学院崩壊寸前
午後。
私は試験場の中央に立っていた。足元には、花を咲かせるための素焼き鉢。
周囲はぐるりと大型結界で囲まれ、天井のランプは「爆発予測:待機」が点灯している。
「緊張で吐きそう……」
隣の見学席では、カイが腕を組んでこちらをじっと見ている。
その横でアレクは応援のオーラと称する光を放ちながら目を閉じて祈り、ぷにコーンは座布団の上で基礎魔術講義のように姿勢よく座っていた。
「ルナ、深呼吸しろ。昨日やったように、Aの後にBを置くんだ」
「は、はい……!」
私は胸に手を当て、大きく息を吸う。
花。一輪だけ。
静かに咲く姿をイメージして——最悪のシミュレーション(A)が浮かぶ前に打ち消しBを先に置く。
(静かに小さく、暴れない)
教授がうなずく。
「では、試験開始——」
木槌が鳴った瞬間、私は鉢に手をかざした。
――白い花を、一輪。
力が走る。
観念律が反応し、花弁の影が空気に浮かびあがる。
(いける!)
そう思った瞬間。
バチッ、と周囲の空気にヒビが入ったような感覚がした。
え?
ヒビ?
「ルナ、心象の波が急上昇して——」
教授の警告より早く、試験場の天井ランプが赤く点滅した。
『爆発予測:高 爆発予測:高 爆発予測: 』
「やば!?」
「落ち着けッ!」
慌てて深呼吸をするが、胸の奥からぽわが逆流してくる。
やばい。これ、暴走コースだ。
(ちょ、ちょっと待って! B! Bどこ!? 静かに! 一輪! 一輪ぅぅ!!)
焦るほどに思考が空滑りし、逆に花が増える映像が脳内に広がっていく。
(もし安全のために静音化をしたら……)
その瞬間。
観念律がカチリ、と音を立てて別方向に噛み合った。
「え?」
鉢から白い花が咲いた。
それは間違いない。
ただし、花は咲くのと同時に——
音を吸い込んだ。
「………………」
「………………」
試験場が、完全に無音になった。
音が一つもない。
息の音も、服の擦れる音も、床の軋みも、何も。
目の前で教授が口を開くが、音が出ない。
カイが叫んでいるのもわかるのに、完全に無音。
(あ、あの……やば……)
私の声すら聞こえない。
耳に世界の音が全部死んだ感覚が広がる。
天井ランプが激しく明滅している。
けれど音がないせいで迫る危険がまるで実感できない。
緊急事態:静寂魔術拡散中
緊急事態:試験場封鎖中
結界の表示も、字が震えるだけだ。
(うそ? 世界がミュートされた!?)
ぷにコーンが驚いて跳ねるのが見えたが、やっぱり音はない。
静寂が厚い膜みたいに世界を覆っている。
次の瞬間、静寂の膜がぶわっと外へ広がった。
(ちょ、まっ……!)
結界外の廊下にいた生徒たちが、表情を固めて口を動かしている。
たぶん悲鳴とかざわめきとかしているのに、一切聞こえない。
音が死んでる。
私のせいで。
教授が魔術で大きく手を振る。
ジェスチャーから察するに。
『ルナ! 冷静に! Bを上書きしろ!』
(B!? どうすれば!? 音を戻す!?)
戻るイメージ……戻るイメージ……
けど焦りが邪魔をして、うまく形にならない。
(もし音が戻ったら、一気に爆音になって窓が割れて、校舎が揺れて、新聞の一面に!)
(ルナ!!考えるな!!)
カイが必死でジェスチャーしている。
しかしそれ私の暴走想像はもう臨界寸前でぽわが喉元までせり上がってくる。
(あああああああ!!)
そのとき——
アレクがすっと私の前に立った。
キラァァ……。
金色の光がアレクから溢れ、周囲の静寂がわずかに揺らぐ。
(ルナ。君は恐れすぎている。音が戻っても、世界は壊れない)
彼の口がそう動く。
音はないのに、なぜか伝わる。
もはや観念律の強引な伝達か、アレクの自己陶酔が空間に強制書き込みしているのか。
(君が望めば、美しい音が戻る)
(美しい……? 私が……?)
確かに、私は怖い音ばかり想像していた。
だから静寂は音ゼロの世界に暴走したんだ。
(だったら怖くない音……静かでやさしい音……)
私は震える指で胸に触れ、小さく息を吸う。
音はしないけれど、確かに吸った。
(……戻れ)
そう願った瞬間。
世界に——ピン
と一本の音が戻った。
ガラスの縁を弾いたような、透明な音。
そこから、少しずつ少しずつ音が染み出すみたいに戻ってきた。
「っ——はッ!?」
誰かの驚き声。
床の軋む音。
結界の魔力が復帰する低い唸り。
ぜんぶ、戻った。
だが、代償として、音が戻りすぎた。
葉っぱが揺れる音が雷鳴みたいに響き、誰かが立ち上がる足音が大砲みたいに鳴り、カイの「ルナ!!」が地獄の警報みたいに響き渡った。
「うわああああああ!! うるさい!!!!!」
耳を塞いだ私の悲鳴の方がさらにうるさくて、床板が震えた。
「耳が死ぬ!!」
「なんだこの騒音暴走!!」
「誰か! 吸収陣を最大出力に!!」
試験官たちが魔術陣を叩き、結界が青白く輝いた。
安全吸収陣が部分的に音を呑み込み、なんとか破壊は食い止められる。
教授が叫ぶ。
(普通の音量のはずなのに破壊力満点)
「——全員退避! 試験は一時中断! レベル3警戒に移行!」
「レ、レベル3!? 一時中断!? ごめんなさいぃぃぃ!!」
「ルナ! いいから耳を塞いでこっち来い!」
「ルナ、落ち着くんだ! 世界に美しい調和を!」
「ぷにーーー!!(悲鳴の波動)」
音がとんでもないことになっているのに不思議と破壊は起きていなかった。
たぶん学院の防御結界が死ぬ程頑張っている。
それでも廊下の生徒たちは耳を塞いで壁に張り付き、警備員は爆発避難ポーズを取っている。
私は、完全にしゃがみ込みながら叫んだ。
「わ、私、またやらかしましたよね……!? 学院、壊れますか!? 壊しましたか!? これ壊してますよね!!?」
「壊れてない!」
「むしろ生きている!」
「ぷにぃぃ!!(多分大丈夫)」
教授が結界の向こうから叫ぶ。
「ルナ! すぐに心象安定室に移動! 本日の再試験は状況を踏まえ再調整する!」
「再調整ぃぃ!?!?!?」
結界が開かれ、私はカイに抱えるようにして避難させられた。
廊下でも生徒たちがざわざわしている。
「あれが……」
「音の暴走……」
「世界無音→爆音……こわ……」
「さすが危険度A……」
「やめて聞! 全部聞こえてます! 今、音が倍増してるから余計に聞こえてます!!」
しかし、その騒ぎの中でも、カイの声だけはハッキリと届いた。
「ルナ。死んでないし、学院も崩壊してない。崩壊寸前なだけだ」
「全然慰めになってません!!」
でも、心の中ではちょっとだけ「よかった」が芽を出した。
(壊してない。寸前だけど、壊してない……)
それだけで、涙が出そうになった。
こうして、私の再試験は学院崩壊寸前の大惨事 という形で一時中断された。
次は、もっと静かにできますように……。




