第8話 エピローグ:傾国を、超えて
あれから数年。
世界は変わった。
ある国際会議では、
西の超大国の大統領は、珍しく10分前に到着した。
東の覇権国の最高指導者は、部下に「笑顔の練習」をしてきたらしい。
会場はいつも通り。
ただ、空調の温度もコーヒーの濃さも、あかりの好みに寄っていた。
そう、中央の席に、黒瀬あかりが座っていたからだ。
あかりの提示したExcelの配分モデルは、再配分と再構築という名の奇跡をもたらした。
●飢餓地帯だった地域にドローン配送と栄養支援の拠点が整い、
●ワクチンや医療機器の需要曲線がなだらかに落ち着き、
●かつて“不可能”とされていた温室効果ガスの協調削減が、静かに軌道に乗っている。
●そして何より、貧困率が3年連続で過去最低を更新中。
休むまもなく依頼の飛び込むあかりの予定表は、週単位で色分けされた“人類の問題カレンダー”と化している。
「こんなにも早く“人を救う”時代が来るなんて……」
専門家たちは口を揃える。
ただ、その最初のきっかけは──
男性たちが「あかりに会いたいから」だった。
* * *
シーン転換:アルプスを望む山岳リゾートの書斎。
かつて魔女たちの集会で、あかりに言葉を残したあの魔女――月館は、暖炉の前で静かに映像と紙面をめくっていた。
窓辺には、季節外れの紫の草が揺れている。
長い年月が流れても、その眼差しだけは変わらない。
テレビでは、国際会議での首脳たちの握手が映る。
ノートPCには、国際経済誌の特集記事。
傍らのテーブルには『The Economist』『Foreign Affairs』など、各国の雑誌や新聞が山のように積まれている。
「黒瀬あかり」という名が、さまざまな言語で見出しを飾っていた。
ある記事は、貧困率と医療支援の劇的改善を。
あるレポートは、国家間の協調と再分配の新潮流を。
ある評論は、“民間出身の若き女性”が世界をどう変えたかを。
どのメディアも“なぜ”までは語れない。
ただ、あの会議の場に黒瀬あかりがいた──それだけは、共通していた。
「……かつて“傾国の魔女”は、恋に呑まれ、情熱で世界を沈めた。
けれどこの子は、理を操り、構造で世界を浮かび上がらせた。
同じ“傾き”でも、その傾きは、滅びではなく光へ向かっている。
しかも本人は、モテてることにすら無頓着で……」
月館は、少し寂しそうに笑った。
「私の見込んだ通り、傾国を超えたわね、あかり。
あなたは、“傾界の魔女”。人類を静かに動かす新しい魔女のかたち」
暖炉の火が静かに揺れる。
そして今日も、あかりのExcelから始まる1日が、地球を少しだけマシにする。




