予期せぬ幸運と不運
「頼まれた物は全て購入できたな」
夕焼け空の下。帰路に着く人々が忙しなく行き交う商業区の歩道で。
膨れたエコバッグを肩から提げ、備蓄された物資の内容を思い起こして。
パフア校敷地内にある超力棟への道を歩みながら、柊ユウヤは手元の買い物リストをポケットに仕舞う。
「それにしても、良き人と出会えたものだ……」
人波の雑踏、上空を飛ぶ鳥たちの羽ばたき。
すれ違う車両の風を感じつつも、ユウヤは数時間前に邂逅した者との語らいに思いを馳せる。
超能力者について知りたい、と。
ユウヤの元へやってきたアキト達との会話は、彼がこれまでやってきた超能部としての活動、ひいては超能力者という存在の肯定に近づいていた。
牛歩の如き歩みであっても、確かな進展であったのだ。
「わずかな興味から新しい関係性が生まれる。出来れば、彼との出会いでより良い交友を築きたいな……」
自らがかつて、肉親より受けた火傷の痕跡。
インナーで覆い隠した、一般人と超能力者における確執の一端。
超力棟に残存する超能力科の生徒ほどではないが、今でもユウヤの心根に深い傷を残している残滓。
仄暗く、思い出したくもない激痛。されど、その経験こそが現状を変えるべく奮闘する理由にもなっていた。
自身のような超能力者を生み出してはならない。
人道を踏み外して外道へ落ちるようなマネをしてはならない。
無作為かつ無差別に、暴威を振りかざす獣となってはならない。
人という括りにあるが故に価値を、立ち位置を、存在理由を。
世界に証明し、手を取り合って生きていけるように──自身が、そうして救われた存在なのだから。
それを踏まえて尚、己の内に備わった超能力に怯えず。
超力棟内に蔓延る、幻視の影響を受けても。
目の色を変えずに対応したアキトを、彼は高く買っていた。値千金にも迫る、何物にも代えがたい幸運だったのだ。
「タイミングを計る必要はあるが、他の生徒とも交流してもらえないだろうか。彼ほど落ち着いた人物なら、超力棟の生徒たちも警戒せず話せるはず。そこから少しでも社交性を育めていければ……」
ぶつくさと独り言ちながら、その足は近道の為に路地裏へ。
日差しの入り込まない薄暗く狭まった空間は、息の詰まる錯覚を抱かせた。
どこか古カビにも似た異臭と乾き切らない水溜まりを抜けて、パフア校に繋がる大通りに出れば問題無く帰宅は可能だ。
──日常的な行動に付き纏う、忘れかけていた危険性を考慮しなければ。
「あーあー、買い物帰りにこんなとこ通るなんて不用心だなァ?」
咄嗟に投げかけられた言葉にユウヤは振り向く。
そこに立っていたのは、頭三つは上背のあるスーツ姿の男……龍崎カズマ。
指定暴力団真鬼里組若頭であり、世間では指名手配犯とされた危険人物。アストライアと警察の双方が身柄の確保に尽力しているはずの相手だ。
そんな彼の脱力した左手には鈍色に金属光沢を放つ、見慣れないアタッシュケースが握り締められていた。
「ダメだぜ? 世の中には怖ーいお兄さんやお姉さんがいくらでもいるからなァ。そういう奴らはすぐ食い物にされて消費、そして俺らの糧になるって訳だ」
「……忠告してくれたのは恩に着る。だが、どうやら親切心からの発言ではないようだな」
「ナハハハッ! 当たり前だろォ?」
余計な問答を繰り広げ、付け入る隙を生み出すのはマズい。
新聞やテレビで仕入れた情報から直感的に感じ取り、ユウヤは察せられない程度に警戒態勢へ入る。
その姿勢に気づくでもなく、変わらない様子で。カズマはケースの機械的なロックを解除。
プシュ、と空気の漏れる音と共にアタッシュケースが開く。
低温保存が機能している内部からふわりと真白い煙が溢れ、カズマは躊躇なく中に手を入れる。
そうして取り出したのは、赤茶けた色味の液体が入った特製アンプル。
注射器も兼ねたそれに入っているのは、怪人化薬……エクセラを見せつけながら、気味の悪い笑みを浮かべる。
「学園島が俺のニュースで持ち切りなせいで、いつもみてぇに稼げねぇんだよ。コイツだって俺が関与してるかもってんで、トンと売れなくなっちまったしよォ。……もっと刺激的で、楽しいことだけ考えて生きられないかね?」
「刹那的だな。あいにくと、わたしの性に合わない」
「おん? ずいぶん理性的に口が回るじゃねぇか。まったく……自分だけは清廉潔白に生きてるってか? 偽善者のくせに。俺の稼ぎに貢献してくれねぇんなら遊ばれてくれよ」
カズマは溜まりに溜まったフラストレーションを解放するべく、独りで行動していたユウヤに目を付けたのだ。
吐き捨てるような物言いの直後に、カズマの姿が掻き消える。ユウヤは目を見開き、次いで即座に思考を回した。
突拍子もない、突然の消失。
マギアブルによる魔法感知の反応が無い。
となれば……心当たりなど、山ほどあった。
「なるほど、テレポート。しかも自分まで出来るタイプか」
そう呟いたユウヤの背後にカズマは転移し、アンプルを掲げた。
そのままためらうことなく首筋へ突き立てようとした──直前に、針先が虚空にて固定される。まるで見えない壁に衝突したように。
ユウヤの超能力“浮遊”によって、エクセラの注入が阻まれたのだ。
「へぇ!? マジかよ、同類って訳か!」
「あまり見せたくはないのだがな。まさか、いきなり凶行な手を打って出るとは思わなかったが」
超能力者同士の争いというのは、実のところ発生する確率は極めて低い。
誰もが己の力を隠し、人の輪に入っては馴染み、突出した自我を見せることは無い。見せた所で、大抵はアライアンスに目を付けられるか。あるいは最悪の場合、自分と周囲の認識の差で自死を選ぶ……超能力者の界隈では、珍しくない。
だからこそ超力棟及び超能部が行う活動は異端の分類に位置する。既存の常識を覆す超能力を、世間へ浸透させようとしているのだから。
故にイリーナやリフェンスがその身で実感し、ユウヤの発言を訝しんでいたのだ。
けれど、夢物語と言われかねない理想を受け入れ、歩み寄ってくれた者がいた。それだけでも、希望はあるのだ。
今、まさしく。
命の危険にある状況で、動じない理由にはなり得る。
少なくとも超力棟で学んだ知識や経験が、ユウヤを無事に生かしているように。
「んだよォ、良い子ちゃんなセリフばっかり吐きやがってぇ」
力押しでは到底敵わないと判断してか、カズマは飛び退く。
路地裏の暗がりに潜み、思案するように唸ってから。
「心を折るのは面倒だ、エクセラを注射すんのも楽じゃねぇ、通報されたら元も子もねぇ。……しゃあねぇ、見切り発車で事を起こした俺のツケだわな。ここは大人しく──始末されてもらうか」
「何を……」
「ほいっ、手ごろな部下一人お取り寄せってな」
「えっ、はっ? なんで……」
カズマがおもむろに、空中へアンプルを持った手を振り上げた。
音もなく、瞬きする間もなく、どこからともなく。これまた厳つい風貌に似合わぬ、困惑した表情を浮かべた男が出現。
遠く離れた他者ですら容易に転移可能である事実にユウヤは戦慄した瞬間、カズマはアンプルを容赦なく男に突き刺した。
理解の及ばぬままに、首筋を赤茶けた色味のエクセラが浸透。秘められた薬剤の効能は、あっという間に人体を変貌させる。
「あ、ぎッ、ごぇ……どう、して……!?」
「手っ取り早く切り捨てられる人員って、お前らくらいだし? さすがにその辺の一般人を怪人化させるってのは、俺の良心が咎めちまうのよ」
「……下衆が。身内だろうに、人をなんだと思っている……!?」
「都合のいい玩具。それ以外にあるか?」
あっけらかんと言い放ち、カズマは路地の暗がり、その奥へ消えていく。
吐き気を催す行為に頭が一瞬で煮え滾るものの、ユウヤはエコバッグの紐を握り締め、跳ねる心臓を抑えようとする。
この場に置かれたのはユウヤと、突如としてエクセラを投与され、怪人化一歩手前までの変化に陥った男。
街中の音響設備、マギアブルもインベーダー出現の警報を鳴らしている。このまま助けを求めれば、一時は助かるだろう。
しかし、こんな場所で怪人化した当人と二人きり。
しかも、ユウヤは世間的に風当たりの強い超能力者。
いかに男が堅気でない存在の者であっても、しかるべき機関より強く疑いの目を向けられるのは間違いない。
意図的でないにしろ、偶発的に致命的な状況。
そんな不安定な立ち位置に身を置いてしまった自身の迂闊を呪い、眼前で変容し続ける男を見据える。
既に着込んでいたスーツは破れ、表皮は罅割れた赤茶に。
肥大化した体長は三メートルにも迫ろうとしており、すぐにでも“怪人”として完成するのは明らかだった。
「……っ」
どうする? どうせ見ず知らずの人間だ、捨て置いても構わない。
いや、それじゃダメだ。目の前で苦しむ人を見ないフリをすれば、いつしかこの選択が禍根となって蝕んでいく。
されど、何が出来る? 超能力の出力はさほど強くはない。先ほどエクセラの注射を防いだのも、ピンポイントで結界のように自身の周りを浮遊させたからだ。
あれだけの巨躯を持つ怪人を相手に、どうすれば……
『なるほどな、大体わかった』
「ッ!?」
歯痒い状況の最中、降り注いだ声に空を見上げる。
目線の動きに逆らうかの如く、舞い降りたのは真っ赤なマフラー。
次いで暗がりにも浮く真っ黒なロングコートが翻り、ユウヤを背後にして立ち上がったのは。
『事情は把握してる。後ろに下がっていろ……アストライアも、その内やって来るだろうからな』
後ろ目でユウヤを気遣う、学園島のヒーロー“夜叉”だった。




