第6話 Excelで地図を書き換える!
「ちょ、あかりさん……今日また花届いてますけど!? っていうかこれ、箱じゃなくて木箱ですよ!?」
いつも元気な後輩、千田ちひろが朝イチから騒いでいた。
机の上には、重厚な木箱。
蓋を開けると、ぎっしり詰まった青いバラ。その中央に、手紙が一通。
「From Prince of——」
いや、読まなくていい。読む前に閉じた。
「置き場に困るので、総務に回して。花瓶が足りないって言ってたし」
「いやそういう問題ですか!? “青バラの王子様”からのプロポーズみたいになってるんですけど!? こっちが動揺しますって!!」
ちひろの声がフロアに響くのも、もはや日常だ。
近頃、明らかにおかしい。
「課長代理って……まさか王族ですか……?」
「違います。普通に国家公務員試験を記念受験して落ちたことならあります」
「落ちてこれって……いや、合格してもこうはならないはず……」
――きっかけは、数か月前の環境会議だった。
あかりが示したのは、複雑な議題をただ矢印で結んだだけの相関図。
だが、それが奇妙なほど全員に納得感を与え、長年すれ違ってきた自治体同士がその場で歩み寄った。
数日後、その合意は省庁の公式発表として報じられ、記事の末尾に「黒瀬あかり」の名が載った。
それを境に、「会議を着地させる人」という評判が業界を回り、海外からも調整依頼が届くようになる。
貿易港の使用スケジュール調整や、国際展示会の開催地選び──結果を出すたびに、遠方からの依頼も増えた。
「でも、ほんとに従っちゃうんですよね、みんな……」
ちひろは、あかりの横を歩きながらぽつりと言った。
ただ、今回の会議は、様子が違った。
千田ちひろは、会議室の扉を開けかけて、思わず立ち止まった。
そこには、長年武力衝突を繰り返してきた二つの勢力のリーダーが、宗教指導者を間に挟んで向かい合って座っていた。
一人は軍服姿のまま、背もたれを使わず直立姿勢。
鋭い目つきに、口を開けば命令が飛ぶような緊張感をまとっている。
もう一人は、ノーネクタイの無地スーツ。
冷静沈着で、顔の表情筋が動く瞬間を誰も見たことがないという。
互いに「相容れない象徴」として語られてきた二人が、今――
大型ディスプレイの前で、並んでうなずいていた。
「ご覧の通り、互いに主張されている“安全保障の優先”と“領土尊重”は、直接的な対立ではありません。
下図のように、輸送回廊の共有管理という第三案を通せば、双方の懸念が並立できます」
黒瀬あかりは、まるで月曜朝の定例ミーティングかのようなテンションで説明を続ける。
「黒瀬さん……我々は、どうすれば……」
沈黙を破ったのは、軍服の男だった。声が、震えていた。
「あらゆる兵装の廃棄を段階的に進め、若年兵の教育と雇用移行に力を向けてください。
割り当てについては、こちらのスキームを。数年後、あなた方の地域は“戦後”という言葉を使わずに済むようになります」
「……わかった。やってみる」
「……我々も、従う」
「うちの大聖堂、使ってください。我らは憎しみではなく、再生を選びます」
会議は、解決へと大きく舵を切った。
……が、あかりの目は、なお画面に落ちたままだった。
エクセルの試算表には、いくつかのセルが赤く染まっている。
物流手段と、初期の資金。それが、まだ足りない。
皆がそのセルに視線を落とす。
黙ったままの時間が流れた。
その時、スマート受付の通知があかりのPCに表示された。
「お客様が到着しました」
それは、ドローンインフラを握る巨大EC企業の創業者だった。
“イメージアップ戦略を相談したい”という名目であかりに会わせろと、何度も連絡してきていた人物。
そのアポが今日の午後に予定されていた。
――どうやら、喜びのあまり、早く来すぎたらしい。
「あの、この会議室にお通しください」
あかりは受付に、メッセージを送った。
ドアが開くと、軍服の男と無地スーツの男が同時に視線を向けた。
その顔は、国際誌をめくれば必ず載っている人物。
紛争調停の席に場違いにも映る“別格”だった。
創業者は目の前に広がる異様な光景に、一瞬だけ動きが止まる。
だが、画面を見ると数秒後には状況を把握し、口を開いた。
「……なるほど」
小さくうなずくと、あかりに向き直る。
「資金と物流、物資、通信網。僕のところで受け持つ。
あとは……君の設計に乗っかるだけさ」
その言葉に、会議室中が息を呑んだ。
誰かの手元でペンが転がったが、誰も拾わず、沈黙だけが続いた。
この場の発起人である宗教指導者は、黙ったまま額に指を当て、祈るような姿勢をとった。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……神の片鱗を見た気がする」
戦いは終わり、この地域は“再生”という未来に歩み出した。
EC企業は、この一件をCSR活動として大々的に世界へ発信することになる。
震える声で、ちひろがつぶやいた。
「これって……歴史的瞬間じゃないですか……? うちの会議室で、ほんとに……いいんですか?」
白い壁に、ディスプレイと長机が整然と並ぶだけの、何の変哲もない会議室。
つい数時間前まで、来月の出張予定や備品発注の話が行われていたその場所で、
遠い国の地図が、静かに書き換えられていた。




