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第8話 所詮ヤリモクはヤリモク

「じゃあ、行きたいところがある。案内する」


 春海の提案に、ヨシは頷いた。二人は手早く食事を終えて、会計を済ませて、街へと繰り出す。なんとなく、気が急いていた。それはヨシも同じみたいだ。

 夜の街は、さまざまな人々で賑わっていた。居酒屋の呼び込みの声に、酔っ払いの笑い声。車の走行音に、たくさんの足音。騒々しい音の中、ヨシは春海の隣で「嬉しい」と囁く。

 春海も春海で、緊張していた。とはいえ、これからとるべき行動は、すっかり身体に染み付いている。これまで何人も相手にして、何度もしてきたことだから。

 繁華街を進むにつれて、だんだん夜の店が増えてきた。そういうホテルも立ち並んでいる。街並みの変化を察したのだろう、ヨシが焦った様子で春海の服の裾を掴んだ。


「ハルさん、ここ、夜のお店です。戻りましょう」

「いや、ここで合ってる」


 ひたり、と二人の目が合った。ヨシが怯んで、逃げるように手を引く。春海はその手を掴んで、捕まえて、指を絡めた。掌の大きさも、指の長さも太さも全然違って、ぞくぞくした。

 この手で、めちゃくちゃにしてほしい。春海の身体は浅ましいから、もうヨシの熱を期待していた。


「俺、これくらいしかできないから。だめ?」


 上目遣いでヨシを見つめる。ヨシの喉仏が、上下した。

 勝った。春海は勝利を確信して、手を引く。唇が、笑みの形に歪んだ。

 だけどその手は、あっけなく振り払われる。え、と、間抜けな声が漏れた。ヨシは唇を噛んで、「あの」と声を絞り出す。


「ハルさん。やめましょう、こんなこと」


 ヨシは顔を赤くして、「ハルさんが嫌なわけじゃないですよ、でも」と首を横に振った。俯いて、口ごもりながら、慎重に言葉を並べていく。


「ただ僕は、こういうのはまだ、ちょっと……。もっと他のことしませんか。今の時間からなら、鶴舞つるま公園で夜桜を見れるし……」


 慌てた様子で端末を取り出して、検索を始めた。春海は、呆然とヨシを見上げる。まるで理解できなかった。まさか、春海の唯一の財産である身体を、受け取ってもらえないなんて。

 ここまで来て、身体の関係を断られるなんて、初めての経験だった。

 そしてどうやら春海の身体は、ヨシにとって、返礼としてふさわしくないらしい。それだけは、よく分かった。

 じゃあ、春海がヨシにしてあげられることは、何もないということだ。


「そっか」


 頷いた。ヨシはほっとした顔で「じゃあ」と微笑む。


「ごめん」


 春海は、うなだれた。一回深く、息を吐く。すぐに顔を上げて、にこりと微笑んだ。

 ここでショックを受けた素振りを見せたら、ヨシは傷つくだろう。

 少なくとも今、春海は、目の前でヨシが傷つくところを、見たくはなかった。


「うん。じゃあ、鶴舞つるまいに行く? そんなに時間もかかんないし」

「は、はい!」


 途端にヨシの表情が明るくなる。二人は地下鉄を乗り継いで、夜の鶴舞へと向かった。

 長いエスカレーターを上がり、地上へ出る。その間、二人は無言だった。

 公園の樹木がライトアップされているのが、遠目からでも見えた。桜は、もう散り始めている。それでも照明の光を浴びる桜から、花びらがひらひらと落ちてくる様は、十分に幻想的で美しかった。

 一緒に、桜の咲く道を歩く。たくさんのカップルがいた。仲睦まじく、手を繋いで歩いている。


 いいなあ、と思った。

 そんなことをする相手を作ろうと思ったことはないし、作る方法も分からない。この場でそれができないのは、春海だけだろうか。なんだか、疎外感があった。

 ヨシは緊張の面持ちで、桜をじっと見上げていた。その横顔をちらりと見る。本当に、見た目も、かっこよくなった。

 だから春海なんかには、もったいない相手だ。春海はヤリモクだ。ヨシにはこんな爛れた奴とじゃなくて、もっとちゃんとした相手と、ちゃんとした恋を育んでほしい。

 身体以外に価値のない春海は、ヨシの隣にいる資格みたいなものが、ないと思う。だってヨシは、素敵な人だから。

 春海は、身体以外に何も差し出せないから。苦しかった。


「綺麗ですね」


 ヨシが、まっすぐに春海を見つめて言う。なんとも言えなくて、春海は「そうだな」と苦く笑った。今の言葉が、夜桜だけに向けられたわけじゃないことは、分かる。

 ヨシの期待していることは、うっすら察していた。だけど春海はきっと、それに応えられない。身体の関係以外で繋がる方法を、よく知らないから。


 そのまま公園をぐるりと回って、二人は解散した。ヨシは控えめな笑みを口元に浮かべて「また」と手を振る。春海は曖昧に笑って、じゃあ、と手を振った。

 もう、会ってはいけないと思いながら。


「もう俺みたいなのに、引っかかっちゃダメだぞ。お前、いい奴なんだから、他にいい人がいるって」

「いいえ。ハルさんが一番ですよ」


 ヨシは冗談だと思ったみたいで、笑っていた。

 そして自宅に帰った春海は、ヨシをブロックした。

 これ以上、ヨシの時間を奪いたくなかった。


 シュンポロンを開くことも、ほとんどなくなった。ぽつりぽつりと日記を投稿しても、たいてい食事の内容とか、天気とか、無味乾燥な内容だった。

 ヨシからのマッチング申請は、来なかった。ほっとして、春海は再び、他のマッチングアプリに没頭した。

 シュンポロンは、何も通知を送ってこなかった。春海はマッチングアプリに没頭した。いつも通り、何人かの男と出会った。

 いつものように日々は過ぎる。春海はマッチングアプリに没頭した。いつも通り、何人かの男に抱かれた。

 肌を重ねても、熱を受け入れても、どうしても寂しかった。こんなはずじゃない。前は虚しさをいっときでも、忘れられたのに。

 じりじりと焦りに似た恐ろしさが、春海の胸の底で燃える。こうなったらもう、認めなくてはいけなかった。


 春海はヨシに惹かれている。だから他の男と関係を持っても虚しいだけだった。

 春海はヨシと出会って、変わってしまった。きっともう、前と同じ生き方は難しい。

 どうしようもない。春海は呆然と、溜まったマッチングアプリの通知を見つめた。

 工藤からも、最近の様子を尋ねるチャットが来ていた。それも、なんだか後ろめたくて開けない。


 今度は、マッチングアプリのチャット機能の通知が来た。セフレの一人が、休日の夜のお誘いをしてきたのだ。

 こいつでいいや。春海は考えるのをやめた。

 日時のすり合わせをしながら、春海は唇を噛んだ。

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