想像の魔術師ルナ
王立魔術学院の想像術科、第二講義室。
私は小さな素焼き鉢を見つめていた。
課題は花を咲かせよ。
簡単な問いほど怖いものはない。
「各自、心を静め、花一輪を想像するように」
私の耳には「絶対に暴発するな」という警告にしか聞こえなかった。
頭の中に白い花弁を浮かべるだけで良いのに最悪の連鎖が頭をよぎる。
もし、花壇が燃えたら。
火は机を舐め、カーテンに移り、風が煽いで、そもそも何で燃えるの?
私が火の性質をうっかり呼んじゃって、酸素と反応して、爆発する。
私が土下座して、退学で、辺境送りで、道に迷って、狼に食べられて。
新聞の片隅に『想像術科の不祥事』って、載って、教授の胃に穴が……
「落ち着きたまえ、ルナ・フェリシア」
大丈夫! 私はできる・・・・・・かも。
白い花を一輪。
茎は細くて、けれど折れにくい。
乾きすぎると燃えやすい。
燃えやすい?
「ルナ、呼吸を」
吸って、吐いて。
私は目を閉じ、心の中に小さな囲いを作った。
よしよし、できた! 少しだけ、心が静かだ。
私は手を鉢にかざした。
指先がぴりぴりする。
イメージを結び、輪郭を固め、色を塗る。
花弁が一枚、二枚、三枚と、そこでまた声が囁く。
もし、花粉が爆発性だったら?
悪い想像は水面に落ちた一滴の墨のように広がっていく。
「ひとひらの花を、静かに」
教授の合図と同時に、私の鉢から芽が出た。
やった! いける!
いけるかも。
その瞬間、誰かが小さくくしゃみをした。
私の背中を汗が伝う。
花粉⇒くしゃみ⇒火花⇒燃焼⇒爆――
次の瞬間には教室全体が爆風に包まれた。
私は反射的に水を想像。
大量の水が天井から落ちて、窓が全部外へ飛んでいった。
「わああああっ」
教授が黒板の前で背泳ぎのように回転した。
床が花畑に変わろうとするのを否定する。
違う違う違う、今は花じゃない、水でもない、落ち着け、私。
爆風が止み、残ったのは花だらけの静寂だ。
遠くで「助けて……」という小さな声。
黒板の角に教授が逆さまに引っかかっていた。
「……これはどういう事だ」
教授はふらりと降り立ち、花弁を払いながら私を見た。
「ごめんなさい。あの、ほんの一輪を想像したつもりで……」
「ルナ」
「火災対策が不十分だったらとか、保険の適用範囲が――」
「ルナ!」
教授が手を上げた。花弁がひらりと落ちる。
「君は明日から来なくていい」
足が震える。
頭の中で退学・辺境・狼・新聞・教授の胃の順に単語が走り抜ける。
「えっと、これは練習不足で……次は、もっと静かに、たぶんできるかも」
「できるかも、ではないのだよ」
向こうで別の講師が呆然と立ち尽くしているのが透けて見えた。
「想像魔術は学問だ。だが、君のそれはまだ学問の域にない。君は自分のもしかしたらという想像を制御できていない。故に危険だ」
私は危険だ。
だから、考える。
だから、止まれない。
私は小さく頷いた。涙が出そうになる。
出たら、洪水になるかもしれない。
「正式な審査会を通す。処分はそれからだ。だが授業は、明日から、いや、今日から出禁だ」
「今日から、ですか……」
「今日からだ」
教授はため息をついた。
「片付けは?」
「専門の修復班を呼ぶ。君は何もしないでくれ」
何もしない。最高に難しい課題だ。
私は荷物をそっと集め、鞄の口を閉じようとして、手を止めた。
「ルナ」
教授の声が少し柔らかくなった。
「怖がるのは、悪くない。だが、君は先に怖がりすぎる。それは君の才能でもあるのだがね」
才能。皮肉に聞こえないでもない。
けれど、教授の目は真面目だった。
私は小さく「はい」と答え、教室を出た。
階段を降りる途中で、私は深呼吸した。
「明日から来なくていい」
つまり、今日の午後は空白だ。
曲がり角で一年生とぶつかった。
条件反射で私は叫ぶ。
「ごめんなさい! 違うの、私、爆発させるつもりは……」
「ぼ、ぼく、ただの補助魔法の練習で」
帽子の花は無事だった。
よかったと思った瞬間にもしかしたらのスイッチが入るのが私だ。
帽子が燃えて、廊下が火の海になって、学院長が現れ。
私は走った。逃げるのではなく、爆発から世界を逃がすために。
中庭に出ると、さっきの大牡丹が、ちょうど太陽の角度で虹を作っていた。
私の失敗は、時々だけれど、目を見張るような美しい景色を作り出す。
修復班が梯子を立て始めている。
私は遠くから頭を下げ、誰の視界にも入らないように、校門へ向かった。
門の上には学院の標語が刻まれている。
想像は心の再現。私の心が、今は一番、怖い。
門を出る前にふと振り返る。
花で覆われた建物は、まるで春の怪物だった。
私は小さく手を振る。
さよならはまだ言わない。審査会がある。
処分がある。辺境があるかもしれない。
平穏→想像→暴走→後始末
私の一日が、授業のテンポ構成にぴったり沿っているのが可笑しくて、少しだけ口元が緩んだ。笑ったら、また何か咲く気がして、慌てて真顔に戻す。
「明日から来なくていい」
明日は、たぶん長い。
だから今日だけは、何も想像しない練習をしてみる。
どちらにしても、私の想像は止まってくれない。




