(1)
ふと見上げると青い空が広がっていた。冬の空は何でこんなに高いのだろう。夏の空はもっと近くてもっと青が深い。力強くて元気のでる、私の好きな空だ。
この冬の空はどこか頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。何もかも空の向こうに消えてしまいそうな、薄い青。
あまりのはかなさに、目が離せなくなった。何故だかすごく泣きたくなった。
それから私は、夏よりも冬の空が好きになった。
彼と出会ったのは、冬の空が好きになってから五度目の冬。大好きな青空が広がっていた日だった。
私はいつもの所で、自分すらも消えそうなはかない青空をずっと眺めていた。
「カラスか?」
青い空を無粋に横切っていった黒い鳥は、その後違和感を感じたのが錯覚だったかのように空に溶け込んでいった。そして人間の肩にとまり、一枚の絵になった。
一瞬カメラがあればと思った。でもすぐにカメラじゃ撮れないと思った。カメラでは切り取れない何かがこの世界を支配していた。だから、少しでも心に残るように感じたものを残せるようにじっと見つめた。鳥がしゃべるまで。
「ガンツケンナヨ。ニーチャン」
かん高い声。聞いたとたんにその場を支配していた何かは消え失せてたんなる日常の一コマになった。
しゃべってるところを見ると、どうやらカラスではなく九官鳥だったようだ。しかし、九官鳥はくちばしが違う色だった気がする。この鳥は他の色が混じっているところがない。それこそ全身が濡烏といった感じだ。種類が違うのだろうか。
その言葉でこちらに気づいたのか肩にとまらせていた人が振り向いた。思っていたよりも幼さの残った顔。青年というよりは少年だった。
「がんつけんなよ、兄ちゃん」
鳥と同じ言葉を言う。がらくたという名の宝物を見つけたときの子供の顔。久しぶりにこんな笑顔を見た気がする。最近の子供はこんなに無邪気に笑わない。そのせいだろうか、いつもは話し掛けるない私がそうする気になったのは。
「間違ってるよ。がんつけたつもりはないし、私は姉ちゃんだ」
「・・・嘘だろう?」
私を上から下まで眺める。それでも信じられないらしい。失礼なやつだ。しかし、不思議と悪い気分ではなかった。
「それは九官鳥か?」
「チガーウ。ライサマダー」
私の問いに鳥が答えてくれた。少年は少し驚いた顔をしただけだった。
「ライという名前なんだ。で、九官鳥なのか?」
「チガーウ。ラ…」
同じ言葉を繰り返しそうになった鳥のくちばしを軽くはじいて言葉を止める。
「俺はこっちに聞いてるんだよ。だまってな」
鳥に対してすごむのはちょっと大人げないかと思ったが、生意気な鳥はこれくらいの扱いでいい。
「で、これは九官鳥なのか?」
「やっぱり兄ちゃんだろう?」
「言葉遣いで人を判断するなって。で、問いには答えてくれないのか?」
言葉づかいだけじゃないんだけど、と言いたげな顔で答えてくれた。
「来は九官鳥じゃないよ」
間近で見ても、色が真っ黒な九官鳥にしか見えない。しゃべらなければ、カラスとも言えたのかもしれないが。カラスはしゃべらないしなあ。
「じゃあ何なんだ」
「さあ、何だろうね」
少年は鳥に向かって問い掛ける。
「ライジャナイ、ライサーマ」
ずいぶんと頭のいい鳥だ。性格もイイらしい。
「じゃあ、らいさまは何なんだ?」
冗談半分に鳥に聞いてみる。様をつけて呼ばれたのがうれしかったのか、嬉々としてしゃべり出す。
「オシエテシンゼヨウ。ライサマハー、カノユウメイナマサ…」
「らーい」
「ゴメンナサイ」
言いかけた鳥は少年の言葉一つで謝る。どうやら聞いてはいけないようだ。鳥に何の秘密を隠してるんだか。しかし、よくしつけてある鳥だ。
ふと、鳥にかまけて少年の名前を聞いていないことに気づく。
「じゃあ君の名前を聞いていいか?」
「どうしようかなあ」
わざと迷っているふりをしている。小憎らしい仕種だが、やはりマイナスの感情は湧いてこない。無邪気すぎるのが原因か。毒気を抜かれたらしい。
「結理せんぱーい」
向こうの方から、私を呼ぶ声がした。見ると、大学の後輩だ。軽く手をあげて答える。そうでもしないと、気づいてないと思っているのか大声で何度も呼ぶのだ。
「兄ちゃん、ユリって名前なの?」
「お姉さんだ」
つくづく失礼な奴だ。まあ子供はこのくらい生意気な方がかわいいもんだ。外面だけは優等生ってのが多すぎるからなあ。
「結理先輩。何やってんですか」
反応を示してやっても、まだ大声で名前を連呼しやがる。何度言っても聞きゃしないんだ、こいつは。いい加減注意しすぎて諦めてはいたものの、こうやって実行されるたびに頭をはたきたくなる。
「結理先輩。何やってるんですか?」
近くなってもう一度同じセリフをいう。どうせこっちにくるのなら、そばに来てから名前を呼べばいいのに。その方が絶対効率がいい。
「ん、ナンパをしていたんだよ」
「え?」
今までやってたのは、声をかけて話して名前を聞いて。とりあえずナンパと変わりはない。まあ軽い冗談だ。しかし、私の答えがかなり意外だったのか、反応が返ってくるのが遅い。
「え、えー。結理先輩、ナンパなんてするんですか?って誰を・・・」
と少年は後輩が近づいた時に、離れていった様だ。もう後ろ姿が見えるだけだ。結局名前を聞けなかった。こいつこなかったら聞けてたかなあ。でも、結局は教えてくれなかっただろう。
「あの子。もう少しで名前が聞けたのに。おまえ、邪魔したんだよ」
「え、あ。うわあ、ごめんなさい。あの子って・・・うわあ」
うろたえかたが妙に激しい・・・。ばたばたして壊れたおもちゃみたいでちょっと楽しいが、何でこんなにうろたえてるんだ?
「先輩・・・。名は体を表わすを実行しちゃったんですか?」
「は?」
・・・。こいつは時たまよく分からないことを口走るからなあ。
「何を言っているんだ、お前は」
「だ、だってあの子、女の子でしょう?」
「ばっか、違うよ。あの子は男だ」
何を勘違いしてんだか。この後、いじめ決定だな。普通に言えばまだしも、名は体を表わすなんて言葉を使いやがって。お前も名は体を表わせてみせるか。
「あ、あれ。そうなんですか。背がすごく低く見えたんで女の子だと確信しちゃってたんですが」
「低く見えたんじゃなくて低かったんだ。150くらいだろうなあ。お前より低かったな」
最初に見たときはもう少し大きく見えた。同年代もしくは少し下くらいだと思ったのに、話しかけると小学生のようだった。
「え、先輩ショタコンだったんですか?あぁ、だから学内の男たち振りまくっんですね」
思い切り納得したという顔をする。本当にこいつはいじめてくれって言ってるんだなあ。とりあえず、逃げれないように、肩をつかむ。
「流、お前どうしても名は体を表わすを実践したいようだね」
「え、何ですか」
わかっていない流の腕をつかんで引きずるように、学内に流れる小川に向かう。
「さあ、行こうか。いい流れっぷりを期待してるよ」
小川なので人が流れるほど大きくはない。が、とりあえず濡れてもらうには十分だ。向かっている先がわかってきたのか、顔がだんだん青ざめる。
「え?え、えー」