エピローグ:そして日常は続く
こうして、春海は光由と付き合い始めた。今のところ、順調だ。
そのためシュンポロンを退会することを、工藤へ伝えた。夏の金曜日の夕方のことだった。
工藤は椅子から転げ落ちて、快哉を叫んだ。
「やったー!」
「え、何。なに」
工藤の奇行に慣れている春海は、彼を助け起こしてやる。書類の雪崩は、竹村が片付けてくれた。
身体を起こした工藤は、ずれ落ちたメガネを掛け直す。よかった、よかった、と何度も頷いていた。
「やっぱり僕の『アンドロギュノス』システムは最高だ!」
「そこで自画自賛がはじまるのが、工藤だな」
呆れた口調で言ったものの、春海は笑っていた。工藤はメガネを得意げに、くいくいと上げ下げする。
「おめでとう。君は、運命の相手……魂の片割れに出会えたんだね」
「魂の、片割れ?」
少し耳馴染みのない言葉の選び方だ。首を傾げると、工藤は「アンドロギュノスさ」とにやりと笑う。
「プラトンの『饗宴』にて披露される一節だ。人間は昔、頭が二つ、腕が四本、足が四本の生命体だった。男と男、男と女、女と女がひっついていたんだ。その状態をアンドロギュノスと呼ぼう」
「え、キモ。なに……? 人間二人でひとつ、ってこと……?」
「そうだ。それでな」
戸惑う春海を置いて、工藤はべらべらとしゃべり続ける。相変わらず、自分の世界に入った途端、おしゃべりになる奴だ。春海は生ぬるい目で見守った。
「ある時神の怒りに触れて、アンドロギュノスはまっぷたつに割かれてしまった。この片割れが『シュンボロン』、割符。惹かれ合う魂の片割れ、運命の相手同士さ」
また小難しいことを捏ねているが、どうやら「シュンポロン」の名付けの話をしたいらしい。「それで?」と促した。
「僕はここから着想を得て、マッチングアプリとそのAIを名付けた。運命の相手を探すためのアプリ『シュンポロン』と、それを導くAI『アンドロギュノス』だ」
「シュン『ポ』ロンなんだ。シュン『ボ』ロンじゃなくて」
そうだよ、と工藤は頷いた。春海は勝手に梅こんぶの袋を取り上げた。工藤は特に咎めず、続けた。
「僕のAIができるのは、せいぜい運命の相手の候補探しでしかない。魂の片割れたる相手を探すのは、アプリ利用者本人だ」
だからだよ、と工藤は言った。春海は気のない返事をしつつ、梅こんぶをしゃぶる。
「本当の片割れであるシュンボロンは、利用者自身が見つけなければならない。そういう意味を込めて、弊社はシュンボロンではなく、不完全な『シュンポロン』を開発したのさ」
「つまり、本当の愛は、自分で掴めってこと?」
「そうだ」
嬉しそうな工藤は、「僕みたいに、片割れのない人もいるし」と身体を揺らした。その後ろでは、竹村が熱い視線を注いでいる。
これは厄介だな、と春海は肩をすくめた。荷物をまとめて立ち上がる。
「よく分かったよ。工藤、はいこれ」
手渡したのは、コンビニ袋だ。中には、大量の梅こんぶが入っている。
「ありがとう」
それだけで、この二人には十分だった。工藤はうやうやしくそれを受け取る。メガネを外して、目元の涙を拭った。
「いやあ。僕もバグを直さなかった甲斐があった……」
「やっぱり直してなかったのかよ」
「だって、ブロックを貫通してまで繋がるなんて、絶対に運命の相手だろう。どうして直す必要がある?」
春海もこれには爆笑だ。工藤は優しいが、独断専行でことを進める癖がひどい。春海は、そういうところが愛しいのだが。結局、自分たちもまた、破れ鍋に綴じ蓋なのだ。
腹を抱えて二人で笑っていると、工藤の端末が鳴る。
「すまない、取引先だ。では春海、また」
軽く会釈をして、春海は外へ出た。ドアの向こうから「開発スポンサー打ち切り!?」という工藤の叫び声が聞こえてくる。
この分だと、他にも何かしらヘマをやらかしているらしい。シュンポロンはどうなるのだろうか。
今度は慰めに行ってやろう、と春海は決めた。
端末を確認すると、チャットの通知が来た。光由だ。
大学の授業が終わったから、名古屋駅へ向かうらしい。春海も「俺も今から行く」と即座に返信して、おんぼろアパートの階段を駆け降りた。
電車で夕暮れの名古屋駅へ向かう。夏のじっとりした暑さは、夕方でも容赦なかった。これからどんどん暑くなる。
名古屋駅の中央コンコースの広場にある、待ち合わせのシンボル。背の高い金時計。
光由は、もうそこにいた。夕焼けの光を浴びながら、人混みの中で、二人はお互いを見つける。
「春海さん」
名前を呼ばれた。春海はきゅうと目を細めて、「待った?」と尋ねた。光由は、ゆるやかに首を横に振る。
「全然。今来たところです」
「じゃあ、行こうか」
自然と手が近づいて、指が絡む。二人は笑い合って、歩き出した。
「俺、今日は居酒屋で飲みたいな」
「じゃあ僕、気になってるところがあって……」
二人で穏やかに会話しながら、暮れていく街を歩く。まだまだ明るい街並みは、傾いた日差しのあたたかな色に染まりつつあった。
関係の進展は、遅いのか早いのか、よく分からない。ただ、まだキスもしていないこの速さが、二人のペースだった。
「光由、ありがとう」
ふと、春海は呟いた。これまで通っていた繁華街の奥を一瞥して、大通りを行く。
「なにが?」
首を傾げる光由に、「全部だよ」と春海は笑った。繋いだ手を振る。
「お前のおかげで、俺は最近、楽しい」
これまで散々感じていた寂しさは、まだある。だけど光由のおかげで、虚しさは感じなくなっていた。
光由は、春海の心の穴を埋めてくれた。
その本人はいまいちピンと来ていないようで、「ふうん?」と首を傾げている。
「そういえば、お前はなんでシュンポロンのテストに参加したんだ?」
「ああ、ゼミの先輩に誘われたんです。先輩の先輩が開発者らしくて……」
「そうなんだ。え、もしかして俺たちって、大学同じかも。俺、開発者の工藤と、学部違いの同級生だったから」
「本当ですか?」
他愛のない会話をしながら、二人は雑踏の中を進んだ。何も恐るべきことはない。
手を繋ぎ直して、身を寄せ合った。
その後、シュンポロンは開発資金不足で、正式リリースされない運びになった。春海は工藤を慰めるために酒と梅こんぶを持ってかけつけたが、アパートのドアを開けたら、工藤と竹村が熱い抱擁を交わしていた。
泣きじゃくる工藤を抱きしめる竹村の鋭い目配せに、春海は黙ってドアを閉じた。これからは、そういうことになるのだろう。
光由にそのことを報告すると、彼は「おめでとうございます」と素直に祝福していた。春海は彼がかわいくて、いつ取って食ってやろうかと手ぐすねを引いている。だけど彼のはじめては、大事にしたい。それにまだもう少しだけ、童貞の彼氏をかわいがっていたい気もしていた。
春海と光由のお付き合いも、そんなこんなで少しずつ進展していった。キスもその先も、楽しみながら、進んでいく。
何年かかっても、きっと大丈夫だ。
実際に春海と光由が魂の片割れかどうかは、誰にも分からない。証明するすべはない。
だけど二人に、そんなものはいらないのだ。だってお互いが大好きで、大事だから。
今日も春海と光由は、お互いを求めながら、生きている。
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