あといっかい、もういっかい
あといっかいくらい、演じてみたい。
最近、ふとした瞬間にそんなことを考える。
あといっかいくらいは、演じてみたい。与えられた自分の役を自分の解釈で掘り下げて、どうにかこうにか表現してみたい。
自己認識として、わたしは書くひとである。まあべつに書いていないけれど、いちおう、自己認識としては根強く輪郭をそうとらえている。
だから、おもしろいドラマや映画を観たりマンガを読んだり、とにかく琴線に触れる表現と出会うと、わたしはうずうず書きたくなる。じっさい書くかどうかはべつとして、「わたしも書きたい」と思わされる。「書かないといけない」と思わされる。
次に、たのしいことに接したり気分が良くなったりすると、「踊りたい」と思う。こちらはまるでそんな経験があるわけではなく、ただ心の中でズンチャズンチャと腕を上げ下げ踊っている。まあ実際に衝動的に踊ってみたくもある。たのしそうだから。
けれども、最近はドラマや映画、演劇を観ていると、わたしも演じてみたいな、演りたいな、と思うようになった。すごいなあ、わたしもお芝居がしてみたいな、と思うようになった。
実のところ、わたしが人生で演じたことがあるのは自認では一度きりである。他には強いて言えば、幼稚園の年長さんのときの発表会でやった『ライオンキング』のとあるパートにおけるナラ役のひとりであって、このことを「演劇経験」とはあまり呼ぶ気にはなれない。
だから一度きりだ。昨年の文化祭公演の脇役のひとり。出番は三回で、動きといえば車椅子に乗って舞台の上手から下手に、下手から上手に横切るだけで、絡むキャラクターはひとりかふたり。車椅子に乗って舞台に現れ、少ないとはいえなんとか覚えたセリフを話して、去る。
最初で最後だろうな、と思って参加してみたが、やはり終わってみればもういっかいだけ、と思うようになった。あくまで、誰かから役を与えられて、その役についてあれこれ考えて、表現してみたいのだ。あといっかいだけ。
彼女(文化祭でわたしが与えられた役のこと)を演じるにあたって、わたしは彼女についてあれこれ考えた。お金はあるかないか、親との関係はどうか、今の生活は実家か施設か、彼女のもともとの性格はどうであったか、最後の出番での心情変化はどのように表出するか云々。正直、こんなことを考えていても、本番ではセリフ以上のことはあらわれない。けれども、わたしはたのしかった。セリフの小さな要素を拾い上げて、こうかもしれないああかもしれないと考えるのはたのしかった。
わたしは努力が嫌いで常にあらゆる不満を口にするような非常にアレなタイプの人間なので、正直周囲のためにも自分のためにもグループワーク系のことはやるべきではないと思っている。し、就活ということを考えると、これからのスケジュール上参加しないほうがいいとも思う。けれども、あといっかいだけ、演じてみたい。そういうジレンマに苛まれている。
どうしたらいいんだろうなあ、なにもわからない。決断ができない。でも、やりたいね。そういう話でした。