危険な笑顔
森の舞踏会は思ったよりも長く続いた。
頭上では光る魚たちが静かに泳ぎ、葉っぱの音楽は相変わらず完璧なテンポで鳴っている。
魔獣たちは輪になって歩いたり、首を振ったり、たまにこけたりして、それなりに楽しそうだった。
「これ、ピクニックですよね?」
「どこの世界基準だ?」
カイが額を押さえる。
私は丸太に腰かけて、肩の上のぷにコーンをぽすぽす撫でていた。
ぷにコーンは好調らしく、「ぷに♪」とリズムに合わせて揺れている。
魔獣にも人気だ。
さっきから熊の足元に何度も連行されてはもふもふされている。
「ぷにコーン、大丈夫?」
「ぷに!(むしろ楽しい)」
たぶんそんな感じだ。
ふと、視界の隅で、小さな影が揺れた。
大人たちの輪の外、少し離れた茂みのところに、ちょこんと座っている小さな魔獣。
さっきの熊と似ているけれど、まだ子どもで毛並みも柔らかそう。
目だけが心細げにきょろきょろ動いていた。
「あの子だけ、輪に入れてない」
気になって立ち上がる。
「おい、どこ行く」
「ちょっと、見てきます」
カイが止めようとする前に、私は歩き出していた。
足音をできるだけ立てないように近づくと、子ども熊はびくっと身を縮めた。
「ごめんね、驚かせるつもりじゃなくて……」
しゃがんで、できるだけ優しい声を出す。
危険な気配はない。
牙も見せていない。
どちらかと言えば完全に怯えモードだ。
「みんな、あっちで踊ってて……ちょっと、怖いよね」
子ども熊は、モゾモゾと耳を動かした。
少しだけこちらに顔を向ける。
私はそっと手を伸ばしかけて途中で止めた。
触れた瞬間に暴発したら嫌だ。
いや、ここ最近の私の統計から言うと、嫌だと思ったことほど現実になる。
「無理に触らない。代わりに……」
私は胸の中で、小さなBのイメージを立てた。
最悪Aは怯えた子どもが暴走して森中パニックだから、その逆で少しだけ安心して、みんなのところへ行ける未来のイメージ。
深呼吸をして、小さく微笑む。
「大丈夫。怖かったら、ゆっくりでいいから」
その瞬間——。
胸の中のぽわが、いつもと違う膨らみ方をした。
いつもは熱くなって、爆発の予兆になる感じなのに。
今度はドロリと重くて、でも、やさしい何かが、胸の奥から森全体へ流れ出していく。
「……あれ?」
空気が変わった。
葉っぱの音楽が少しテンポを落とす。
光る魚たちが動きをゆるめ、柔らかい光だけを落とし始める。
フォレス・ベアたちの毛並みがふわっと膨らんだ。
そして——森が伸びた。
「え」
大地が息を吸い込むみたいに膨らみ、木々の幹がぶわっと太くなる。
枝が伸び、葉が増え、蔦が絡みつき、根が地面の上に盛り上がる。
「ちょ、ちょっと待って、これ私の……?」
「ルナぁぁぁぁぁ!?」
カイの絶叫が飛んできた。
見れば、彼の足元にも蔦が絡みつきかけていて、慌てて切り払っている。
「ってええ!? なんだこの成長速度!!」
「わ、わたし、ちょっと笑っただけで……!」
「お前の笑顔、世界レベルで肥料なんだよ!!」
魔獣たちも慌てている……かと思いきや、意外と落ち着いていた。
フォレス・ベアは太くなった根にどっしり座り直し、鹿型の魔獣は新しく生えた草をムシャムシャ食べ、鳥っぽいのは増えた枝に楽しそうに止まっている。
それでも森は明らかにヤバい。
幹はさらに伸び、木々の上部が絡み合って天井みたいになっていく。
光の魚たちが逃げ場を失って、葉の隙間をぎゅうぎゅう泳いでいる。
「……ジャングル化してる」
「お前の笑顔一つでこれだけの成長か」
カイが真顔で言った。
アレクは相変わらず優雅で、むしろ嬉しそうだ。
「素晴らしい。自然の祝福だ!」
「どこがだ!!! 滅びるぞ!!」
カイのツッコミが乾いた音を立てる。
「見たまえ、この生命力。木々は自由に空を目指し、蔦は踊り、根は大地を抱きしめる。これは世界そのものが喜んでいる証だ!」
私は必死で胸を押さえた。
もう笑っていないのに、森の成長が止まらない。
(どうしよう……このままじゃ、本当にジャングルになって、街道まで飲み込んで、宿も埋もれて、旅人が迷って、地図が書き換えられて——)
「ルナ、そこまで想像するな!! 広げるな!!」
「ひっ……!」
カイの怒声で最悪ルートが中断される。
それでも、森の変化はゆっくり続いていた。
子ども熊が不安げに私の袖を噛んだ。
その目はさっきより少しだけ落ち着いているけれど、周りの変化についていけてない感じだ。
「ごめん……私、またやりすぎた」
謝った瞬間、胸の中で、別のぽわが膨らんだ。
恐怖と、後悔と、でも少しだけ、守りたい気持ちも混ざった変な感情。
「守りたい……か」
自分で言葉にして、びっくりした。
私が怖いのは、全部壊してしまうこと。
でも今、壊しているというより、過剰に増やしている。
増えすぎた生命力が逆に世界を圧迫しようとしている。
「だったら……少しだけ、引いてもらう想像?」
ネガティブ制御訓練のことを思い出す。
A=ジャングルに飲み込まれる最悪。
B=必要なぶんだけ残して、静かに落ち着く森。
私は子ども熊の頭に手を乗せて、目を閉じた。
「大丈夫。これ以上頑張らなくても、守れるから……」
優しい方向のBを、できる限り丁寧に重ねる。
増えろ、じゃなくて、落ち着け。
伸びろ、じゃなくて、根を張れ。
しばらくして、森の成長がようやく緩んだ。
天井だった葉の層に少し隙間ができる。
光の魚たちがそこから抜け出し、ほっとしたように空を泳ぎ始めた。
蔦の伸びも止まり、代わりに小さな花がぽつぽつと咲く。
「止まった?」
「奇跡的にな」
カイが剣を肩に担ぎながら苦笑した。
「お前、今日だけで壊しかけて守った森っていう意味不明な実績積んでるな」
「誇れない!」
それでも、胸の中の感覚は悪くなかった。
怖さはまだある。
いつだってやりすぎる自信もある。
でも、守るために止められた感触が、確かに残っていた。
子ども熊が私の手をぺろりと舐めた。
くすぐったくて、つい、笑ってしまう。
「ありがと……」
胸が、またぽわ。
「今度は小さくな」
カイが釘を刺す。
私はこくこく頷いて、胸にそっと手を当てた。
嬉しさを爆発させずに中にとどめる練習。
頭上では光る魚が静かに泳ぎ、私の足元ではぷにコーンがとうもろこし味の草をむしゃむしゃ食べている。
アレクは相変わらず、生命力あふれる森を背景にポーズを決めている。
「なぁ、カイさん」
「なんだ」
「平穏って、こんなに維持が大変なんですね」
「お前と一緒だと特にな」
「ぐうの音も出ない」
それでも——。
過保護な森の真ん中で、私は少しだけ、自分の笑顔を信じてみてもいいかもしれないと思った。
もちろん、慎重にだけど。




