小旅行計画
街道沿いの小さな宿に泊まるのは、旅に出てから初めてだった。
屋根はちゃんと瓦で、壁はちゃんと木で、床はちゃんと軋む。
全部が普通で素晴らしい。
「今日は一日、休息日にする」
朝食後、カイがそう宣言した。剣を磨きながら、珍しく穏やかな顔をしている。
「無理に距離を稼ぐより、ここで体勢を整えた方がいい。何より、これ以上道中で事件を増やすわけにはいかん」
「事件って、そんなにありましたっけ?」
「アレク、盗賊、火の鳥、光る鹿。四連コンボだ」
「ありましたね」
言われてみれば旅程がほぼ騒動で埋まっている。
私は肩の上のぷにコーンを撫でながら、そっと呟いた。
「じゃあ今日は、本当に穏やかな日?」
ぽわ、と胸が温かくなりかけたところで、カイの視線が飛んでくる。
「そのぽわ顔やめろ。余計なこと想像すんな」
「はい……」
「ぷに(了解)」
ぷにコーンまで真面目な顔をしないでほしい。
そこへ、窓際で朝日を浴びていたアレクが、ふわりと立ち上がった。
寝癖すら絵になるのが腹立たしい。
「せっかくの休息日だ。ここは一つ、優雅な小旅行と洒落込もうじゃないか」
「小旅行?」
「そう、森へピクニックだ。静かな木陰でお茶を飲み、談笑し、未来を語り合う。完璧だろう?」
「未来はともかく、ピクニックはちょっと、いいかも」
口にした瞬間、自分で驚いた。
私が「いいかも」と思うなんて。
危険。前向きは危険。
でも、森でのんびりする図を想像すると、心が少し軽くなるのも事実だった。
「決まりだな」
カイがため息をつく。
「行き先はいい。問題は準備だ」
視線がピンポイントで私に刺さる。
「ルナ、お前に料理は任せられん」
「ひどい! まだ何もしてないのに!」
「過去の実績で言ってる」
村での神コーンダンジョンと巨大花の夜空と、その他もろもろが脳内で走馬灯になって駆け抜けた。何も言い返せない。
アレクが片手を挙げる。
「ならば、私が弁当を想像しよう。豪華で安全な——」
「お前にも任せられん」
カイが即却下した。
「前回の喋る料理軍団をもう忘れたのか」
「忘れてはいない。だが、今度こそ落ち着いたランチを想像できる気がする」
「その気がするが一番信用ならないっていつ学ぶんだお前は」
私はおずおずと手を上げた。
「あ、あの……じゃあ、練習も兼ねて、私にやらせてください。普通の弁当を一つだけ」
カイが眉をひそめる。
「本気か」
「ネガティブ制御訓練もしてきたし、もしここで成功できたら、少し自信つくかもって……」
言ってから、自分で自信という単語にビクッとなった。
ぷにコーンが肩で「ぷに」と鳴く。応援、らしい。
アレクが嬉しそうに頷いた。
「いいじゃないか。ルナの挑戦だ。私は信じるぞ」
「お前にだけは信じられたくない」
カイは頭を掻いてから、短く言った。
「条件付きだ。
一、弁当はひと箱分だけ想像すること。
二、途中で不安になっても追加で何か足そうとしないこと。
三、異常を感じたらすぐ止めろ。いいな?」
「やってみます……!」
私は深呼吸をして、宿の裏庭に出た。
洗濯物が揺れ、草の匂いがする。
小さな石壁の向こうには、明るい森が見えた。今日の目的地だ。
裏庭のテーブルの上に、空っぽの弁当箱を一つ置く。
カイとアレクとぷにコーンが少し離れた場所から見守っている。
「じゃあ」
私は手を箱の上にかざした。
「白いごはんを少し。焼いたお肉を少し。お野菜も彩りに少しだけ。全部、静かで、おとなしくて、歩いたり喋ったりしない」
言葉を一つずつ置くたびに、観念の輪郭が固まっていく。
ネガティブを今は押し込める。
食中毒とか爆発とか弁当から足が生えたらは心の奥深くに押し込んで、鍵を掛ける。
箱の中に、ふわりと湯気が立ち上った。
蓋をそっと開けると
「できた」
白いごはん。茶色いお肉。緑の野菜。黄色の卵焼きらしき何か。
見た目は、どう見ても普通の弁当だった。
「おお、やればできるじゃないか」
カイですら素直に感嘆している。
アレクが目を輝かせた。
「美しい。まるで芸術だ」
「それは言い過ぎですけど」
胸の中で何かがふわっと持ち上がる。
嬉しい。
ネガティブじゃない感情。
危険な、でも、嫌いじゃない感情。
「やば……」
「ルナ、深呼吸だ。今喜ぶと弁当が——」
カイの警告の途中で、弁当箱がカタッと震えた。
「今、動かなかった?」
「気のせいだといいな」
全員が弁当を凝視する。
沈黙。
「セーフ?」
そう思いかけた瞬間だった。
ごはんの部分から、にゅっと白い何かが伸びた。
「ひいっ!?」
弁当箱の両脇に、小さな握り飯の手足が生えた。
続いて、おかずゾーンの方からも、から揚げのような膝と、卵焼きのような腕がこんにちはしてくる。
「カ、カイさん」
「落ち着け。まだ爆発してない。まだだ」
弁当箱が、蓋をぱたんと自分で閉めた。
そして、立ち上がった。
「歩いたぁぁぁぁ!!」
私の悲鳴と同時に、弁当箱がテーブルから飛び降りる。
ちょこちょこした足音で裏庭を走り出し、石壁の方へまっしぐら。
「待って! 逃げないで! あなたは今日の昼ごはん!!」
「ルナ、弁当に人格を与えるな!!」
カイが飛び出す。アレクも後を追う。
ぷにコーンは弾丸のように弁当箱を追いかけて転がっていく。
足の生えた弁当箱は、器用に石壁をよじ登り、そのまま森の方へと駆けていった。
「逃げ足速い!!」
「食材が逃げるの、想像の範囲外だろ!!」
私たちは慌てて森の縁まで追いかける。
木々の影の中で、弁当箱が一瞬こちらを振り返ったような気がした。
罪悪感のない、自由なランチタイムの顔。
「待ってぇぇぇ!!」
私は反射的に、弁当箱を捕まえる未来を想像した。
(今ここでつかまえて、ちゃんと感謝してから食べて、誰も傷つかず、森も燃えず、魔獣も出ず——)
観念律がくすりと笑った気がした。
森の奥から、低い唸り声が返ってきた。
「今、何か聞こえなかったか」
「き、気のせいだと、思います」
お腹の底に、イヤな予感が沈む。
でも、今日はもう暴走させたくない。
私は胸に手を当て、ぷにコーンをぎゅっと抱きしめた。
「とりあえず、弁当を捕まえにいかないと」
カイがため息をつく。
「最初の予定の穏やかな日はどこ行ったんだ」
「準備段階で迷子になりました」
アレクが楽しそうに笑った。
「いいじゃないか。追いかけるピクニックも風情がある」
「ないよ!!」
それでも、私たちは森の中へ足を踏み入れた。
逃げた弁当と、たぶん何かの気配と、壊れかけの平穏を追いかけて。
このあと森で、弁当よりよく動くものたちに出会うとも知らずに。




