異世界恋愛サバイバル
今度は変な男に捕まりませんように。
そう願ったのは誰だったのか……。
「っだりゃああああああ!」
私は飛び起きた。
とても嫌な夢を見ていたのだ。
と、思う。
「お嬢様?!」
慌てて駆けつけて来た小間使いを見て、ハッとする。
辺りを見渡せば、豪華絢爛な装飾品と家具に囲まれた美しい部屋だ。
寝台には天蓋も付いている。
よおし、勝ち組ッ!
いえ、油断は禁物だわ。
はふ、と息を吐いて、小間使いに命じる。
「部屋から出て。そっとしておいて」
「あ、は……はいかしこまりました」
恐る恐る、小間使いは顔を引っ込めた。
ぱたん、と静かに扉が閉まったのを見て、私は静かに黙考する。
手が小さい。
はい幼女。
あれ?男じゃないよね?
……大丈夫、股間に危険物は無い。
名前は……アウレリア・フォン・シュターレン公爵令嬢。
ふわふわの金の髪に、菫色の瞳の美少女だ。
御年六歳。
ゆっくりと自分の情報を思い出していく。
そして、私は、これで四度目の転生だという事まで思い出した。
夢見が悪かったのはそのせいだろう。
転生した全てを覚えている訳じゃなく、直前らしき三つの異なる世界の記憶があるのだ。
一回目は場所は覚えていないけど、ラテン系の国だった。
浮気男に捕まっていた地味な私は、逃れようとしても束縛&浮気のコンボをくらっていたのだ。
結局、浮気相手の女に刺されて死亡。
二回目は中世ヨーロッパのようなところ。
貴族令嬢に生まれたのに、モラハラ夫と毒親に追い詰められて死んだ。
自殺じゃなかったとは言い切れないけど、事故で転落死。
三回目は現代日本。
ストーカー被害から逃れられず死亡。
二十歳前後で見事に死んでるとか、何て恐ろしい世界なの!
手鏡をまじまじと見つめるけれど、そこには困惑した顔の可愛い美少女がいる。
ここでまたリセットされて、新しい人生が始まっているのだから、過去を振り返って反省すべき点や改善点を探さないといけないわ。
でないと、また若くして死……!
それはちょっと嫌……!
今までの人生、そう言えばあまり自己主張してこなかった事を思い出していた。
一度目の……えーとマーリン(仮)は浮気されてばかりの自分の、何が悪いのかって考えてたのよね。
地味でも可愛い子だったのに。
彼に比べれば地味だったのかもしれないけれど、言われ続けたせいか、彼に比べてという単語がすっぽ抜けて、ただただ自分が地味だから浮気されるんだと思い込んでいた。
それでも派手でモテる彼が、マーリンを手放さなかったのは尽くすからだと思う。
地味な分、他の所で頑張ろうと料理も洗濯も課題だって何でも言う通りに頑張ってた。
その結末が、あれだ。
多分、マーリンほど尽くしてくれる隠れ美少女は現れないだろう。
せいぜい苦しめ。
性病になってお亡くなりに……いや散々苦しんだ末にお亡くなりになれ。
二度目のソフィア?も地獄だった。
そこでは更に徹底的に自尊心を削られまくったのだ。
自尊心0からマイナスである。
美しき伯爵令嬢だったソフィアは、侯爵令息に見初められた。
見初めた侯爵令息がモラハラ糞野郎で、出会った瞬間罵倒から始まる恋である。
いや、恋してたのは向こうだけで、こっちは恐怖で脅えてた。
だが残念、向こうも嫡男だし、こっちも嫡女。
さすがに嫁には出さないだろうと思っていたら、あら大変。
向こうの親が頑張ったせいで、次男が出来た。
侯爵家嫡男の座を捨てて婿入りするとモラハラ野郎が言い出したのだ。
最初は難色を示していた向こうの両親も、学園に通う頃になると折れた。
もっと頑張ってほしかった。
でも、彼の本性に薄々気づき始めていたんだと思う。
だから次男を後継にしたくなっていたんだと、今なら分かる。
結果、全てのしわ寄せがソフィアに降りかかった。
どんなに意地悪をされようと、上から目線でこき下ろされようと「照れている」の一言で許される世界。
ちょっと照れたぐらいで、髪を引っ張ったり突き飛ばしたりするんだから、物凄く照れたら殺人事件になりそうですね!
自尊心が粉々にされていたソフィアはもう、くたびれてた。
何を言っても無駄な環境は、気力を失くしていくのに十分だったのだ。
周囲に助けを求めても、両親も毒だからモラハラ野郎の応援しかしない。
逃げ出したとしても、連れ戻しに来るのが毒親若しくは毒親同伴だから拒否しても無駄。
友人を作ろうにも、モラハラ野郎が邪魔をして、相手に迷惑がかかってしまうから諦める。
国外逃亡しようにも、幼い頃から可愛がっていた猫のミーヤを置いて行けない。
連れて逃げる才覚も無かった。
或る日、モラ男がミーヤを崖の上に突き出して、言ったのだ。
自分と猫とどっちが大事か?と。
猫に決まってんだろ糞野郎!
って言えたらどんなに良かったか。
でも言ったとして、嫉妬でミーヤを落とすのは目に見えてた。
だから、言いたくなかったけどモラ男だと言って、ミーヤを返してくれるように泣きながら頼んだ。
満足そうな顔をした彼は、私にこう言い放った。
じゃあ、これはいらないよね、と。
落ちるミーヤを助けようと手を伸ばして、私は崖から足を踏み外した。
咄嗟に伸ばされたモラ男の手を掴めば、助かっただろうけど。
そうしなかった。
木々の枝が折れたけれど、命を受け止めるのには足りず。
地面に叩き付けられた私の寿命を少しばかり伸ばしただけ。
ミーヤは大丈夫かしら、と目線だけで探せば、足を引きずったミーヤが私の頬を舐めてくれた。
私の所為で、ごめんなさいね。
心の中で謝って、柔らかい毛を撫でようとしても手が動かずに、そのまま天に召された。
いや、完全に私のせいじゃなくね?
モラ男のせいだよね!
私が事故で死んだら絶対殺したのモラ男だから、って手紙を正義感の強い知り合いに送っておいて正解だった。
別に友人ではなかったけど、曲がった事が大嫌いな人っているよね。
義憤に駆られるタイプの。
だから少なくとも疑惑は持ち上がるだろう。
結婚間もなくして死んだし、お家乗っ取りだってなれば、調査も入る。
調査が入ればこっちのもんだ。
貸金庫に仕舞ってある日記が火を噴く。
親もモラ男も社会的に死んでくれ。
三回目は、理亜という何処にでもいる女の子だった。
金持ちでもなければ、勉強も運動もそこそこできる、見た目も普通の子。
だけど、ストーカーされてた。
下着は盗まれる、手紙は盗まれる、ゴミは持ち去られる。
家族と暮らしてた学生時代はまだ良かった。
何か変だね、怖いねと言いながらも平穏無事に過ごして。
彼氏っぽい人が出来そうになると、何故かいっつもうまくいかなかったけど、そういうもんかなって思ってた。
親友は親身になってくれてたし、そのお兄さんが一緒に帰り道を歩いてくれたりもして。
でも、大学に進んで一人暮らしが始まると、当然の如く悪化した。
下着は外に干せなくなったし、ゴミも離れた所に捨てに行ったけど、変な贈り物が届いたり無言電話も増えたのだ。
電話番号を変えても変えても無駄だった。
親友も、友人達も心配してくれたけれど、あざ笑うかのように犯行は続く。
警察に行っても、真面目に対応もされなかった。
まだ事件は起こってないから。
捨てたごみの行方なんて分からないし、捨てたんだから要らない物でしょと言われて終わり。
それが再利用されて届く恐怖が分からないらしい。
誰かに常に見られているっていう悍ましさも。
勝手に情報を盗まれるという気持ち悪さも。
親友がたまに泊りにきてくれたり、友人も泊ってくれたりしていたある日。
私は犯人に刺された。
男を連れ込むなんて、そんな子だと思わなかったと言われながら。
相手は親友の兄だった。
そりゃそうだ、番号突抜けな訳だよ。
教えてもいい?って言われて断る理由なかったから。
あと、私の名誉のために言っておくけど、男は連れ込んでいない。
ボーイッシュな子なら連れ込みましたが、あの子は女の子だよ!失礼だな!
あれは女の子だよ、と何とも間抜けな遺言になったけど、ストーカーはショックを受けていた。
そしてごめんとか死なないでとか言い出したけど、お前がやったんだろがい!
やっと一矢報いることが出来て、それなりに満足した。
ムショで臭い飯食ってこい馬鹿が!
今は何処の刑務所も美味しそうなご飯ですけどね。
とにかく自首して償ってこい。
あと三人の糞男と毒親は地獄に落ちて、戻ってこないで?
…………。
六歳が背負うには重い記憶過ぎない?これ。
神様というのがいるとして、何でこんなに不幸の詰め合わせセットなの。
私何も悪い事してない。
ちょっと自己肯定感が低めだったり、自己主張が足りなかっただけじゃん。
もちろん無知とか向上心の足りなさは自分の所為だとしてもよ。
そんな人は世にごまんといるのに、何故私。
男運が悪すぎる。
でも、今回は違う。
平民としても逞しく暮らしていけるように知識を身につけてやる。
それに公爵家なら、上に居るのは王家、同格の公爵家にだけ気を付ければ良いわよね。
その他の有象無象から婚約話が来たってお断りよ!
そう!
断っても許される位の高嶺の花を目指さなきゃ!
理亜だった時に護身術も習ってるし、身体も鍛えておくに越したことは無い。
よし!目指せ二十歳オーバー!!
突然あほの子から努力家に一変した私は、家族から少し不審げに見られた。
使用人からも。
「熱から覚めたと思ったら、急に大人っぽくなって」
ころころと笑う母だけはその変化を喜んでいた。
兄達と父は不審そうにしているけど。
一応、愛嬌も身につけないとね。
私は精一杯愛想を振り撒いた。
「お母様のような立派な淑女を目指したくなりましたの!」
「まあ!何て可愛らしいんでしょう。家庭教師はきちんと手配しましたからね、私の可愛いレリア」
お母様に頭を撫でられて、私はぎゅっとその腰に抱きついた。
「嬉しい!大好きですお母様!」
「私もよ。愛しているわ」
父と兄は最初こそ不審そうにしていたものの、どうやら慣れて来たらしい。
長男のフォルヴィスは祖父に次期公爵としての教育を受けているし、父や側近から実務も教わっていた。
次男のエルヴィスも一応、代替品としての務めとして、補佐が出来るよう学んでいる。
当然のような顔をして、そこに私も入り込んだ。
「お前がいくら学んだところでこの国では爵位は継げないぞ」
「分かっております。でもお手伝いは出来ますでしょう?」
父の冷たいとも思える言葉に、そう切り返す。
少なくとも覚えて損は無いのだ。
可能性としては少ないが、他国に渡ったり、この国の法律が変われば継げるという事でもある。
そうなった時に分かりません、では話にならない。
貪欲な私に触発されたのか、妹に負けたくないからか、兄達も今までよりも努力を始め、思わぬ効果に父が喜んだのは言うまでもない。
そんな平和な日々に、とうとう終止符が打たれた。
いや、打たせてなるものか。
だが、破滅の足音は確かに忍び寄ってきていた。
「王子殿下の園遊会の招待状が届いた」
「はい。その日は腹痛ですので、丁重にお断りくださいませ」
間髪を容れない私の答えに、父が目を見開き、母も驚いた顔をする。
兄達もぽかんと眼だけでなく口も開いた。
「何故だレリア、お前ほどの才気あふれる令嬢はこの国広しと言えどもそうはいない。王子の婚約者として一番相応しいと評判だというのに」
しまった。
やり過ぎたのか?
でも勉強をしているだけで、ひけらかしてはいない。
ならば、答えは一つだ。
おい、父ぃ!
「その評判はお父様がお作りになったのでは?わたくしなどに王子殿下の婚約者という身分は分不相応かと存じます。お断り出来ないのであれば、打診されなければ良いのです。ですから参りません」
はっきりと言えば、父は困った様に口をぱくぱくした。
園遊会と謳ってはいるが、絶対嫁探しである。
それはもう、間違いない。
出会わなければ、問題ないのだ。
だったら行かない。
別にここが何処かの物語とか物語じゃないとか知らないけれど、君子危うきに近寄らず。
梨の木の下で帽子を直してはいけないのである。
「何故、そう嫌がるのだ」
三度も糞野郎どもに痛い目にあわされてきたからだよ!とは言えない。
だから、私は奥の手を使う。
きゅるるん、と可愛く上目遣いに目を潤ませた。
「わたくしはお父様とお母様とお兄様達と此処で暮らしたいのですぅ」
はい、痛い。
もう加算したら何歳になるか分からない婆が中身だと思うと泣けるほどグロい。
だが、見た目の良さが幸いして、父も兄も満更でもなさそう。
さっきの私の言動との温度差結構あるけど、大丈夫なのかしら?
「そ、そうか。レリアもまだ幼いからな。うむ。今回は見合わせよう」
「そうね。王家との縁がどうしても欲しいわけでもないですもの」
そう微笑む母の母、私からみれば祖母は、この国の王女殿下。
隣国の大公閣下に嫁ぎ、その娘である母がこの公爵家に嫁いできたのである。
政略結婚とはいえ、ある程度の自由は許される身分。
政争やら戦争絡みであればその我儘も通らないが、今のところは政情も落ち着いている。
私はにこにこと愛想を振り撒いて、考えた。
親や兄にはやはり甘えん坊大作戦が有効である。
多少、私の精神が削られはするが、些末な事。
「でもそろそろ、お茶会には出なくてはね。ちょうど寄子の伯爵家からの招待状があるの。一緒に行きましょう」
「はい、お母様」
上機嫌で返事をした、私の馬鹿。
そこには一つ目の地獄が口を開けていたのを純真無垢な私は気付かなかったのである。
晴れ渡る青空の下、白い天幕の下でのお茶会。
エセルネ伯爵家は、伯爵家の中でも歴史が古く、商会も営んでいるので裕福である。
商会としての人脈以外にも、高位貴族と低位貴族の顔つなぎの場としての役割もあった。
社交に勤しむご婦人方にとっては重宝される存在で、社交界での権勢を誇っている。
エセルネ伯爵家はまさに、高位貴族のお茶会や夜会への登竜門とも言えた。
伯爵夫人自体は低位貴族の集まりにも、高位貴族の集まりにも問題なく参加できる。
その中で、子爵夫人男爵夫人と知り合い、為人を見て、会話や礼儀作法に問題が無ければエセルネ伯爵夫人が開催するお茶会へと招待されるのだ。
そのお茶会には高位貴族のご婦人方も来る。
一緒に訪れる令息や令嬢に、嫁入り婿入りさせたいとか、または侍女や侍従として仕えさせたいのだ。
多少なりとも縁があれば、優遇して貰えることもある。
逆に、高位貴族にもそれなりの見返りはあった。
特産品の融通や、交通税の減免など、難しい話は殿方に任せましょうと丸投げもするが、そこはご夫人同士の交流が出来れば役目は一旦終わる。
あとは個々の家門で晩餐会に呼んだり呼ばれたりしつつ、紳士達は狩猟やカードゲームなどの遊興で交流を深めるのだ。
ご夫人同士も気の合う間柄になり、友人となる事も珍しくない。
エセルネ伯爵家とシュターレン公爵家は、古くからの付き合いだ。
領地も隣接しているし、歴史を遡れば、商会を立ち上げる時も出資したという位の。
何代にも続く、付き合いの中で親戚のような感覚になっている程には親しい。
だが、親しき仲にも礼儀あり。
そういった弁えている所が、縁が続いてきた所以とも言えるだろう。
今日も真っ先に伯爵夫人が出迎えた。
小さな淑女を連れて。
エセルネ伯爵夫人に紹介されたのは栗色の髪に、空色の瞳の美しい令嬢だった。
「ノエルと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「アウレリア・フォン・シュターレンと申しますわ。どうぞお見知りおきを」
優雅な淑女な礼を執ると、ノエルはパッと顔を赤らめた。
自分の拙さが恥ずかしかったらしい。
「あの……まだ、色々と拙く、申し訳ございません」
消え入りそうに言う姿が可憐で、思わず私は微笑んだ。
「わたくしもです。一緒に学んで参りましょうね」
「は、はいっ!」
嬉しそうに顔を上げた彼女はとても可愛らしくて、何だか…何かを……思い出しかけていた。
はて?
この胸騒ぎは何だろう。
ともかく仲良くなれそうで良かった、と母もエセルネ伯爵夫人も笑顔で子供達の初顔合わせを見守っている。
そこに、もう一人現れた。
「ああ、身支度に時間がかかったのね。遅れまして申し訳ございません。こちらが嫡男のシトリンと申します」
「…………あ……」
だがシトリンと呼ばれた少年は、榛色の瞳を大きく見開いてこちらを凝視してくる。
何?と思って母を見上げるが、母は扇を口元にあてて意味深に微笑むだけ。
「ほら、見惚れていないでご挨拶なさい」
伯爵夫人に扇で背を小突かれて、やっと、シトリンは動き出した。
「これは……申し訳ありません。あまりの美しさに時を忘れました。シトリン・ド・エセルネと申します。貴女に会えて、とても嬉しいです」
少年の笑顔は美しい顔に相俟って、とても可愛らしい。
可愛らしいのに、ゾッとした。
ねっとりと絡みつくような視線に、わたしは思わず顔が引きつりそうになる。
何とかそれを抑え込んで、微笑みを貼り付けた。
「こちらこそ、お会いできて嬉しゅうございます」
嬉しくない。
全然嬉しくない。
名前も少し被ってるのが、余計怖い。
理亜とアウレリア。
乃絵とノエル。
トシ何とかとシトリン。
別人であって欲しいと願う傍ら、ストーカー男だという確信が胃の底から競り上がってくるかのように不快感を齎す。
ともすれば、その感情に呑み込まれそうになるのを何とかやり過ごした。
何なの?神様!
これは新しい嫌がらせ!?
何かもうよくあるラノベの駄女神とかそういう形ある神だったら絶対ボコしてる。
でも、挨拶は他の人々とも交わすものなので、さっさと距離をとって出来るだけ離れた。
遠くからチラチラと……ではなく思い切りじっとみてくるが無視。
無視オブ無視。
滞りなく挨拶が済んで、子供達は庭に放牧された。
親達は席次が決められていて、長い卓に並んで座ってお喋りを楽しむ。
その間子供達は、飲み物と食べ物が用意された天幕の傍で、思い思いに寛ぐ。
青い芝生の上に置かれた遊具や、木の下にあるブランコ。
使用人が敷物を引いて、そこで食べ物を食べ始める子供もいる。
本当ならノエルともっと親しくしたかったが、明らかにヤバい奴がついてくるので躊躇した。
躊躇してそのまま天幕の裏にある薔薇の生け垣を見ようと足を踏み入れる。
そこに先程挨拶を交わした別の少年が立っていた。
艶やかな銀の髪に、涼し気な緑の瞳の冷たい印象を与える美貌を持った少年だ。
名を、ジェイドという。
私は今、あまり異性とは近づきたい気分ではなかった。
だが、彼は意に介さず近づいてきて、馬鹿にするように言う。
「あまり良い色ではないですね」
「え?」
何の話?薔薇の話?
傍らの薔薇を見るが、別に変色もしていなければ、枯れてもいない。
「貴女の髪の色ですよ。もう少し落ち着いた色に染められては?」
軽くのつもりだろうが、ぐいと引かれた髪の一房が薔薇の茨に絡まった。
痛さに思わず、きゃあと悲鳴を上げれば、使用人達が駆けつけて来て私の置かれた状況を察する。
長い髪を切る訳にもいかず、ゆっくりと、どうにか絡んだ髪を解いてくれた。
その間、引っ張った真犯人は、周囲に説明を勝手にしている。
「薔薇に髪を引っかけられたようで、僕がお助けしようとしたのですが……」
はああ??!
お前の所為だろが!!
でもここで言い争いをしても、どうせ有耶無耶になる。
やったやらないの水掛け論では意味がない。
見ていた人がいないか確認して犯行に及ぶのだ、こいつは。
お前、モラ男だろ!!!
おい!神様ァ!!
いるかもしれない神に私は悪態をつく。
見ていた人がいないからってすぐ嘘つきやがるこいつは、一番厄介だ!
何しろ目撃者が……あっ。
いた。
遠くからだけど、いた。
走ってくる人影が、いたのである。
ストーカー……!
「いや違う!君が彼女の髪を引っ張ったから絡んだんだ!」
走ってきて、スライディングみたいに滑り込み、目の前に立って、びしりとシトリンは人差し指を突き立てる。
だが、見下すようにジェイドは言った。
「君は伯爵家の者だろう?」
何と爵位マウントである。
だが、シトリンは負けじと言い返す。
「だから何ですか。見たままを言ったまでです」
「髪を引っ張られました。ジェイド・フォン・バルリング侯爵令息。わたくしは非常に不愉快です」
髪を整えて貰って、漸く私も参戦した。
どうしようかと迷っていた使用人は、しかし自分達の主人が正しいと分かって、冷たい目をジェイドに向ける。
爵位マウントを返されて、ぐっと悔しそうな顔になったジェイドは、ぼそりと言い訳を口にした。
「でも助けようとしたのは本当です」
「だとしても、原因を作ったのも貴方で、髪を引かれてわたくしは痛かったし怖かったです。貴方の顔なんて二度と見たくありません。ごきげんよう」
私は淑女の礼は執らずに踵を返して母の元へと向かった。
本当はシトリンにお礼を言うべきだと分かっていたけれど、余計な縁は欲しくない。
礼なら夫人に言えば良いだろう。
後ろから気づかわし気に距離を開けて付いてくるのが分かったけれど、振り向かない。
否、怖くて振り向けない。
たとえ前世の記憶がないとしても、こいつら根っこが腐ってるんだもの。
二人で勝手に戦ってくれればいいけれど、どっちかを選ばなきゃいけない羽目になったら地獄過ぎる。
ごめんよシトリン、でも無理。
「お母様、ご歓談中に失礼いたします。バルリング侯爵令息に髪を引っ張られて薔薇に絡まり、危うく棘で顔に傷が付くところでした。気分が優れないので帰らせて頂きたいです。……謝罪は頂いておりません。それと、エセルネ伯爵夫人、シトリン様が見守っていて下さったので、バルリング様の嘘が未然に防げましたので感謝を」
たどたどしくも、私が話した言葉の情報量に母親たちは、まあ、とかあら、とか扇子を顔の前でぱたぱた仰いだ。
少なくとも母は冷たい冷たい笑みを見せる。
子供同士だ、と笑い話にはしないようだ。
母の笑顔を目の当たりにして、バルリング侯爵夫人の顔色は悪くなっていった。
「エセルネ夫人、娘の窮地を救ってくださった感謝をご子息にお伝えくださいね。バルリング夫人、子供同士とはいえ暴力行為は見過ごせません。厳重に貴家に宛てて抗議をさせて頂くわ。皆様、ごめんあそばせ」
母は優雅に挨拶をすると、私の手を引いて歩き出した。
侯爵夫人は顔色を悪くしたまま頭を深く下げ、他の方々も立ち上がって淑女の礼を執って見送る。
怖かった。
本当に怖かった。
馬車に乗ったら、安心して手も足も震えたほど。
何なのあいつら。
シトリンはまだいいけどジェイド頭おかしいでしょ。
こっちは公爵令嬢ぞ。
何で喧嘩売って来たし。
あれか?女はナチュラルに爵位マイナス2くらいの補正がかかるのか?
よく分からないけど、怖いから近寄らない。
絶対やだ。
「バルリング侯爵令息とは二度とお近づきになりたくないです」
「ええ分かっていてよ。お母様に任せておきなさい」
その後、バルリング侯爵家からは謝罪の手紙が届いた。
謝罪だけでなく、婚約の打診が来たのには私も顎が外れるかと思う位口を開けてしまったのである。
斜め上過ぎる回答は、最大限のお詫びであり、顔に傷をつける所だった=傷ついたも同然=責任を取ります!というおかしな三段論法が丁寧に綴られていたという。
頭おかしい。
父は呆れ、母は激怒していた。
勿論、二度と会いたくないと娘が脅えているのでとお断りしてもらう。
もしかしたら最初からそれが狙いだったのか。
危なかった。
顔傷つけちゃったてへぺろ!もう他家にお嫁にいけないね☆作戦か。
そんであれでしょ?傷ついた顔をねちねち化け物だとか何とか責めて、けれど僕だけは愛するとかわけわかめな事言い出すやつでしょ?知ってる知ってる。経験済みです。さようなら。
二度と顔を見せるな!
ちなみにシトリンにお礼の手紙を書かされて、仕方なく書いた手紙は十倍になって返って来た。
よく書くことあるなそんなにと思いつつ目を通したけど。
背中が痒くなりそうな誉め言葉と愛の言葉と気遣う手紙だった。
ちなみに、私の使った食器は大事に額にしまって飾ってあるらしい。
怖い。
この世界で私、無事に生き延びられるのかしら。
自信なくなってきた。
続きはいつか書くかもしれないし書かないかもしれません。頑張って生きて行って欲しい。
最近暑いので皆様ご自愛ください。練乳氷バーにハマってます。




