辺境送りの少女
審査会の待合室はやけに白かった。
白は汚れが目立つ。
つまり、私の失敗が一番映える色。
椅子に座って、膝の上で指を組んだ。
汗で滑った指が机を叩いて火花が出るかも……
「ルナ・フェリシア、入室を」
扉の向こうは、もっと白かった。
円卓の向こうに教授たちと官吏がずらり。
壁には鎮静結界の紋。私対世界の図がよく似合う。
「先日の事故について、事実確認を行う」
淡々と始まった質疑はまるで圧迫面接ならぬ、圧縮面接だ。私は事故の経緯を説明し、想像の手順を述べ、失敗の原因を多分ともしかしたらで取り繕う。
たまに官吏が眉を寄せ、私は目を逸らす。
「総合判断。危険度A」
木槌が小さく鳴った瞬間、胸の底で何かが折れた。危険度Aは最高ではないが最悪ではない。
私は直立したまま深呼吸した。
吸った息で風が起き、吐いた息で紙がめくれ、資料が舞って、証拠が紛失して、無罪放免に!
「ポジティブ訓練のため、辺境村モルシアへ三十日間の移送。現地での生活記録を提出せよ」
「移送ですか」
「学内では危険が大きい。環境を変え、心象の偏りを緩和することを期待する」
期待とはとても軽い音の言葉だ。
けれど、私の中では重く沈んだ。
私は会釈し、退室した。
扉が閉まる音がやけに明瞭で、素早く背を向け、学院を出た。
◇ ◇ ◇
問題は荷造りだ。
部屋に戻り、荷造りをし、学院の門まで来た。
何も入っていない鞄は心配が少ない。
「服を、適量。食糧も、少し。薬は……」
言いながらイメージを積む。
箱、布、瓶。爆発しない箱。喋らない布。
自走しない瓶、安全、静寂、穏当。
すると床板が震え、空気が後ろ向きに押し返され、私の足元に影がさした。
――車輪?
次の瞬間、部屋に荷馬車が落ちてきた。
落ちる途中で地面を探し、床を傷つけないように脚を出し、着地した。
そして、舌打ちのような軋みを一つ。
「ふう。久々に呼ばれたな」
「喋った」
「喋るとも。名はまだない。君がくれるか」
鞄を見て、馬車を見て、自分の右手を見た。
荷物を想像したのに、荷を運ぶ側を呼んだ。
前向きと後ろ向きの取り違えたみたい。
「あの、あなた、馬は?」
「先に本体だけ来た。馬は後から合流するだろう。呼べば来るから安心しろ」
「はぁ」
荷馬車は咳払いをし、自分の荷台を開けた。
中は空で、私はためらいながら荷物を入れる。
入れるたびに馬車が感想を言う。
「服、渋い色だな。安寧への志向か」
「……」
「保存パン。噛みしめと反省の友だ」
「……」
「その瓶、期待と不安が半分ずつ詰まっている匂いがする」
「……ビタミン剤です」
「なるほど」
準備が整い、中庭に出ると、馬がいた。
やたらとまつ毛の長い、物憂げな目の栗毛。
首を振って韻を踏む。
「呼ばれて飛び出す栗毛の馬よ。運ぶは憂いか希望の種か」
「ポエム?」
「あぁ、ポエムだ」
馬と馬車が自然に繋がる。
私は荷台に座った。
手綱なんて握ったことがない。
握った瞬間に切れたり燃えたり絡まったりを繰り返し。
「固く持つな。手綱は世界観そのものだ。緩めに受け止め、必要な時だけ引け」
馬車が、やけに良いことを言う。
私は小さく頷き、門番に挨拶して学院を出た。
校門の標語を背に、石畳が土道に変わり、風が匂いを柔らげる。
平穏? それは私にとって危険信号だ。
静けさは想像の余白を広げる。
「もし、途中で盗賊が出たら」
「その時はポエムで説得する」
馬が鼻息で韻を踏む前、馬車が真顔で言った。
「迷ったら右、危ない時は左、退路は心に」
「方向の話です」
「ポエムの話だ」
道標を一つ見落とした。
恐らく私のせいではない。
丘を越え、林に入る。
馬は延々とポエムを朗読し、馬車は合いの手で解説する。
私は頷いたり首をかしげたり、その度に木漏れ日が拍手のように揺れた。
「モルシアはこっちで合ってますか」
「合っていた記憶、ずれていく未来」
「つまり」
「つまり少し違う」
少しのつもりが一刻分の遠回りになった。
夕暮れ、村の看板を見つけた。
木製の看板は手彫りで、どこか眠たそうな字。
畑の匂い、煙の匂い、鶏の声が平穏そうな空気感を醸し出しているみるからに平和そうな村の印象を受ける事に安堵し、歩を進める。
◇ ◇ ◇
数分後、村の入口に着いた。
最初に目が合ったのは小さな女の子だった。
彼女は喋る馬車を順番に見て、口を開いた。
「お母ちゃん、災厄様が来た」
広場の空気が、ぴしりと固まった。私は慌てて手を振る。
「違います、私は災厄じゃなくて、えっと、訓練で、ポジティブに、なるために」
「災厄様、お腹は空いておられるか?」
村長らしき老人が前に出て、恐縮と歓迎の中間みたいな表情をしている。
私は背中を丸め、深く頭を下げる。
周りもつられて頭を下げる。
地面が一斉に傾いた錯覚、地滑り、土砂崩れ、村ごと滑って――
「空いてます。少し」
私は短く答えた。短い言葉は爆発が少ないと学習した。
案内されたのは、村の端の小さな空き家だった。
柱は太そうで地震で倒壊安心すると気が緩み、想像が出る。
私は強く深呼吸して、荷馬車に向き直った。
「ここまで、ありがとう」
「礼は詩で」
「詩は無理です」
「ならば沈黙で」
馬車は満足げに頷いた。
馬は夕暮れの光を浴びて学院に戻って行った。
私は鍵を受け取り、扉を開けた。
ギ―っと今にも壊れそうな音を立てた扉の先は埃っぽいけれど、静かだ。
静かすぎて、変な想像を掻き立てられそうで怖い。
「もし、夜に不審者が来たら」
口に出した瞬間、窓辺の風鈴が鳴った。
風はない。私は固まった。何も起きていない。よしよし、これは訓練だ。
ポジティブ訓練をし、明るい想像するんだ。
明るいと光が増え、虫が寄って、火がついて、村が――
「災厄様」
背後で村長が呼んだ。私は跳ねる。
「その呼び方、やめられますか」
「では、ルナ様」
「様はもっと違います」
「では、ルナ殿」
「普通に、ルナで」
「ルナ」
村長は優しく笑った。
笑顔は危険だ。祝砲の合図に似ている。
だが、彼の皺は花を呼ばなかった。
私は少しだけ肩を落とした。
「ここで心穏やかに暮らすのが一番の働きだ。畑の手伝いも、頼みたいが、無理はしないでくれ」
「無理は、しません。しないようにします……たぶん」
私の「たぶん」に村長は頷いた。
外で子どもが囁く声がする。
「災厄様、かわいい」
「爆発するかな」
「やめなさい」
私は自分の心に柵を立て直した。
最悪の想像はここでは誰も傷つけないように、私の中でだけ完結させる。
◇ ◇ ◇
荷解きを終え、夜の帳が降りる頃、ベッドに横たわると、天井の木目が川の地図に見えた。
私は目を閉じ、言い聞かせる。
明日は畑を手伝う。
平穏のあとに来るものを、私は知っている。
けれど、知らないふりをして眠る練習をしながら眠りについた。




