一夜の夢
じめじめとした地下。ランプに火を入れると、この場所の不衛生さがよくわかる。
ここはとある牢獄。私は今夜の世話係として今ここにいる。私は運が悪い。どうしてこんな日に…。
私が今夜世話を言い付けられた囚人は、明日の朝に処刑される男だ。
「よう、最期の晩餐ってやつを持ってきてくれたのかい?」
暗闇の中から声を掛けられ、私は牢の前に着いたことを知る。
私は何も言わず、隙間から最期の食事にしてはいつもと変わらない食事を入れてやる。
「ねぇ、誰かのと間違ってない?俺、明日死ぬんですけど」
「……」
私は何も言わない。上から囚人と言葉を交わしてはならないとキツク言われているし、いかなる感情も囚人に対して抱いてはならないというのが私のモットーだ。
「あり、シカト?囚人差別ー」
よく喋る男だ。私は牢から少し離れた所にある椅子に座り、一晩を過ごすことにした。
「ねぇ、俺さ、ここに入れられてから九年も人と話してないの。このままじゃ言葉忘れちゃうよー」
アホらし。どうせ明日死ぬんだから、言葉を忘れようが忘れまいがどうでもいいだろうに。
私がここに来てから二時間、男はずっと喋り続けている。…かと思うと、急に黙り込み、静かになる。
どうしてだろう、私はさっきまでと違う静かな空気に耐えられなくなり、牢に近づき、声を掛けた。
「どうした」
言葉を発した刹那に手首にひやりとした感覚、そして、微かな圧迫を感じ、私はランプで牢の中を照らした。
すると目の前に男がいて、私の手首を握っていた。普通なら振りほどくのに、私はそうしなかった。私の関心は無遠慮に掴まれている手首ではなく、男の白い髪と赤い瞳に向いていた。
「…俺の一生のお願い、聞いてくれない?」
さっきとはまるで違う哀愁を帯びた声で私に言う。触れらているからこそ判ったことだが、男の身体は小刻みに震えていた。
考えるより先に、私はゆっくりと頷き、掴まれている手をそっと外し、両手で包み込んだ。
「俺のお願い。朝まで、離れないで」
予想外の言葉に少し眉間にシワを寄せた私を見て、男は泣きそうな顔になる。
「ごめん、でも俺、死ぬのが怖いんだ」
私は返事をする代わりに握っていた両手に力を込める。
「俺さ、見た目普通じゃないかな…?」
私は正直に言った方がいいのか悩み、結局首を縦にふった。
「生まれたときからこんな髪と目でさ、親にも嫌われたし、村の大人にも子供にも、意味もなく虐められた」
突然語り出した男。なぜか聞き入ってしまう私。
「そんな生活がずっと続いて、ある日、役人に見つかったんだ。それが九年前。馬鹿みたいな話だろ?ちょっと周りの人と見た目が違うから、それだけで俺はここにいて、明日殺される」
男はそれ以上何も喋らず、そのまま眠りについた。
男の手が離れなかったので、私もその場にしゃがみこみ、眠ろうとする。
魔がさしたのだろう、そっと私は男の白い髪に触った。
男の髪は細くしなやかで、どこも私達の髪と変わらなかった。
たったそれだけで、この国は人を殺すのか…?あの話はこの男の作り話かもしれないのに、私はこの男に会って初めて人を信用することを知った。
「…何がいけない…?」 私は知らず知らずのうちにそう呟き、眠った。
朝、目が覚めるとすでに男は起きていて、何故か私を見つめていた。
「おはよう、ごめん、色々と…」
私は、胸の辺りにモヤモヤした気持ちがあることに気付き、さらに弁解の言葉紡ごうとしている男の口を自らの口で塞いだ。
「…どうして…お前は死ななきゃならない?」
「さぁ、それが運命なんじゃない?俺たちが出会ったのも運命」
「何を言ってるのか…」 理解出来ない、と言おうとしたが、その前に私の口は男の口によって塞がれた。
それは私がしたような軽い口付けではなく、深く永く、熱いものだった。
「最期に俺は最高の女に出逢った」
男は今日死ぬなんて微塵も感じさせない笑顔で、死刑場までいった。
それから月日が経ち、私は結婚し、子供も出来た。 心残りなのは、あの時、男が私に笑った時、私はちゃんと笑い返せていただろうかということだ。
今になっては分かりようがなく、あの時の気持ちにさえまだ合う言葉を見つけられていないのにだ。
私は駆け寄って来た子供をしっかりと抱きとめながら、昔の若かりし頃に想いを寄せた。
白い髪と赤い瞳を持った愛しい愛娘を胸に抱いて、男の事を考える。
そう、あれはきっと一夜の夢。
短い話でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。今回は登場人物に名前を付けなかったのですがそれぞれに名前を付けていただければ幸いです。