旅の途中で
モルシアを出て三日目。
レヴァリア行きの旅路は、想像していたよりも乾いていた。というか、最初の馬車が出発0秒で爆散したせいで、徒歩が多い。
「お腹すいた」
ついに口に出してしまった。
言葉にすると危険だとわかっていても、限界だった。
「言うな。余計に腹が減る」
前を歩くカイが、ぐいっと荷袋を持ち直す。中身は、旅の途中で買い足した硬いパンと干し肉。だが、それもそろそろ底をつきかけていた。
「でも本当に、もうパンが……」
「あと一個だ」
数字が具体的になると、急に状況が現実味を帯びる。
私の頭の中に食糧不足→餓死→骨→砂漠に朽ちる→後世に飢餓の災厄として語られるという最悪ルートが一瞬で組み上がった。
「待て、今何か嫌な想像しただろ」
「べ、別にその……ちょっとだけ飢餓スケールの終末を……」
「するな!」
カイのツッコミで、終末世界が粉々に砕け散る。
それでもお腹は減ったままだ。
私の足元で、ぷにコーンが「ぷに……」と鳴いた。
丸い体の中にとうもろこしの粒が透けて見える。ぷにぷになのに、栄養価がありそうで、絶対に見てはいけないラインに片足を突っ込んでいる。
「ぷにコーンを非常食にする、という選択肢は——」
口が勝手にひどいことを言いかけた瞬間、ぷにコーンがびくっと震えた。
「ぷにぃ!!?」
「ご、ごめん! 今のは冗談! 絶対食べない! むしろ私が食べられる側!」
「順番の問題じゃない」
カイが呆れ顔でため息をつく。
ため息の風が、乾いた草を揺らした。
辺り一面、草原というより半分荒野だ。
雑草がまばらに生えているだけで、食べられそうなものは見当たらない。空は高く、雲は薄く、太陽だけが容赦ない。
「都会に着く前に、飢えて倒れたりしたらどうしよう」
「その前に俺がなんとかする」
「でも、もし盗賊が出て食糧を奪われて、さらに迷子になって、砂嵐に巻き込まれて——」
「一回黙ろうか」
「はい」
口を閉じたら閉じたで、今度は頭の中だけで最悪ルートが進行する。
ネガティブ制御訓練、まだまだ未熟。Aまでは得意でも、Bの上書きが追いつかない。
ぷにコーンが、ぺちぺちと私の頰を叩いた。
柔らかい。ちょっと冷たい。少し落ち着く。
「誰か、助けてくれないかなぁ」
そう、ついぼやいてしまった。
「おい、軽々しく助けてとか言うな。観念律が拾う」
「わかってますけど……。もし、偶然ここを通りかかる優しい人がいて、食べ物を分けてくれて、『大丈夫、君たちは必ずレヴァリアに辿り着ける』とか言ってくれたら」
「やめろ、その『もし』は危険だ」
「せめて心の中で言えば——」
と言いかけて、私は慌てて口を閉じた。
が、時すでに遅し。
胸の中で、「誰か助けて」というイメージがくっきりと形を取り始める。
荒野に差し込む逆光、さっそうと現れる人物像、差し伸べられる手。
「ルナ、その顔やめろ。今まさに何か呼びそうな——」
大気が、震えた。
ぱん、と軽い破裂音。
乾いた空の真ん中に、一瞬だけ金色の線が走ったかと思うと、目の前の空間がバラの花びらみたいにひらひら割れて、一人の青年が降ってきた。
「な——!?」
「っぶな!!」
カイがとっさに私を引き寄せる。
青年は、地面に華麗に着地するかと思いきや、盛大につまずいて転んだ。
砂埃が上がる。バラの花びらが台無しだ。
「いてて。着地の角度が一度ずれた」
落ちてきた本人は、何事もなかったようにさらっと立ち上がった。
金色の髪が陽光を跳ね返し、目の色も琥珀色で、服装はどこからどう見ても貴族。胸には見たことのない紋章。背筋だけはやたらとまっすぐ。
「誰?」
私がぽつりと言うと、彼はキラッと笑った。
歯まで光った気がする。観念律のせいか、本当に光っている。
「助けを求められたので来た!」
「え、誰!?」
反射で聞き返す。
いや、本当に誰。
彼は胸に手を当て、芝居がかった所作で名乗った。
「私はアレク。アレク・ルクス・エルヴァン。ある世界の、とある王国の、とてもとても素敵な王子だ」
「自己紹介の形容詞がうるさい」
カイが即座に切り捨てた。
アレク王子(仮)は、まったく気にしていない。
「そこの君。さっき『誰か助けて』と言っていただろう?」
「えっ? え、言いましたけど、心の中でのつもりだったような……」
「心の声まで聞こえてしまうのが、運命の導きというものだよ」
さらっと危ないことを言う。
運命ってそんな盗聴みたいな流れあったっけ。
「つまり君は、私を『助けてくれる誰か』として想像した。だから私はここに召喚された。違うかい?」
「違わないのが悔しい!」
私は頭を抱えた。
どうやら「誰か助けて」のイメージが、観念律の網に引っかかり、遠いどこか、別の世界から本物の王子を引っ張ってきてしまったらしい。
「あの、帰れますか?」
「え?」
「いや、だって、異世界の王子なら、王様とか国とか仕事とか婚約者とか、いっぱいあるんじゃ……」
「全部ある。が、今はいい」
「よくない!!」
カイが全力で突っ込んだ。
「お前本当に王子か? 勝手に来て大丈夫なのか?」
「困っている人を助けることこそ王子の務めだろう?」
ものすごくいいことを言っている。
言っているのだが、言い方がいちいちキラキラしていて眩しい。
「それに——」
アレク王子は、わざとらしく一歩近づき、私の手を取った。
近い。
顔が近い。
観念律が反応しそうで危ない。
「君の瞳の色、いいね。絶望を知っていて、それでも希望を見ている色だ」
「いや今ほぼ空腹の色ですけど」
「詩的に言ったほうが雰囲気が出るだろう?」
「雰囲気より現実優先でお願いします!!」
カイが私とアレクの手を力ずくで引き離す。
その横で、ぷにコーンがむくれて「ぷに」と鳴いた。
ヤキモチだろうか。かわいい。だが今はそれどころではない。
「で、王子様とやら。何ができる」
カイが腕を組むと、アレクは自信満々に胸を張った。
「まずは、君たちの困りごとを解決しよう。食糧がないのだろう?」
「正直、お腹が、空いて、死にそうです」
「よろしい。ならば、このアレクが——」
王子はくるりと回って空を指さした。
さっきからポーズがいちいち芝居じみている。
「豊かな食卓を想像するだけでいい。君たちの世界の方法とは違うが、私も少しばかり、想像の力を持っているのだ」
「えっ?」
嫌な予感がした。
世界は違っても想像魔術持ち。
つまり、私と似たタイプの厄介な存在の可能性が高い。
「待った。確認させろ。お前、その力、どれくらい制御できる」
「だいたい、素敵な感じにはなる」
「不安しかねえ!!」
カイの叫びもむなしく、アレクはもう目を閉じていた。
「さあ、豪華な食卓よ、この大地に——」
言い終える前に、荒野のあちこちからドンッと音がした。
土の中から、まるで芽が出るみたいにテーブルが突き出てくる。
白いクロス、銀の食器、山盛りの料理。
「……すごい」
思わず見とれてしまった。
ふわふわのパン、こんがり焼けた肉、スープ、サラダ、デザートまで。
匂いも完璧。腹の虫が盛大に鳴った。
「どうだい。完璧だろう?」
「完璧に見えるんですけど……」
私はフォークを伸ばしかけて、手を止めた。
「これ、食べても爆発しません?」
「なぜすぐ爆発と結びつける」
「私の人生上の経験がそう言ってるので……」
アレクは首を傾げた。
「大丈夫だ。私の想像は、割と安全な——」
その瞬間、テーブルの上のパンが、ふるっと震えた。
パンから、顔が出た。
「え」
「こんにちは」
パンが喋った。
「出たぁぁぁぁぁ!!」
私とカイとぷにコーンの叫びがハモった。
パンだけじゃない。
スープの中からフォークを持った何かが手を振り、肉は勝手にナイフを持って踊り出し、デザートのケーキは自分でロウソクに火をつけようとして燃え広がりかける。
「なんで全部自我持ってるんですかぁぁぁ!!」
「えっ、この世界では違うのかい?」
「違うよ!! 食べ物は喋らないでおとなしくされてて!!」
カイが頭を抱えた。
「おい王子。つまりお前の想像も——」
「ちょっと盛りがちなんだ」
アレクが胸を張る。誇るところじゃない。
私は頭を抱えた。
空腹は解決しそうだが、新たな問題が増えた気しかしない。
荒野の真ん中で、喋る昼食と、ツッコミ冒険者と、謎の王子と、とうもろこしスライム。
レヴァリア行きの旅は、想像以上に混沌としてきた。




