は意味がよくわからなかった。
「何ひとりで簡潔してるの。説明しろって」
冬海先輩もわからなかったらしい。よかった。真崎家の人は一般人と違う感覚の持ち主ばかりだから、違う感覚で納得されてわからないまま通り過ぎて困ったことがよくあった。
「その話ね、今度の新作と同じなんだ。ネタがどうしても思い浮かばなくて、つい身内に手を出したんだ」
締め切りがあと3日遅かったら絶対出さなかったと夏樹は言う。
「面白いくせにネタに出来ない家族なんて、かなりむかつくんだけどね。俺が話書くと現実とリンクする場合があるんだよねえ、身内だしちゃうと」
「俺は一般人だって言ってた頃が懐かしいわね、夏樹。今じゃ私が一番普通だもの」
意地の悪い笑みで冬海先輩はそう言ったけど、普通といってもやっぱり真崎家の人って気がする。一種特殊な家族だから。そして同じ見解を持った人がもう一人いた。
「大丈夫、冬ちゃんも十分一般人じゃないから」
「秋、何か含みを持った言い方ね。あんただって普通とはかけ離れてるでしょう」
「大丈夫、俺一般人じゃないの自覚してるし」
冬海先輩に言ったのと同じトーンで秋久さんは言った。で、結局真相は何なんだ?
「あ、ごめんね、結理ちゃん。真崎家どつき漫才につき合わせちゃって」
「・・・いえ」
それしか答えれなかった。どつき漫才って、たしかに言われりゃそうだけど。
「で、結局真相は何なんだ?夏樹、ほれ解説どうぞ」
さっき思ったことと同じ言葉を秋久さんが言う。
「だから身内ネタに手を出しちゃったんだよ。でもそのまま使うのは怖いから、ちょっと設定をいじって名前もかえて使ったの。それがライだし、その男の子だね。でも結理先輩が巻き込まれるとは思わなかったなあ。たしかに大学舞台にしたけど、女の人の方は特に意識して書かなかったのに」
「結局ライとあの子は、何だったんだ?」
一番知りたい問い。
「ごめん結理先輩。俺には現実か幻想かわからないよ。ただ俺の話が関わっちゃったのは確かだけど」
「そうか。じゃあもうあの子には会えないかなあ・・・」
なぜかとても会いたかったのだけど。
「ま、かわりに俺に会えたから、良しとしない?ついでに俺と付き合おうよ」
「は?」
秋久さんが何を言っているのかいまいち理解できなかったんだが・・・。
「秋、何そのへんのちゃらけた男みたいな事言ってるの。秋に結理ちゃんはもったいないから駄目。許しません」
「なんで許しませんなわけ?姉さんが口はさむことでもないでしょう」
「だって悔しいんだもん。結理ちゃんが男だったら彼氏にしたかったのに」
「冬海先輩・・・」
何か複雑な心境だ。まあ、今までに言われたことあったけど、先輩にまで言われるとは。
「姉さん、そんな事言って結理先輩が困ってるじゃないですか」
「ああ、ごめんね。実は悔しいからわざわざ結理ちゃんって呼んでたりしてるんだよね」
「なるほど」
それでかっこいいって言いながらちゃん付けだったんだ、納得。って何の話してたんだっけ。
「ねえ、俺の話忘れてない?結構本気で言ったのに」
秋久さんがちょっとさみしげな風で首をかしげる。大人の男の人なのに、妙にしぐさが子供っぽい。でもそれがマイナスイメージを持たないのはすごいなと思った。
「本気だったらあんなに軽く言わない。だから私が流してあげたんじゃない。本気なら日を改めてかっこよく決めなさい」
お母さんのお説教みたい。言われた秋久さんも叱られた腕白小僧みたいな顔をしている。本当に漫才みたい。笑いがこみあげてくる。
「はーい。じゃ結理ちゃん、次期待しててね。不意打ちでかっこよく決めるから」
「いや、別にいいです」
不意打ちでこられても困るし、付き合おうって言われても困るし。
「あ、でもメイには会いたいかも」
「秋久さん、メイに負けてるんだね」
真夏は笑いのツボにはまったらしく、腹をかかえて笑っている。
「いいよ、えびで鯛を釣って見せよう!がんばるからね」
いや頑張られても困るんだけど。ま、いいか。嫌いな感じじゃないし、顔はいいし。メイもいるしね。もしかしたららいやあの少年に会えるかもしれないし。
冬の空に黒い鳥がとけ込んだように、私の日常に秋久さんがとけ込んでしまうのもいいかもしれない、なんてね。
残り「余談な後日談」があります。
登場人物紹介
真崎冬海:32。夏樹つながりで結理と知り合い。
真崎夏樹:23。結理の大学の後輩。夏樹真として作家活動をしている。
真崎秋久:27。冬海のイトコ。
真崎家はほぼなんらかの異能持ちという設定w
冬海は本編(かけら)の主人公。