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闇のルナ誕生

 目の前に、私が二人いた。


 一人は、ここに立って震えている私。

 もう一人は、砕けた黒い鏡の上にすらりと立つ闇の私。


 服も髪も顔も同じ。

 違うのは、目の奥にある色だった。


 私の目は常に不安でそわそわしているけれど、闇の私の瞳は落ち着きすぎていた。

 深くて、暗くて、底が見えない湖みたいに。


「……えっと」


 言葉が喉で引っかかる。

 どう呼べばいいのかわからない。


 向こうは先に口を開いた。


「こんにちは、ルナ」


 声も同じだった。少し低くて、抑揚が少ないだけで。


「え、あ、その……こんにちは?」


「挨拶、変じゃなかった?」


「いや、挨拶の問題じゃないです」


 教授たちが即座に結界を展開し、闇の私——闇ルナをぐるりと囲んだ。

 薄い光の膜が何重にも重なる。


「心象具《黒の鏡》が完全暴走……。予想以上だな」

「しかし具現化したということは、分離に成功したとも言える」


 小声で分析が飛び交う。

 こっちはそれどころじゃない。


「ルナ、下がれ」


 カイが私の前に立つ。


「大丈夫だってば。ね?」


 闇ルナが、私とカイを交互に見た。

 笑顔というより、口角だけ上げた無表情。


「最悪を想像するのは、悪いことじゃない。むしろ一番安全」


「安全?」


「そう。最悪さえ想像しておけば、それ以上にはならない。だから、世界は守られる。誰も傷つかない」


 それは、いつも私が心の中でこっそり思っていた理屈だった。


「どこでそれ聞いたの?」


「あなたの中でずっと言ってた」


 闇ルナは自分の胸を軽く叩く。


「もしを繰り返して、嫌な未来を全部先に見て。それを避けられれば安心できるでしょ?」


「それは……まあ……」


 だからこそ私はいつも最悪のイメージばかり増やしていた。

 その結果、現実の方が引きずられて爆発やら迷宮やらを生んでいるわけだけれども。


「君」


 教授が前に出る。

 闇ルナは首をかしげた。


「名前はなんと名乗る?」


「そうですね」


 闇ルナは少し考えてから、さっくり言った。


「ルナでいいんじゃないですか?」


「ややこしい!!」


 私とカイの声が重なった。


「じゃあ、わかりやすく闇ルナで」


「名前に闇を付けるのはやめた方がいいと思うよ!?」


「本質を隠すの好きじゃないんです」


 ぐうの音も出ない。


 そのとき、肩の上のぷにコーンが身を乗り出した。


「ぷにっ!」


 闇ルナをじーっと見上げる。

 そして、ぽんっと床に飛び降りて、彼女の足元までころころ近づいた。


「ちょ、ぷにコーン!? 危ないってば!」


「ぷにー」


 ぷにコーンは闇ルナの裾に頰をすりすりした。


 え、なにそれ。

 まさかの懐き。


 闇ルナはほんの少し目を丸くした。


「あなた、私のこと怖くないの?」


「ぷに♪(むしろ落ち着く)」


 たぶんそんな意味の音。

 ぷにコーンの体表が、ほんのり安心色の光を帯びている。


「おい、スライム」


 カイが眉をひそめる。


「危険存在を察知して警戒するところだろう」


「ぷに!(ちがう)」


 ぷにコーンは抗議するように跳ねて、闇ルナの足にぺちんと触れた。

 その瞬間——


 薄暗かった空気がさらにしっとり落ち着いた。


「あ、なんか……」


 胸のざわざわが、一瞬だけ楽になった。

 怖いんだけど、怖さが整理された怖さに近づく感覚。


 闇ルナが小さく笑う。


「ふふ。見ての通り、私は怖いをまとめるのが得意なんですよ」


「誇るポイントおかしくない!?」


「ネガティブをきちんと管理するのは立派な才能です」


 アレクが感心したように手を打った。


「なるほど。ルナの想像の闇そのものか。だが、闇は光の反対ではない。光を必要とする側だ」


 教授は腕を組み、闇ルナをじっと見つめる。


「君の役割は理解した。しかし、こちらとしては学院の安全も守らねばならん。君をこのまま外に出すわけには——」


「いやです」


 闇ルナが、食い気味に即答した。


 その声に空気がぴしっと張り詰める。


「私はここから外に出るために、生まれたんですよ。内側で押し込められ続けてきた不安が、ようやく世界を見るために」


 私の胸が、どくんと鳴った。


(外に出たい? そんなこと、思って)


『思ってたよ』


 闇ルナが、私にだけ聞こえる声で囁いたような気がした。


『怖い未来を想像して、これを誰かにちゃんと伝えられたら事故は減るのにって』


 言われてみれば、何度も思っていた。

 「こうなったら危ない」「ああなったら壊れる」

 でもそれを言葉にする前に現象として爆発させてしまっていた。


「それは、そうだけど……」


「だから私は言うんです」


 闇ルナはきっぱりと宣言した。


「最悪を想像するのが一番安全」


「そのキャッチコピーやめません!?」


「防災標語としては優秀だと思いますけど」


 教授が頭を抱えた。


「たしかに危機管理としては理にかなっているが問題は君のスケールだな。最悪を想像した結果、世界が揺れるのはいただけない」


「だからこそ、私が外向きに引き受ければいいんですよ。ルナ本体は、もう少し前向きに想像していれば」


 闇ルナは私を指差した。


「ほら。本体は守りたいとか壊したくないとか言ってる。素晴らしい進歩。でもその下には、まだどろどろした恐れがある」


「どろどろって言い方やめて……」


「だから、そのどろどろを私が持つ。あなたは上澄みだけ見て、少しだけポジティブに想像すればいい」


「それ、本当に安全なのか?」


 カイが冷静に口を挟む。


「根っこを全部外付けにするのは、別の危険を生む。バランスが崩れる」


「そうですかね?」


 闇ルナは小首をかしげる。


「最悪を必要以上に考えて、身動きできないよりマシじゃないですか? 私が代わりに全部怖がっておけば、表のルナはやりたいように動ける」


 それは一瞬だけ魅力的に聞こえた。


(全部、怖がる役を任せられたら……私はもう少し前を向ける? 爆発のトリガーも減る……?)


 ぽわ、が危険な色で揺れかける。


「ルナ。乗るなよ」


 カイの声が低く落ちる。


「怖がるのを全部切り離したら、お前はただの無防備な火薬庫になる。ブレーキも外れるぞ」


「それは困る」


「ですよねえ」


 闇ルナは肩をすくめた。


「べつに全部を持っていくとは言ってませんよ。ちゃんと話し合いましょうよ。私が外に出たのはあなたを壊すためじゃない。守るためです」


 自分を守る。

 それもまた、私がずっと心の奥で繰り返していた言葉だった。


 教授が静かに言う。


「まず、ルナ本体の意思を確認しよう。闇ルナをこのまま切り離された存在として扱うか。それとも向き合った上で、再び自分の一部として受け入れるか」


「受け入れるって……」


「両極端ではない選択肢もあるだろう。いずれにしても逃げていては決められない」


 闇ルナは、ほんの少しだけ目を細めた。


「どっちにしても、私はここにいる。それだけは変わらないよ、ルナ」


「……知ってる」


 ずっと前から。

 学院の教室でも、辺境の村でも、迷宮でも、森でも。

 失敗するたびに、心の中で声を上げていたもう一人の私。


 それが今、目の前に立っている。


(だったら……)


 私は息を吸い込んだ。


「とりあえず、一個だけ決めました」


「なんだ?」


「闇ルナって呼ぶのは私も嫌なので、名前は別のにしてください」


「そこ!?」


 カイのツッコミが飛ぶ。

 アレクが吹き出し、ぷにコーンが「ぷにっ」と笑ったように揺れた。


 闇ルナ(仮称)は、困ったような、それでいて少し楽しそうな顔をした。


「そういうところがあなたらしいですね」


 黒い心の鏡から生まれた影の私。

 その誕生は学院にとっては新たな危機で、私にとっては避けてきた自分との本当の対話の始まりだった。

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