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汚泥の毒

 繁華街の一角を襲う、どどめ色をした謎の飛来物。

 街路樹や建物、車両に付着しては瞬く間に腐食し、毒性のガスを噴出させる。

 幸いにも異常事態は発生したばかり。加えてマギアブルによる自動防衛機構によって難を逃れている者は多い。

 しかし、大気を汚染するガスは繁華街に薄く広く浸透。深く吸い込んでしまった者は発熱や激しい頭痛に見舞われ、歩行困難となっていた。


「うわあ……地獄絵図だぁ」

「呑気に眺めている場合ではありませんよ! 次は私達(わたくしたち)の番です!」


 窓の外、ビルの階下。

 逃げ惑う避難者や近くで駐屯していたアストライアの戦闘部隊の流れ。

 それを見下ろしながら、冷や汗を垂らす門倉シュン。その背後からエルフ族のネイバー、フォルマが呼び掛ける。


 彼女達が所属する服飾デザイナー会社“アリシュタ”の事務所は人気(ひとけ)が無く、閑散としていた。

 ひとえに彼女達の上司が異常を即座に察知し、前もって避難行動を取っていたが故の結果。その甲斐もあってか、事務所に残る数人以外は無事にシェルターへの避難が完了していた。


「皆さん、お待たせしました! シェルターに向かいましょう!」


 そして率先して避難誘導に徹していたヴィニアが来たことで。

 シュン達も他の者達と同様に危険区域からの脱出を試みようとしていた。


「それにしてもインベーダー、じゃないや怪人? の正体が掴めないね。変なの飛ばしてるし、なんなんだろ?」


 事務所の鍵を閉め、停止したエレベーターに代わって、一階まで続く階段を降りながらシュンは疑問を抱く。

 誰も彼もが自分の命の危機という事態もあって無言の中、フォルマだけが横目を向いて答える。


「恐らくは“スワンプマン”系列のインベーダーの能力ね。ヘドロや汚泥といった物体の投擲で人体を拘束し、呑み込み、溺死させる」

「そんなのがいるなんて……でも、腐らせるような能力は?」

「わからないわ。少なくとも、一般的なスワンプマンは中位から上位のインベーダー。その中に、あんな毒のような恐ろしい能力を持つモノはいないの」

「うへ~……詳細不明の不気味な怪人が出てきたんだ。道理で姉ちゃんが早く逃げてって急かす訳だ」


 シュンは自身のマギアブルを覗き込み、メッセージアプリに連投された文。

 双子の姉である門倉リンから送られてきたものを既読済みにして、安心させるべく“大丈夫!”のスタンプを送り返す。


「あんまりバッテリーも使えないね。毒泥がいつ、どう飛んでくるかも分からないし。防護魔法の発動分くらいは確保しておかないと」

「そうしておきなさい。いざとなれば(わたくし)が魔法で防ぐけど、過信し過ぎはよくないわ」

「そろそろ外に出ます。皆さん、汚泥が発する煙を吸わないように、ハンカチや袖で鼻と口元を押さえてください!」


 先導するヴィニアの発言で全員が準備を始める。

 そうして即席とはいえ対策を整えた者達を見渡し、ビルの外へ。扉を開けた途端、吐き気を催す蒸し返すような臭気が嗅覚を刺激する。


 布越しでも貫通してくる異臭には何人かの顔が歪む。

 地球人ならいざ知らず、鼻の良い獣人系のネイバーには厳しい臭い。

 複数回の往復を挟んだヴィニアでさえ慣れていないのか。眉根を寄せて苦しい表情を浮かべていた。


「何これ、きっついっ! マジで言ってんの!?」

「これは、想像以上ね……!」

「シェルターまで行けば、少しは新鮮な空気が吸えます。急ぎま──」


 大通りの道路へ出て、避難先へ向かおうとするヴィニア達の背後に。

 ……べちゃり、べちゃり、と。水気を含んだ異音が響く。

 足音のようにも聞こえる、背筋に怖気の走るそれに、振り返ってはならない。本能はそう囁くが、ヴィニアを筆頭に何人かが振り向く。


『──ウ、ギ、ァァ……』


 そこには、人の形をかろうじて保った、泥がいた。

 暗がりから呻くような声が響き、どどめ色の全身をぶくぶくと泡立たせるそれは、まごうことなきスワンプマンだ。


 ただし一目に見れば臓器とも見紛う肉感が生まれては体内へと回帰し、止まらずうごめき続けていた。

 歩いた跡は溶け、不気味な色味の煙が噴き出す。体積以上の泥を振り撒き、絶えず毒気を漂わせる。


 インベーダーと称するには、あまりにも異質な形。

 緩やかにでも、着実にヴィニア達へ接近していく異形の存在に、目撃した者の正気が容易く削れていく。視界が混濁し、足下が揺れるような錯覚に陥る。

 今にも叫び出したい、逃げ出したい。なのに体は言うことを利かない。


『ィ、ジ、ァアアアアアアッ!』


 戸惑いと狂気の狭間で揺れ動くヴィニア達の眼前。

 推定スワンプマンとされる異形は自身の体を振り回し、身に纏う泥を容赦なく無差別に撒き散らした。

 地面を溶かし、鉄を焼く。人体であれば、肉塊すら残さない汚泥が降りかかる。逃れる術はない。防ぐ手段はあっても、判断が遅い。

 どうしようもない、惨烈な死が迫り──










『動くな。守り切れなくなる』

「え……」


 突如として差し込んできた男の声。

 困惑を切り裂いてヴィニアの前に現れたのは、紅の閃光。

 鈍色の輝きを伴ったそれは目にも止まらない速度で動き、一瞬にして道路をめくりあげ、即席の障壁を生成。

 スワンプマンを囲うようにして四方に屹立した壁は、飛来したどどめ色の汚泥を完璧に防ぎ、簡易な檻とした。


『全員、怪我はないか?』


 呆気に取られ、言葉を無くしたヴィニア達の前に。

 腰に佩いた鞘へ納刀しながら、改めて姿を見せたのは、赤いマフラーがトレードマークの武者鎧。

 世間を騒がせるヴィンテージヒーロー……“夜叉”だった。

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