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透きとおる菫色

作者: 眞基子
掲載日:2026/08/29

               透きとおる菫色



 「すみれ」

 遠野すみれは、白台高校への道すがら自分の名前を聞いた。振り返ると、こちらに駆け寄ってくる男性がいた。藤沢亘、もう何年も会っていない幼馴染み。一瞬、誰だか分からなかった。すみれは中学校の三年間、父親の転勤で大阪に行っていたのだ。

 「すみれ、久し振りだな。こっちに戻ってきたのか?」

 すみれは、まじまじ男を見た。

 「ひょっとすると亘」

 「ひょっとって何だよ」

 藤沢亘は、ムッとして睨んだ。

 「亘、大きくなったねぇ」

 「何だよ、その言い方。ガキじゃないんだからな」

 すみれは、少し上向いて言った。

 「何センチ?」

 「百八十三。すみれは縮んだんじゃねぇか」

 亘は見下ろすように言った。

 「失礼ね」

 二人は並んで学校へ向った。

 「二週間前に父が東京の本社へ移動になったの。急だったから適当に学校を決めたのよ、レベル考える時間なかったから」

 「まるで、この学校のレベルが低いみたいじゃねぇか」

 「まあ、亘がいるんだから高いとは言えないんじゃない」

 すみれは、笑いながら言った。

 「何言ってんだよ。今や、この高校で俺はヒーローだぜ」

 「うん、聞いたよ。陸上のホープなんだって?そういえば、亘って小学校の頃、駆けっこ速かったもんね」 

 「駆けっこって何だよ。それより、すみれも陸上に入らねぇか、色々な種類あるからよ」

 「私は身体を使うより、頭を使う方が向いてるのよ」

 すみれは校門をくぐる時、しれっとして亘に笑いかけた。

 確かに父親の転勤が急な事もあり、高校を何処にするか選んでいる暇も無かったが、先ずは通学に便利なマンションから近い高校に決めた。すみれは一年一組、亘は二組。確かに亘は中学の頃から地区や全国中学校大会で何度も優勝していた。亘の母とすみれの母は、小学校のPTAを介して仲良しだったので、大阪に転勤した後も連絡を取り合っていたらしい。ただ、ひとつを除いて。すみれは、高校に入るや否や一学期は学年トップの成績で、亘とは違う存在意義を示した。その年の秋、陸上日本選手権が行われる。当然、亘も選出されている。毎日放課後は練習に没頭しているので、すみれと会う機会が少なかった。夏休みに入るとすぐ、すみれのスマホに亘からランチへ行こうとの連絡が入った。もうすぐ、亘は強化合宿で東京を離れるとの事だった。

 「すみれ、陸上日本選手権で優勝すれば、来年のアジア大会の出場権を得られるんだぜ。更にアメリカで開催されるオリンピックも夢じゃない。俺はすみれを連れて行ってやるから応援しろよ」

 ファミレスで力説する亘に、すみれは頷いた。

 「分かったわ。まずは陸上日本選手権の合宿ね。お土産を楽しみにしてるわ」

 「何だ、お土産の方か?」

 「だって合宿でしょう。試合じゃないんだから、応援も何もないじゃない。まあ、いきんで身体を壊さないようにね。お土産は何でもいいわよ、亘に任せるから」

 それから、暫くして亘は合宿に旅立った。すみれは、夏休みを利用して大病院で精密検査をしていた。急性拡張型心筋症を発症したのは、大阪に行ってからだった。完治するには心臓移植しか無い。日本での移植の可能性は低い。両親はアメリカで移植の心臓を待とうと言ったが、すみれは断固拒否した。最後の日まで日本にいたいと。勿論、誰にも言ってないし、絶対言わないでと両親にクギを差している。

 亘が合宿から帰って来た。お土産を渡すからと例のファミレスで会った。大きい紙袋から出したのは、ウサギの縫い包み。一メートルはありそう。

 「これって何?」

 「見れば分かるだろう。ウサギのヌイグルミだ」

 すみれは、驚くより呆れた。

 「ウサギは早いんだぞ。つまり俺だ。又、暫く陸上日本選手権で忙しくなりそうだから、これを抱きしめてろよ」

 「ねぇ、ウサギってカメに負けたんじゃないの」

 「嫌味な奴だな」

 すみれは笑いながら、ウサギを抱きしめた。

 「分かったわ、ピョンコを抱きしめて応援するから」

 「ピョンコって名前にしたのか、早いな」

 「うん、昔大阪で飼っていたウサギの名前。目を離した隙に逃げ出して、車に引かれちゃったの。ショックだったわ」

 「何か縁起の悪い名前じゃないか」

 「でも庭に離していた時、座っていた私の膝に手を置いて私を見て頷いてくれたの。大丈夫だよって鼻先をピクピクさせて。それで私は安心したのよ。きっと、亘のピョンコも私を包んでくれると思うわ。大丈夫だよって」

 暫くして、亘は陸上日本選手権に向けて、夏休み中練習に明け暮れた。夏休みが終わり、いよいよ秋の陸上日本選手権を翌日に控えた日、亘が突然すみれの家に訪ねて来た。すみれの部屋に入るなり、亘はすみれを抱きしめた。

 「何か急に怖気づいちゃってな」

 「大丈夫よ。私、ゴールで待っているから」

 「うん、分かったよ。絶対誰よりも、すみれを一番に抱きしめるから」

 すみれは、黙って亘に口づけをした。

 「エールよ」

 次の日、すみれはピョンコを抱きしめたままソファに横になり、陸上日本選手権をテレビで見ていた。

 ワァーという大歓声と共に『やりました、藤沢亘選手が日本新記録です』

 すみれは、それを聞きながら目を閉じた永遠に。


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