再出発
医療室の朝は昨日とは違う静けさをまとっていた。
白くて、柔らかくて、耳に刺さらない静けさ。
私の静けさ魔術大暴走の反動でもなく、世界が音を失った時の絶望でもなく、ただ普通の安心できる朝。
(こんな静けさ、久しぶりだな)
胸に手を当ててみても、ぽわが暴れない。
じわっとあたたかい。
ちゃんとあたたかさだけになっている。
「起きたか」
聞き慣れた声に振り向くと、カイが入口にもたれていた。
ぼさっとした前髪も、いつもの疲れ顔も、すごく安心する。
「カイさん……おはようございます」
「おはよう。寝顔は想像より穏やかだったぞ」
「寝顔チェックは恥ずかしい!」
「まあ、昨日の騒ぎを考えたら、寝られただけ立派だ」
冗談っぽいけど、本気で言ってくれているのが伝わって、胸がまたあたたかくなる。
「ぷに……」
お腹の上で丸まっていたぷにコーンが、小さく伸びをした。
まだ手のひらサイズのままだけど、昨日より少し光が戻っている。
「ぷにコーン、回復してきたね!」
「ぷにっ(当然)」
ぷにコーンは胸を張ったが、サイズのせいで説得力は無い。
それがまた可愛くて、笑みがこぼれた。
「おはよう、ルナ」
低くやわらかい声が結界窓から届いた。
闇ルナが昨日と同じ位置に立っていた。
でも表情が違う。
昨日みたいに闇そのものではなく、どこか静けさをまとった影になっていた。
「おはよう、闇ルナ。まだ名前は……あとでちゃんと考えるからね?」
「期待しています」
その返事は本気でも皮肉でもなく、素直な楽しみだった。
私の胸がまたぽわっと——
「あっ」
「落ち着け」
カイのツッコミが速かった。
「え、今は優しいぽわだから大丈夫です!」
「その区別を信用できるようになったのは進歩だな」
「本当にそう思ってます?」
「まあな」
アレクも医療室へ静かに入ってきた。
今日は珍しく控えめな光量だ。三割キラキラ。
「ルナ。君の内面が整っていく様子を見て、私は深く感銘を……」
「ちょっと待って、感銘どころか詩が始まりそうだからストップ!」
「まだ一句も詠んでいない」
「詠む前に止めます!!」
教授もその後ろから現れた。
「起きているようで何よりだ、ルナ」
「教授……ご迷惑を……」
「迷惑は慣れている。むしろ、昨日の結果は収穫が多かった」
「しゅ、収穫?」
「君が弱さの受容を経て、暴走が明らかに減少した。観念律の乱れ幅も、以前の半分以下だ」
「半分以下!」
(やっぱり、私の内面って世界に直結してたんだ……怖いけど、でも……納得できる……)
教授は巻物を掲げた。
「再出発の準備が整った。レヴァリア魔術院が君の受け入れ態勢を完了したとの報告が来ている」
「レヴァリア……いよいよ本格修行ですね」
「そうだ。学院での試験は合格したが、内面を扱う力はまだ道半ばだ。闇ルナの件も含めてな」
結界越しに闇ルナが静かにうなずく。
「私はいつでも同行する準備ができていますよ」
「いや、一緒に旅できるの?」
「できますよ? あなたの心の一部なんですから、無理やり離れたままにする方が不自然です」
「そ、そうだよね」
(私の闇なのに、昨日より怖くない……本当に変わったのかもしれない)
ぷにコーンが小さく「ぷに」と鳴き、胸をぽすぽすした。
行こうよという合図みたいに。
「……うん。私、行きます。レヴァリアへ」
その瞬間、カイもアレクも同時に言った。
「もちろん俺も行く」
「当然、私もついていく」
「いや、聞く前から決定事項なんですね!?」
「お前一人じゃ不安だろうが」
「旅は運命共同体だ」
「ぷに♪」
ぷにコーンまで元気よく賛成している。
「……ありがとう」
涙が出そうになる。
でも、今日は泣かない。
胸があたたかくても暴走しないから。
「出発は正午だ。荷物を纏め、心を整えておけ」
「はい!」
教授たちが退出していき、
闇ルナだけが結界越しに残った。
彼女は静かに言った。
「ルナ。自分が怖いと思っていたあなたは、もういない」
「たぶん、まだ少しはいるよ。でも——」
私は深呼吸して、まっすぐ彼女を見た。
「怖さも私だって言えるようになりたい。だから一緒に前に進む」
「……ええ」
闇ルナはやわらかい影の笑みを浮かべた。
「それでは、再出発ですね、私の本体」
「その呼び方やめてぇ!!」
カイとアレクとぷにコーンの笑い声(とぷに音)が医療室にやわらかく響いた。
私は胸に手を当てる。
静かで、揺れなくて、でも確かな温度。
(……大丈夫。行ける)
こうして私は、仲間たちともう一人の自分を抱えたまま、次の旅へ歩き出す準備を整えた。




