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Record5. 空中サーカスの奇術師(前編)

「ぬしは面倒事を運んでくる天才だな」

 ジークから調査依頼を受け、私たちがいるのはスチームパンク飛行船のデッキの上だ。

「さすが、金持ちは考えることが違うな。飛行船で移動する富豪向けのサーカスなんてよ」

 船縁に寄りかかっていたジークは私の嫌味を聞き流し、「ほー、あれが蒸気で船を浮かせてんのかー」と呑気に言いながら、船体の上にある大型のツェッペリンバルーンを見上げている。

「しかも参加者は全員仮面をつけて、ドレスコードを守ること、ですしね」

 クウガはそう言って、自分の姿を見下ろす。白いシャツに赤い蝶ネクタイ、ワインレッドのジャケットにエメラルドのベストと肩マント、黒い下衣に革のブーツを履いている。

「よく似合っておるぞ、クウガ」

 オールバックにセットされた髪を落ち着かなそうに押さえているクウガの顔を下から覗き込めば、照れ臭そうに視線を逸らした。

「シャルロッテ、俺はどうだ?」

 図々しくも自信ありげに胸を張るジークは、ストライプの黒いシャツにネイビーのタキシード、黒革のブーツを履いている。

「ふん、タイも締めずに首元をだらしなく開けおって、タキシードを着ていようが、ぬしはチンピラだ。クウガとウルフくんの爪の垢を煎じて飲むといい」

 ウルフくんはいつものディープレッドのリボンを首に巻き、光沢のあるグレーのベストとシルクハットを身に着けている。

「つれねえところが最高だな」

「マゾめ」

「シャルロッテも似合ってるぜ、そのドレス。なあ、クウガ?」

 同意を求められたクウガは、私に視線を戻す。エメラルドとブラックの生地が折り重なるようなデザインのマーメイドドレスに、黒いハイヒール。胸元には瞳の色と同じ宝石のブローチが光っている。

「まあ……綺麗、だけど……」

 クウガは気恥ずかしそうに、ぼそぼそ言いながら、そっぽを向いて頬を掻いていた。

「さて、衣装自慢はそこまでに、そろそろ中に入んぞ……っと」

 ジークはそう言って船縁から勢いよく背を離すと、船内に向かって歩き出す。

 建物内は豪華客船さながら、白壁に金の薔薇の絵が描かれており、廊下の天井には小ぶりのシャンデリアが一定間隔で設置されている。

「ようこそ、奇怪な幻想の世界へ」

 広間の入り口に立っていた黒いピエロのドアマンが、赤い両脇のカーテンを開ける。中に入れば、前座なのか、ピエロたちが火を操り、水を操り、身軽に宙を舞っている。

 そう、ここはアビス患者を見せ者にしているサーカス団。それが事実なのかを確かめに、私たちは内部調査に来たのだ。

「こりゃあ、驚いた。よくこんなにアビス患者を集めたな」

 席に着くや、横に座っているジークが言う。

「先に言っておくが、患者がアビスの力を引け目に感じることなく、誇りをもって使っているなら、私は止めんよ」

「それが見せもんになっててもか?」

「だとしても、だ。アビス患者を勝手に不憫に思うことのほうが失礼だ」

 手からツルを出し、それに掴まりながら命綱なしに向こうの足場へと渡る者。キメラへと変わった者同士で戦う者、ショーは盛りだくさんだった。

 サーカスを見終わったあと、別の広間でパーティーが催された。シャンパングラスを私に差し出しながら、クウガが言う。

「ショー自体に特におかしな点はなかったな。アビス患者同士が戦う場面もあったけど、本気じゃなかった」

「そうとは限らないぞ」

 怪訝そうに「え?」と眉間を寄せるクウガに、私はにやりと笑う。

「こういった裏社交界では、面白い話が聞けるものだ」

 談笑している男たちのところへ迷わず足を向けると、私のあとを皆がついてくる。

「アビス患者というのは、使いようによっては利益を生みそうだな」

「なんだ、ショーハウスでも作る気か?」

 談笑している彼らの会話はクウガたちの耳にも入ったのか、不愉快そうに表情を歪めていた。私は「それならぜひ、私も招待してもらいたいな」と、ふたりに近づく。

「綺麗なお嬢さん、あなたも変わりもの好きなのかな?」

「金持ちになると、宝石に絵画……些細なことに感動できなくなる。刺激が欲しい気持ちはわかるよ」

 男たちは私を挟むようにして、自然に会話に混ぜてくれた。

「ああ、そう言った意味では、今回のサーカスは実に有意義な時間を過ごせた」

「お嬢さん、変わった話し方をするんだね。サーカスといえば、ここの団員は力を磨くために特別な特訓を受けているらしい」

 一歩下がったところで話を聞いていたクウガたちが、各々反応する。私が「特訓?」と聞き返せば、自分しか知らない情報をひけらかすのが気持ちいいのだろう。男たちは得意げに言う。

「俺も詳しくは知らないが、命がけらしい。今、ショーに出られてる団員たちは、その特訓を生き抜いた精鋭なんだそうだ」

 自分の感情と世間の在り方に相違が出たとき、命の危険を感じたとき、人は強いストレスを感じる。危機的状況はアビスの力を開花させやすい。アビスはある種の防衛本能という見方もできる。

 まったく、ここでもくだらん実験をしている輩がいるようだな。

 脳裏に蘇る嫌な記憶。

『シャル……ロッテ……怖がらないで……僕、を……!』

 鎖に繋がれた〝あれ“が、初めて私に弱々しく懇願した。あのときの恐怖、怒り、悲しみが一気に押し寄せてきて、意識が過去に引きずられそうになったとき――。

「シャルロッテ」

 クウガに肩を捕まれ、一気に現実に引き戻される。クウガは私が教会で育ち、そこで毎日のように魔女や怪物を作る実験体にされていたことを知っているからだろう。案じるように、私を見つめていた。

「ああ、ぼーっとして、すまない。貴重な話をありがとう」

 そう言って壁際まで捌けると、私はクウガたちを振り返らずに言う。

「私はその特訓について調べてこよう」

「調べるって、どうやって」

 クウガは疑問を呈するが、私は前を向いたまま淡々と答える。

「団員に立候補して、内部に潜入する」

「それなら俺も――」

「駄目だ!」

 自分でも驚くほど、強く突っぱねていた。

 冷静になれ、過去に引きずられてどうする。

 そう己に言い聞かせ、私は俯きながら、ふうっと息を吐く。

「下手をすれば、その実験に参加せざるを得ない状況になる。ぬしはまだ、アビスにかかって日も浅い。その実験でぬしが怪物の姿から元に戻れなくなる可能性もあるのだぞ」

「……本当にそれが理由か?」

 なにもかも見透かすような物言いに、らしくもなく鼓動が早まる。私は深呼吸をして、「どういう意味だ」とクウガを振り返った。

「あんたは、俺に自分と同じ目に遭ってほしくないと思ってる。……違うか?」

 出会った頃は迷子のように頼りなかった瞳が、今はまっすぐ強く私を見つめている。素直で不器用なこの男は、自分も傷だらけなのに、いつだって誰かの心を案じている。だから私は、偽れない。

「心配なのだよ、弟子を危ない目に遭わせたくない師匠心をわかってくれ」

「……それを言うなら、師匠を案じる弟子の心もわかってくれ。そうですよね、先輩」

 クウガの視線を受けたウルフくんは、強く頷く。

『他人ファーストのクウガが引かないということは、今回はシャルロッテ様が全面的に間違っているということですよ』

「う……そこでウルフくんに話を振るなんて、ずるいぞ」

 唇を突き出せば、黙って見守っていたジークがぶはっと吹き出す。じとりと睨みつければ、ジークは肩を竦めた。

「シャルロッテも、子供みたいなところがあんだな。そうなれる場所があって、よかったじゃねえか」

 ……珍しく的を射たことを言う。

 私は「ううむ」と渋く唸り、何度目かわからないため息をついた。

「わかった、わかった。では皆、仲良く入団といこうか。これで安心か、クウガ」

 笑いかければ、クウガは「ああ」と口元を緩めた。

 

「まさか、お客様の中にアビス患者の方がいらっしゃったとは」

 私たちは鉄製の壁や床に囲まれた飛行船の地下にいた。

 廊下に一定間隔に吊るされたランタンの明かりを頼りに、鼻の下に髭を生やした男爵のあとをついていく。

 男爵は黒いハットに蝶ネクタイ、白いシャツの上から真っ赤な燕尾服のコートと金のベストを身に着け、黒のパンツの裾をしまいこむようにブーツを履いている。白いグローブをはめた手には黒いムチを持っており、団長というよりは調教師に見える。

「ああ、名乗り遅れました。わたくし、団長のショーマン・ブラックと申します」

 シルクハットを押さえ、頭を下げる男爵――団長に作り笑いを返しつつ、私はクウガに小声で呟く。

「ちょろいな」

 ちゃちゃっと歌い、種から花を咲かせて見せれば、あっさり入団を受け入れられたのだ。

 クウガには「聞こえるだろ」と窘められるが、それにしたって審査が緩い。アビスの力を見せたのは私だけで、あとはジークがクウガとウルフくんの頭に乗っていたリンゴを銃で撃ち抜くという人間業を披露しただけで、前にキャリアの症状があったとほらを吹けば、それを疑いもせずに信じたのだ。

 今は団長が、新人団員である私たちに中を案内してくれている。

「いやあ、シャルロッテ様なら、このサーカスのメイン歌姫になれますよ!」

 男爵は腰が低い。このゴマを擦るような態度は、私たちがサーカス団のVIP客だと勘違いしているからだ。そんな人間をサーカス団に入れれば、なにかあったときに訴えられる可能性もある。リスクのほうが高いと思うのだが、なぜだか団長は乗り気だ。

「ご謙遜を、その気にさせるのがうまいですね。さすが、団長」

 おだてられていい気分になった団長は、ぺらぺらと本音を語りだす。

「このサーカス団は行き場のないアビス患者の保護も兼ねているのです。ここはひとつ、ご令嬢のシャルロッテ様に表立って広告塔になっていただき、サーカス団を盛り上げていただけたらと」

 なるほど、目的は資金援助とさらなる富裕層の集客か。

「ああ、もちろんだ」

 適当に返事をして、視線を周囲に向けたとき、『ぐあああああっ』と男の悲鳴がこだました。思わず足を止めた私たちに、団長は言う。

「ああ、騒がしくて申し訳ありません。皆、ステージに立つため、血の滲むような努力をしているのです」

 団長は廊下の途中にある部屋の入り口で足を止め、中を見るよう手で恭しく促す。ゆっくりとそちらに視線を向ければ――。

 スパンッと、いくつものギロチンに男が手足を切り落とされていた。皆が「なっ……」と息を呑む中、団長はけろっと話し始める。

「彼は何度手足をバラバラにされても、くっつくトカゲ男なんですよ。最初は再生に時間がかかっていましたが、今は訓練の甲斐あって、数分で元通りです。さ、次に行きましょう」

 その場から足が動かなくなっているクウガとジークの腕を引く。後ろをついてくるウルフくんも、毛を逆立てながら、団長の背中を鋭く見据えていた。

「ここでの訓練は厳しいでしょうが、その先に待っているのはスポットライトに当たる自分!」

 そう言いながら次の部屋に入れば、巨大な水槽があった。男たちふたりが、ぐったりしている少女を後ろから抱えている。

 すると、その様子を心配そうに眺めていた団員たちが「これで何度目だ?」「もう死んじゃうわ」と話しているのが聞こえた。

「社会に居場所のないアビス患者に喝采を浴びるチャンスを与えている、これは慈善活動ですよ!」

 両手を広げながら、団長は満面の笑みで声高らかに述べる。

「狂ってやがる」

 ジークが小声で嫌悪感を露わにした。そのとき、少女が水槽に投げ入れられた。大きな水しぶきを上げ、沈んでいく。よく見れば、両足を縄で縛られているではないか。

「彼女は人魚をベースとしたキメラになれる素質があるんですよ。自由自在に擬態化できれば、花形団員になれること間違いなし!」

 そうは言うが、少女は意識がなく、擬態化する様子はない。

「あのままじゃ死ぬぞ!」

 駆けだそうとしたクウガを腕で後ろに押しやり、煩わしいドレスの裾を手で引きちぎると、私はヒールを脱ぎ捨てて部屋の脇にある階段を駆け上る。水槽の前まで辿り着くと、迷わず飛び込んだ。

 バッシャッーンと大きく水飛沫があがる。潜水して少女の身体に手を伸ばすと、自分のほうへ引き寄せて水面へと浮上した。

「シャルロッテ!」

 クウガが私の腕を掴んだ。ウルフくんも私のドレスの袖を噛んで、クウガと一緒に引き上げる。それと同時に、ジークが少女の身体を抱き上げた。

「まさか空の上で、海水浴ができるとはな」

 ぺっと、口の中に入ったしょっぱい水を吐き出す。人魚だからか、水槽の水も海水仕様になっていたらしい。

「また、無茶をして……なんで俺を行かせてくれなかったんだよ」

 肩にジャケットをかけてくれるクウガに、私は前髪を掻き上げながら言う。

「可愛い弟子に、そんなことはさせられんよ」

 わしゃわしゃとその頭を撫でてやれば、クウガは困ったように眉を下げていた。

「なんと、シャルロッテ様は体力もおありのようで」

 水槽の下を見れば、団長が拍手をしていた。笑っているが、その目は勝手な真似をした私を責めている。そのとき、ジークの腕の中にいた少女が意識を取り戻す。

「ん……あ、れ……私……」

「ああ、目が覚めたか。お前は水槽ん中で意識を失ってたんだよ。シャルロッテが助けなきゃ、あのまま死んでたぞ」

 ジークの話を聞き、少女は青ざめた顔で叫ぶ。

「余計なことしないで!」

「は?」

 唖然とするジークにも目もくれず、少女は団長に向き直るや額を地面に擦りつける勢いで頭を下げた。

「申し訳ありません、団長っ。次は絶対にうまくやりますから、もう一度チャンスを……っ」

 その様子を見ていたクウガが呟く。

「なんで、あそこまで……」

「ここにしか、居場所がないと思わされているからだ。毎日繰り返される苦痛は、自分が必要とされるための試練なのだと、そう考えることで精神的ストレスから逃避し、心が麻痺してしまったのだろう」

「そんなの、虐待と一緒だろ」

「ああ。同意見だ」

 声を顰めながらクウガと話していると、団長が少女に答える。

「いいんだ、いいんだ。やる気がある団員は嫌いではないからね。とはいえ、シャルロッテ様が気遣ってくれたのだ、今日は休みなさい」

 少女は「はい……」と言いながら立ち上がり、私を睨みつけながら去っていった。

「……助けてもらっといて、あれはねえだろ」

 頭をガシガシと掻きながら、ジークがこちらへ歩いてくる。

「そうだ、シャルロッテ様。よければこれから、特訓の体験をしてみるというのはいかがでしょう」

 今の一件で私が邪魔になったのは目に見えている。このタイミングで特訓を切り出してくるということは、私を利用するのはやめたということか。手のひらを返すのが早いな。

「わかった、やってみよう」

 クウガが「おいっ」と止める。ジークとウルフくんも、険しい面持ちで私の考えを探るような視線を向けてきた。

「心配するな、こういうのは慣れている」

 皆を振り返りそう言えば、クウガとウルフくんは納得いかなそうな顔をしていた。それがどうしてなのかわかるだけに、私は苦笑いしてしまう。

 まったく、優しい弟子たちだ。


 団長に連れられ、私がやってきたのは真っ暗な部屋だった。

 アビスの能力で夜目が効くらしい団員たちの手によって、木製の十字架に縛り付けられている。そのまま、ひとりにされて放置されているのだが、暗闇に目が慣れてくると、足元に薪が積まれているのに気づいた。

「これは、なかなか古風な真似をしてくれる」

 クウガたちはどこにいるのだろうか。団長は『お連れの方々は、外でお待ちください』と言って、私と皆を引き離した。

 そんなことを考えていると、開演を知らせるブザーが鳴り響く。すると目の前のベルベットカーテンが持ち上げられ、眩しい光が差し込んできた。思わず顔を背けて目を細めれば、そこにいたのは大勢の観客。

 なるほど、私を見世物にして処分する気か。どうやら団長は、私の正体に気づいていたらしい。それもそうか、世界中からアビス患者を集めるような男だ。当然、魔女のことも調べていただろう。女のアビス患者の中には、魔女になる者がいる。その魔女の能力が声に宿りやすいことも知っていたのなら、入団の際に唄った時点で、私の正体もわかっていたはず。

 こうなると、同胞のアビス患者を助けたことで、私がDr.ウイッチであることにも気づいただろう。すべてを知りながら、令嬢のふりをする私の茶番に付き合っていたというわけか。

「礼をしてやらねばな。あの狸ジジイに」

 商品であるアビス患者たちを奪われないために、Dr.ウイッチである私を消すのが目的か。そもそも、アビス患者の力を開花させようとしているあやつにとって、アビスを治療する私の存在は邪魔でしかない。

「これからお見せするのは、何千年前から民衆の娯楽となっていた『魔女の火あぶり』です!」

 団長が「ショータイム!」と合図をすると、足元の薪に向かって団員が火の球を放つ。バチバチと嫌な音を立て、煙が私を包み込む。

「げほっ、げほっ……」

 私が咳き込むだけで、皆が歓喜の声をあげる。次は悲鳴を聞かせろとばかりに、期待のこもった眼差しを向けられながら、私は自分が縛りつけられている十字架を見上げた。

 私は神など信じない。私が信じているのは――。

 ドゴーンッと、なにかが壁を突き破る。瓦礫が飛び散り、砂煙が広がると、観客の悲鳴がこだました。

 中に入ってきたのは、鶏の頭を持つ黒いドラゴン。ドラゴンは人を吹き飛ばさん勢いで翼をはためかせ、真っ先に私の目の前まで飛んでくる。

「クウガ……愛しい怪物。ぬしなら来てくれるはずだと、そう信じていた」

 観客の前で火に包まれる私を見たからか、クウガは怒りに静かな唸り声をあげている。

「クウガ! ったく、よりにもよって、こんな人が多いところで擬態化かよ!」

『シャルロッテ様……っ』

 擬態化したクウガのあとを追いかけてきたのか、ジークとウルフくんも混乱する会場にやってきた。

 私はクウガから目を逸らさず、焦っているふたりに向かって叫ぶ。

「こちらはいい! それよりも、乗客の安全を確保しろ!」

「……ちっ、わかった! 俺の女を縛った挙句、火あぶりにしようとしやがった野郎は、あとで俺がしめてやっからな!」

 歯がゆそうに言うジークに、私は「いいから行け」と返し、苦笑いする。ジークが駆け出すと、ウルフくんも後ろ髪を引かれならも、出口に向かい『わふっ』と鳴いて観客を誘導した。

「クウガ、けほっ……私は大丈夫だ。こうなることも……っ、想定できていた。だが……ぬしを不安にさせたな……すまなかった」

 深い哀愁がこもっている紅の双眼に、私が映っている。

「ああ、この手が自由だったなら……ぬしを抱きしめてやれるのに……なあ、クウガよ。そんなに傷ついた顔をするな」

 そうクウガに声をかけたとき、「おお、素晴らしい!」と弾んだ声が響く。客席の中央にある階段を、団長が逃げる人の流れに逆らって降りてくる。

「こんな大きなキメラを見たのは初めてだ! これは目玉商品になる ぞ!」

 それを聞いたクウガの身体が怒りに震えた。瞳に殺気を湛え、「フシューッ」と火を吹きながら団長を振り返る。

 巨大な怪物に睨まれた団長は、さすがに身の危険を感じたらしい。笑みを引きつらせ、後ずさる。

「クウガ、私の声だけを聴け」

 クウガはゆっくりと私に視線を戻す。煙が濃くなり、足のすぐそばまで火が迫っていた。私は熱さを堪えながら、笑みを絶やさず声をかけ続ける。

「そうだ、いい子だ……げほっ……はあ……私の言葉にだけ、耳を傾けろ。ぬしは私の愛しい怪物。誰かの見世物にしてやる気はない、ぬしを必要としているのは、他の誰でもなく……私だ」

 本心を伝えれば、クウガの目が見開かれる。

「大丈夫……ぬしならば、もう今の自分をちゃんと愛してやれる。ぬしは自分でDr.ウイッチの助手見習いになることを決め、仲間を、居場所を増やしていった。ぬしは……依頼を通して、多くの患者に向き合い、救ってきた……」

 踏み出すのを恐れながら、それでも健気に前に進むその姿を、誰よりも間近で見てきたのは私だ。

「ぬしはもう、自分を卑下しない。日の当たる世界は、明るいからこそ人の悪意もよく見えてしまう。それでも、この世界で精一杯生きているぬしを……愛しく思うよ」

 紅い瞳が微かに涙の膜を張り、煌めいた。

「帰っておいで、クウガ」

 その言葉を合図に、クウガは鋭い爪で私の拘束を外した。落ちそうになる私を、その大きくゴツゴツとした手で優しく握り、そっと地面に下ろすと、クウガの身体も小さくなっていく。

「……ただいま」

 クウガは眉を下げながら笑う。そんなクウガの頭を「おかえり」と言いながら抱き寄せた。一糸纏わぬその身体からは、体温と鼓動が直に伝わってくる。

「あんたが連れていかれたあと、檻に閉じ込められそうになって……そこで、あんたをショーに出すって聞いたんだ。それで、焦るやら、ムカつくやら……もう、自分がよくわかんなくなって……」

「そうかそうか、不安にさせて悪かったな」

 クウガの頭を撫でていると、「な、なにをする!」と団長の焦った声がした。クウガと共に振り向けば、団長はパンツ一丁にされていた。

「クウガ、サイズ合うかわかんねえけど、ひとまずこいつの服でも着とけ」

 そう言って、ジークが団長の服を投げる。それをキャッチしたクウガは、物凄く微妙な顔をして、着替えを始めた。

「刑事が追いはぎか」

 パンツ一丁の団長を見つつそう言えば、そばにウルフくんがやってくる。

『今回ばかりは、そのまま船から落として差し上げたいくらいです』

「ウルフくんも、心配をかけたな」

 その背中を撫でていると、ジークが腰を屈めて、床に座り込んでいる団長を冷ややかに見下ろす。

「俺はアビス患者に強制労働をさせたてめえを、労働基準法違反で摘発しに来た、マリンヴェネ西部中央警察の刑事だ」

「ふ、ふざけるな! 私はアビス患者に仕事を提供しただけだ。皆、望んでしたことなんだよ!」

 団員たちも「そうだ」「こんな私たちに居場所をくれたのは団長よ」「俺たちにはここしかないのに、サーカス団がなくなったら、どうやって生きていけばいいんだ」と団長を擁護する。

「ほ、ほらみろ! 私は善意で……っ」

「……そこで騒いでいる団員たちよ、ぬしらは何歳のときに団長に引き取られたのだ?」

 喚いている団長の言葉を遮り、団員らに話しかける。

 団員らは困惑の表情で顔を見合わせ、「六歳?」「十歳くらいだったかも」「正確には覚えてないけど、子供の頃からだ」と答える。

 私の問いの意味をすぐに理解したジークは、にやりとした。

「未成年のアビス患者に、『てめえらの居場所はここにしかねえ』、そう思い込ませて働かせる。それは立派な洗脳だ」

 ジークは酷薄な笑みを浮かべ、ガシッと団長の胸ぐらを掴む。

「てめえのしたことは、立派な犯罪なんだよ。意味、わかるか?」

 ぐうの音も出ない団長の胸元から乱暴に手を離し、ジークは手錠をかける。

「アビス患者の行く末というのは、こんなものかな」

 会場に声が響く。出入り口を見やれば、肩にカラスを乗せたシルクハットにタキシード姿の男が立っている。

「あんたは、あの時の……!」

 クウガが驚いている。ジークもシルクハットの男の肩を見て、「あのカラス……」と呟いた。

 そう、こやつが私の世界だった男。

「――メフィスト」

 その名を呼べば、クウガがこちらを向くのがわかった。

 メフィストは嬉しそうに、それでいて気まずそうに笑い、階段を下りてくる。

「……きみは、いつだって変わらないね」

 どこかで聞いた言葉だ。あのときは皮肉か誉め言葉か、わからなかった。だが、私も旅をした。その行く先々で多くの人と出会い、思いに触れてきた。子供だったあの頃に比べて、言葉にされない心を感じ取れるようになったつもりだ。

「私たちは個々それぞれ、別の人間だ。私に変わることを求めるな。私の心は私のものだ。そして、ぬしの心もぬしのものだ」

 メフィストと視線が絡み合う。

 かつて私たちは、同じであることを望んだ。同じだけ壊れていてほしい、そうでないと、自分だけが異常で異物なのではないかと不安だったからだ。

 私は魔女で、メフィストは怪物。私はそこに違いなどないと思っていたのに、この男は自分だけが怪物になったと絶望し、私を置いていった。

「そうだね、私たちは違う。きみは怪物も人間も助ける。でも、今回はどちらも助けるのは難しそうだね。彼らは、そこの人間なしに生きられなくされている」

 メフィストは憐れむように団員らを見たあと、団長に無機質な視線を移した。

「怪物は畏怖され虐げられるもの。はたまた、そこの愚かな男のように、(ちん)()さや禍々しさ、(わい)(ざつ)さを売りにしたフリークショーの商品にされるもの。意志ある生き物として扱わない。そういったお前たちのほうこそ、汚らわしい存在だというのがわかっていない」

 階段途中で足を止めたメフィストは、私たちを見回しながら続ける。

「だから、教えてあげよう。お前たちがどれほど卑しく、私たちがいかに怪物なのかを。虐げられるべきは、どちなのかを」

 メフィストは、カンッと両手でステッキを地面につく。すると、メフィストの影が伸び、やがて形を変えていく。バッファローのような角を生やし、ハリネズミの棘を纏った、コウモリの翼を広げる大きな怪物の影は会場を、船を闇一色に覆い尽くしていく。

 船内のあちこちから悲鳴があがり、「なんだ?」とクウガが私を引き寄せる。

 船はあっという間に影に飲み込まれ、再びメフィストがステッキをつく音が響き渡った。

 闇の異空間に青いカーテンが現れ、さあっと左右に開く。そこにはサーカスの舞台があり、その上には振り子のように揺れる淡い金色のシャンデリアとカラフルな風船たち。まるで奇術のようだった。

「憐れな怪物たちよ。さあ、きみたちの望んでいたショーの時間だ」

 そう言ってメフィストがパチンッと指を鳴らすと、観客だった富豪たちが水槽の真上に吊るされた檻の中に入れられ、団長も含め多くの人間がギロチンにかけられそうになっている。彼らは自分たちの状況に気づくや否や、気が狂ったように悲鳴をあげ、「ここから出せ!」と檻を揺すっていた。

「そこにいる獣どもを調教し、観客を楽しませるんだ」

 メフィストはシルクハットを脱ぎ、いつの間にそこにあったのか、観客席に向かって投げる。シルクハットは回転しながら観客席の上空で制止し、その内側からドバーッと泥状の闇を吐き出した。観客席に降り注いだそれは、ドプドプと音を立てて人型を模る。何百もの人型となったそれは、まるで生きているかのように歩き出し、座席に腰かけた。

「ここでは、人間たちの普通は存在しない。そもそも普通なんて、少数意見を持つ人間が多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制される……同調圧力が生んだ価値観だ。つまり、有象無象に存在する人間に比べれば、アビス患者の数は雀の涙ほど。では、その社会構造が反転したら?」

「……なるほど、人数こそ人間のほうが多いが、ぬしはアビス患者に調教師の役割を、人間に調教される獣の役割を与え、立場を反転させた。アビス患者が優位に立つ状況を作ったのか」

「そう。ここでの普通は、人間を見世物にするサーカス。面白いことができなければ、当然、獣は処分される。薄汚い獣たちも、命がけで芸を磨くといい。普通から逸脱し、解除されないように」

「メフィスト、ぬしは……」

 暗い微笑を浮かべるメフィストに、言葉がつかえた。その間も、追い詰められた富豪たちは青ざめ、よりいっそう取り乱している。団員たちは困惑したように、人間たちの様子を眺めていた。

「よく見ているんだ。あれが、きみたちが縋っていたものだ。果たして、それだけの価値があれにあるのだろうか」

 先刻、団長の惨い特訓を止めた際、団員たちは『居場所がなくなったらどうするんだ』とばかりに、逆に迷惑だと言わんばかりに、私たちを見ていた。

 だが、今はどうだろう。団員たちはメフィストの言葉を否定できないでいる。

「力ある人間に寄生しなければ、生きていけない。そう信じていた彼らは、今現実を見せられて悟る。人間は弱い、アビスの力を持っている自分たちよりも遥かに劣ると」

「人間とアビス患者で全面戦争でも始める気か、メフィスト。それではアビス患者は、その存在を理解されず、社会から孤立し、かつての魔女裁判のように迫害されていくだけだというのが、わからないのか?」

「きみこそ、その社会構造こそが異常なのだと、なぜわからないんだ」

 私たちは誰よりも、お互いの理解者だった。だが、今はメフィストの考えが、理解できない。メフィストを、もっと遠くに感じる。

「私も旅をしてきた。そして、怪物であることを嘆き、否定され、虐げられ、それでも人の心を捨てられずに苦しんできた憐れな怪物たちを何人も見てきた。もはや、私たちを受け入れない世界を変える以外に道はないんだ。シャルロッテ、きみは時間と共に忘れてしまったのかな。私たちが受けてきた理不尽を」

 ならば思い出させてあげよう、とメフィストは床にステッキをつく。その瞬間、景色は森の中に佇む、教会へと変わった――。


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