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ネガティブ制御訓練

 翌日、私は村はずれの丘に立たされていた。

 立たされていたという表現が一番近い。

 目の前には腕組みしたカイ、その横にはぷにコーン。

 足元には、私のもしを受信して育ちそうな土。


「では本日よりネガティブ制御訓練を開始する」


「タイトルが怖いです」


「安心しろ。もっと怖くなる」


「安心できませんけど」


 カイは空を指さした。雲ひとつない、穏やかな青。平穏。つまり爆心地候補。


「いいか、ルナ。お前は最悪のケースを一瞬で思いつく。それ自体は才能だ」


「……褒められてる気が全然しません」


「褒めてない。問題は、そこで終わってることだ」


 カイは指を二本立てる。


「最悪を思い浮かべたら、その直後にそれを打ち消す想像を重ねろ。最悪A → それを防ぐBだ」


「AのあとにB……」


「前はAだけで終わってたから全部現実化してた。今日からはBで上書きする」


 なるほど。理屈はわかる。

 わかるけど、Bを考える間にCとかDとかEとかZまでが増殖しそうで怖い。

 カイは私のネガティブを甘くみている。


「まず練習だ。小さなところから行くぞ。もし小石につまづいたらを想像しろ」


「小石につまづいたら膝を擦りむいて、血が出て、そこから感染して、足が——」


「そこで止まれ!!」


 カイが声を張る。私の脳内の足がギリギリで切断を免れた。


「次! それを防ぐBだ」


「えっと……転ぶ前に、誰かが手を取ってくれる」


「よし、そこを強くイメージしろ」


 私は深呼吸して、手を取られる自分を思い浮かべる。

 支えてくれる誰か。たぶん、カイ。もしくはぷにコーン。

 ぷにコーンは手がないけど気持ち的に支えてくれている。


 足元の石が、ころんと横に転がった。


「避けた?」


「ほう。今のがBで上書きだ。成功だな」


「できたー!!!」


 胸がふわりと温かくなる。

 その瞬間、温かさが膨張し始める。危険。


「深呼吸しろ、喜びすぎるな」


「はい!」


 私は慌ててぷにコーンを抱きしめる。

 ぷにコーンの体温が胸のふくらみを押さえてくれる。セーフ。

 空は爆発しなかった。

 カイが頷く。


「次。少し大きいの行くぞ。もし迷宮が暴走したらを想像しろ」


「毎日してますけど」


「いつも通りでいい。ただしBを忘れるな」


 私はゆっくり目を閉じる。


 もしダンジョンが暴走したら。

 根が一斉に伸びて村を飲み込み、トウモロコシの塔が王都まで貫通し、王宮がポップコーンになって、国王が「サクサクじゃな」とか——


「長い!!」


 カイのツッコミで映像が中断する。


「Bは?」


「えっと、暴走しかけたところで、迷宮が自分でブレーキをかける?」


「どういうイメージだ」


「迷宮が『今日はやめとこう』って気分になる感じで」


「勝手に擬人化するな」


 とはいえ、私は必死にブレーキのかかったダンジョンを想像した。

 暴走の手前でぷにコーンが座り込み、「ぷに!」と全体を落ち着かせる。


 丘の下に見えるダンジョン入口の周りで、土の脈動がふっと静まった気がした。


「止まった?」


「お前のせいでそもそも動いてたのが怖いが、今のも一応成功だ。いいか? ネガティブを消すにはそれをちゃんと最後まで見てから打ち消すイメージを重ねるんだ」


「最後まで……」


 私は自分の胸に手を当てた。

 いつも途中で止めようとしてかえって不安を増やしていた気がする。

 半端な怖さが、現実のどこにも行けずに暴走していたのかもしれない。


「少し、わかってきたかも」


「よし。じゃあ仕上げだ」


「仕上げ?」


 カイがにやりと笑う。嫌な予感がする笑いだ。


「もし訓練中に俺が死んだらを想像しろ」


「なんでそんなピンポイントな最悪を!!?」


「実際、よくありそうだからな」


「やめてください!!」


 それでも訓練だから、やるしかない。

 私は震えながら目を閉じた。


 もし訓練中にカイが死んだら。

 ダンジョンに飲まれ、モンスターにやられ、私の誤爆に巻き込まれ、村人に責められ、ギルドに責められ、学院にも責められて、私は辺境どころか世界地図から落ちて——


「そこでBだ!!」


「えっ、えっと……全部ギリギリで避けて、カイが『お前がいると飽きないな』って笑って終わる!」


「なんで最後に余計な台詞を付ける」


「イメージ強めにしないと負けそうで!」


 私はそのギリギリで避ける未来を強く想像した。

 カイが矢を紙一重で避け、落石を飛び越え、私の誤爆をしゃがんで回避しながら、最後に苦笑いしている姿。


 足元の土がふっと盛り上がる。

 カイの頭上にあった小石が勝手に横に転がった。


「今、何か避けませんでした?」


「さっきから俺の頭上だけやたら安全になってるな」


「成功ですか?」


「成功なのか? まあ、悪くはない」


 カイがわずかに口角を上げた。

 その笑みが嬉しくて、胸がまたふわっと——危ない。

 私は慌ててぷにコーンを抱き上げた。


「ぷにコーン、冷やして!」


「ぷにっ」


 ひんやりした安心が胸に広がる。

 よし、今日はわりと上手く、その時だった。


「ルナー! 水汲み終わったかー?」


 丘の下から村人の声。

 あ、水。そういえば、訓練前に「あとで水汲みを手伝います」と約束していた。


「わあぁぁぁ! 忘れてた!!」


 パニックの電流が頭を走る。


「もし今から水を汲みに行ったら、バケツをひっくり返して、誰かにかかって、風邪をひいて、村が大混乱になって、罪悪感で——」


「待てBを出せ」


「もし最初からみんな眠くなったら、何も起きない!」


 口が勝手に続きのBを吐き出した。眠れば安全。

 寝ていれば誰も怪我をしない。誰も怒らない。時間もやり過ごせる。


 最高の防御。

 最悪の発想。


「おい、ルナそれは?」


 カイの制止より早く、空気がふっと柔らかくなった。

 風が甘く、重く、湿った毛布みたいな気持ちが悪い感触を運んでくる。


「あれ?」


 丘の上の草が、ゆらりと揺れて座り込んだ。

 空を飛んでいた鳥がそのままフワッと地面に着地して丸くなる。


「ちょっと待てこれは——」


 カイが言いかけて、あくびをした。


「……ねむ」


「カイさん!? ね、寝ないで!! 起きてください!! 私の安全装置が世界攻撃になってる!!」


「お前の防御はだいたいそうなるんだよ……」


 そう言いながら、カイはその場で座り込み、気持ち良さそうに寝た。

 顔が平和だ。余計に罪悪感が増す。


「ぷ、ぷにコーン! あなたは……」


 振り向くと、ぷにコーンも私の腕の中で寝息みたいな波を出していた。


 遠くで洗濯物を干していたおばさんがそのままロープにもたれてすやすや。

 犬も丸くなり、ダンジョン入口の見張りもぐうぐう。


「やってしまった……! 村単位で昼寝!」


 私だけが、目を覚ましている。

 ネガティブ訓練の結果が全員睡眠。

 世界から音が消え、風の音と寝息だけが残る。


 そして、静けさに誘われたのか、ダンジョンの方がふつふつ動き始めた。


「まさか……」


 丘から見下ろすとダンジョンのあたりがゆっくりと色づいていくのが見えた。

 黄色の海に別の色が混じり始める。


 ピンク、青、白。

 とうもろこしの茎の間から一斉に花が咲き始めていた。


「花畑化してる?」


 眠りの世界へようこそ、とでも言うように、ダンジョンの上に広がる地表が色とりどりの花で埋め尽くされていく。

 花の形はどれも不規則だ。

 ところどころポップコーンっぽいのが混ざっている。

 統一感はないがやたらと綺麗だ。


「今度は破壊じゃなくて、完全に観光地化しそう」


 私は頭を抱えた。

 下ではカイがぐうぐう寝ている。


「お、起こした方がいいよね、でも、下手に起こしたら寝ぼけて斬られるかも」


 最悪の想像がまた始まる。

 カイが寝ぼけて大暴れし、花畑が戦場になり、村人全員が寝ながら戦い——


「はぁぁぁああ」


 自分で自分にツッコミを入れ、地鳴りのようなため息を吐いた。

 とりあえず今は、誰も怪我していない。

 世界は静かで、花はきれいで、カイもぷにコーンもよく眠っている。


「これはこれで、成功なのかな?」


 防御としてはやりすぎだが、破壊よりはマシかもしれない。

 私はそっと隣に座り込み、寝ているカイを見つめた。


「ごめんなさい……起きたら怒るよね、絶対」


 その時、寝言が聞こえた。


「……もう想像が……芸術……」


「寝言でひどい評価もらった!」


 私は両手で顔を覆い、それから空を見上げた。

 花と爆発の真ん中で揺れる、自分のネガティブ。

 それをどう扱うか。答えはまだ出ない。


 でも——。


「次は寝ないで済む方法、考えよう」


 小さく呟くと、花畑の色が、ほんの少しだけ優しく揺れた気がした。

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