のどかな生活(予定)
翌朝。鳥の声で目を覚ました。
けれど、私はすぐに布団を跳ねのけなかった。
鳥が鳴く=外に生命の波動=観念律の共鳴=何かが芽吹く。
そうなる前に呼吸を整える。
深呼吸を三回。
今のところ花も火も出ていない。上出来だ。
村の窓から外を見る。
畑が広がり、陽が昇り、風が土の匂いを撫でていく。
平穏そのものだ。私は慎重に呟いた。
「今日こそ、穏やかに暮らす訓練を」
呟いた瞬間、窓辺の花瓶の水面が一瞬だけ波打った。
セーフ。
まだ爆発はしていない。
朝食はパンと野菜スープ。
村の子どもが戸口まで持ってきてくれた。
皿を受け取るとき、彼は怯えたように囁いた。
「災厄様、食べるとき、祈るんですか?」
「え、普通にいただきますですけど」
スープを飲み終え、村長の家へ向かった。
畑を手伝う約束がある。
道すがら視線を感じる。窓越し、軒下、物陰。
皆がこっそりこちらを見ている。
私はできるだけ柔らかく手を振った。
パッ。
手を振った軌跡に、花粉のように光が舞った。
村人が息を呑む。
「違います、これは挨拶の粉です」
挨拶の粉って言葉何だ?
我ながら苦しい言い訳をしたのだが、村人たちはそっと祈り始めた。
畑は村の北側にあった。村長が鍬を持ち、笑顔で迎える。
「ルナ、今日の仕事は簡単じゃ。耕す前に、畑を想像してみなさい」
「想像……」
「心が穏やかなら、作物も穏やかに育つ。お主の訓練にもなる」
そう言われてしまっては断れない。
私は畑の真ん中に立ち、両手を胸の前で合わせた。
豊かな土。柔らかい陽射し。穏やかな風。静かな作物。
でも、もし虫がついたらと思った。
虫が増えて、葉が枯れて、農薬を撒いて、誤って爆発して、村が――
「静かに、静かに!」
自分を制止したが、もう遅い。
地面が低く唸り、足元の土がボコボコと泡立つ。
「え、まさか――」
轟音と共に畑が沈んだ。
否、沈んだというより、広がった。
地面が開き、黒い土の中から金色の茎が立ち上がる。無数のトウモロコシ。
だが、止まらない。
地下に向かって枝分かれし、縦に、横に、延々と。
気づけば、足元には階段のような段差。風が地下から吹き上げる。
「これ、畑ですよね?」
村長は口を開けたまま頷くことも忘れている。
村人たちが駆けつけた。
「災厄様が大地に恵みを!」
「地下まで伸びる神の畑だ!」
えぇ……どちらかといえば地獄だ。私は慌てて否定する。
「違います! これは事故で、想像が、ちょっと深掘りして――」
「深掘りの神託じゃ!」
歓声が上がる。畑の入口を覗いた誰かが叫ぶ。
「下に階段がある! 光ってる!」
光? それは私の不安が可視化した警告光だ。誰も気づいていない。
子どもたちが次々に降り始める。
「待って! そこはまだ安全確認が――」
私は追いかけた。地下は冷たく湿り、根が壁のように絡み合っている。
ところどころに黄金色の実が灯りのようにぶら下がっていた。
綺麗すぎて不安になる。
「まるでダンジョン」
言葉にした瞬間、床が動いた。道が左右に分岐し、奥から風が吹く。
ダンジョンになった。私の言葉通りに。
「やっぱりぃぃぃ!」
私は余計なことをまた言ってしまい、頭を抱える。
後ろから村長の声。
「ルナ、素晴らしい! 村に観光地が出来たぞ!」
そういう話じゃない。
けれど、村人たちはもう大喜びだった。
出店の計画を立て、入口に祈祷札を飾り、名前まで決めていた。
「神コーンダンジョンだ!」
その名が決まった瞬間、天井からトウモロコシの粒が降った。
私は肩を落とし、ため息をついた。
ため息が風になり、風が花の香りを連れてきた。
どうやらダンジョンの外では花が咲いたらしい。
村長が笑いながら言った。
「これで村は豊かになる。宿屋も建てよう!」
「豊か、というより忙しくなる気が」
「忙しさは繁栄の兆しじゃ」
そう言われると、何も言い返せない。
◇ ◇ ◇
その日の夜、村は祭りになった。
私は功労者として呼ばれた。
壇上で笑顔を想像した瞬間に、頭上で小規模な花火が上がった。
みんな歓声を上げ、私は静かに顔を覆った。
「どうしてこうなるの……」
村人の一人が笑いながら言った。
「災厄様、笑ってください! 何もなかった村にダンジョンが出来た! これで多くの人が訪れるようになります!」
笑わないと不安に思われる。笑ったら爆発するので板挟みだ。
私は小さく口角を上げ、空気が震える。雷がゴロゴロと鳴る。
祭りの終盤、ダンジョン入口から小さな影が現れた。
子どもが抱えているのは、とうもろこしのようなぷにぷにした生き物。
「ルナ様、これ、動く!」
つぶれたスライムのように震えながら、私の足元に寄ってきた。
瞳のような粒が二つ。
私はしゃがみ込み、指先でそっと触れた。温かい。心臓の鼓動みたいな波動。
「ごめんね! 驚かせた?」
ぷに、と鳴いた。返事らしい。
瞬間、心の中の緊張がふっと緩んだ。
怖さよりも、愛しさの方が先に来た。
祭りの音が遠のく。
村人たちは笑い、火は揺れ、ダンジョンの入口は金色に光っている。
私は膝の上の小さなぷにを見つめながら思った。
穏やかに暮らす第一歩なら、悪くないかも。
そう思った途端、夜空に虹が出た。
花火と混ざり、光の橋のように村を包む。
村人が声を上げ、子どもが「神様!」と叫ぶ。
私は慌てて首を振った。
「違う、ただの気のせい!」
けれど、誰も聞いていなかった。
花と爆発の中間地点で、私は深呼吸した。
想像の訓練は難しい。
けれど、ほんの少しだけ笑えた気がする。




