第10話 春海の本音
「俺はこれまで、恋人がいたこと、ないんだ」
春海の告白に、ヨシは目を丸くした。居心地が悪くて、「作り方が分からなかった」と白状する。
「どうやって、人と仲良くなったらいいか、わかんない……」
縮こまる春海を勇気づけるように、ヨシが春海の手を取った。強く握られて、春海は顔を上げる。
「だから、行きずりの関係でおしまい。それが楽だし、いちばん傷つかないで済むって、思ってた」
「そうだったんですね……」
ヨシはただ、穏やかな目で、春海を見つめた。久しぶりに身も心も安心して、身体の力が抜けていく。ゆっくり、息を吐くことができた。
「うん。だから、最初、ヨシを見た時はびっくりした」
笑い混じりに言えば、「ええ」と恥ずかしそうにヨシが身じろぎする。春海の胸が、じんわり熱くなった。
「こんなに純情そうな子が、俺なんかとマッチングなんて、ありえないって思った。……取って食えなかったんだ。お前のこと」
ヨシの顔が赤らむ。だからね、と春海は続けた。今は素直に、ヨシがかわいいと思える。ヨシの照れた顔をまじまじと見つめれば、ますます視線が合わなくなった。おどけた口調で言う。
「俺みたいな貞操ガバガバの人間が、お前の時間を、とっちゃいけないって思ったんだ」
ヨシが「それは違います」と、首を横に振った。呆れたように目を細めながら、でもその指は、優しく春海の手を撫でる。春海の言葉へ反抗するように、彼は口を開いた。
「僕はたしかに、春海さんと比べたらガキですけど、成人ですよ。お酒も飲めますし、そういうことの知識もあります」
「うん、そうだね。お前は立派だ。立派だから……」
言葉に詰まって、春海はヨシを見つめる。ヨシは目を伏せて、「そういえば」と自嘲するように低く笑った。落ち着く声だ。
「春海さんが僕の服を見てくれたとき、僕に『なめられやすいだろ』って言ってましたよね」
「あー。言った」
まったくの暴言だ。居心地悪く首をすくめる春海に、「その通りです」と、ヨシは頷いた。だけど怒った様子も、傷ついた様子もない。
「僕、小学校の頃、いじめられてて……それからずっと、自分に自信がないんです」
ヨシの話に、今度は春海が彼の手を握った。彼はちいさく笑う。指と指が絡まった。手をしっかり繋いで、二人は見つめ合う。
「いじめ自体は、いじめっ子と別々の中学に進学してなくなりました。それから、いじめられないために筋トレしたり、いろいろ試しました。でも、なくした自信だけ、結局どうにもならなくて」
ただただ、ヨシを労るように、春海は手を握った。その春海に、「あなたは優しい」と、ヨシが呟く。不意をつかれて、春海は「えっ」と声をあげてしまった。
「そんなこと、あるか?」
怪訝な顔をする春海に、ヨシは「優しいですよ」と繰り返した。
「家族はみんな、僕の過去を知っているから、ありのままを受け入れてくれた。でもハルさんは、そこからさらに一歩、踏み込んでくれた。だから僕は、変われたんです」
まったくものは言いようだ。春海の無神経な発言が、まさかこんなに親切なものに聞こえるだなんて。怒られたって仕方ないと、春海は思うのに。
おかしいやら、切ないやらで、春海の口元は笑みの形に歪んだ。
ヨシは穏やかに、「だから」と続ける。次に何が来るのか、分かってしまった。どくん、と胸が高鳴る。
「僕は、あなたが好きです。執着している、と言ってもいい」
ひそやかに落とされた言葉に、ひくりと春海の身体が震えた。
「ブロックされても諦められなかった。また、綺麗なあなたに会いたかった。しつこくした、自覚はあります。だけど」
ヨシは、「あなたもでしょう」と、確信を持った口調で言った。
「ハルさんは、僕のこと、好きですよね?」
勘弁してくれ。春海は目を逸らした。頬が熱い。それはそのまま、ヨシへの返事だった。
ヨシは満足げに笑って、「かわいい」と囁く。それだけで、ぞくぞくするほど嬉しかった。春海の全身に喜びが満ちて、恥ずかしくて、足の指を丸める。
ヨシは顔を少し近づけた。低く、少しだけ険しい声で囁く。
「だから僕、嫉妬してるんですよ」
春海の髪に、恐る恐るヨシの指が触れる。前髪を払われて、目が合った。
「なにを」
「レオって、誰ですか?」
思いもよらない名前が出てきた。春海が驚いて目を瞬かせると、「だって」とヨシが不服そうに唇を尖らせる。
「僕がその人に似てるって、春海さんが言って……」
あの居酒屋で話した時か、と合点がいった。くつくつと、喉が鳴る。気づくと春海は笑っていた。
ヨシは「ちょっと」と憤慨したように唇を尖らせる。ごめん、とひたすらに平謝りした。それでもやっぱりおかしくて、笑い混じりになる。
「それ、昔飼ってた犬」
「いぬ」
おうむ返しにするヨシへ、春海は頷いた。安心させるように、ヨシを引き寄せる。自分から抱きしめてみた。性的な接触ではないのに、どきどきする。
「うん。黒いラブラドール。俺の安全地帯だった、大事な子。高校へ上がる前に死んじゃった」
ヨシは、それ以上何も尋ねなかった。春海も、今は、それ以上を言いたくない。
二人にはきっと、もっと深い打ち明け話をする時間が、たっぷりあるのだから。
「今度、また話すよ。いっぱい、いろんなこと、話そう」
春海が笑いかけると、ヨシは力強く抱きしめてくれた。それだけで、十分すぎるくらいだった。
それから、万が一にも勘違いされてはいけないので、春海はマッチングアプリを全て退会した。もちろん、ヨシの目の前で。
ヨシは「そこまでしなくても」と口では言っているものの、内心はどうだろうか。やたらぎらついた目で、ひとつひとつアプリを退会する指先を見ているから、それが答えだろう。
最後に、シュンポロンが残った。二人は、顔を見合わせた。
「これもやめる。連絡先、教えて」
春海がねだると、ヨシはチャットアプリのアカウントを開いた。赤城光由、と表示されている。
「あかぎ、みつ、よし……?」
たどたどしく読み上げると、「はい」と上擦った声でヨシが言う。春海は「みつよし。みつよし」と何度か呟いた。
「うん。じゃあ、光由。これが俺のアカウント」
フレンド申請を送る。名前は、三島春海。光由は「みしまはるみ」と、噛み締めるように発音した。
「春海さん」
「ん」
恥ずかしい。自分を下の名前で呼ぶ人が増えるのなんて、いつぶりだろう。
光由は「うれしい」と囁いて、何度も春海のアイコンを指でなぞった。アイコンは、ラブラドールのレオだ。
「この子がレオ?」
「うん。かわいいだろ」
春海は笑って、光由へしなだれかかった。じゃれるように身体を委ねると、ぎこちなく腕が伸びて、肩を抱かれる。
(こういうの、嬉しいな)
春海はうっとり笑った。光由は照れて、「恥ずかしい」とうめいている。
とはいえ、春海と付き合ってしまったのだ。これからたくさん恥ずかしい目に遭うことを、覚悟してもらわなければ困る。
「ねえ、光由」
そしてそれは、春海も同じだ。真っ直ぐに恋人を見つめて、微笑んだ。
「……好きだよ。俺を選んでくれて、ありがとう」
光由は、「そんなの」と、微笑んだ。控えめな笑みに安心する。
「こちらこそです。俺を選んでくれて、ありがとう」




