Record4. 糸繰り人形(マリオネット)の館
依頼を終えた夜、私たちは雪国ヒヨンドルの辺境の村、ノルドンに立ち寄った。雪山に囲まれたその村は、夜とはいえ、さほど遅い時間でもないのに、誰も外を歩いていない。どこか陰湿な空気が漂っているように思えた。
ひとまず冷え切った身体を温めるべく、酒場に入った。軽い軽食と木樽ジョッキのぶどう酒、そしてミルクを頼み、ウルフくんもテーブルに顎を置いて、三人で顔を突き合わせている。
「吹雪で列車が運休か……今夜の宿はどうする?」
「見つからなければ、野宿でDr.ウィッチと愉快な仲間たちの氷漬けか。旅は道連れとは、よく言う」
『冗談を言っている場合ではありませんよ、シャルロッテ様』
予想通りの反応が弟子たちから返ってきて満足していると、急に肩を掴まれた。
「お前さんはDr.ウィッチなのか?」
振り返れば、無精ひげを生やした四十くらいのみすぼらしい男が立っていた。自分の肩にある男の手に視線をやれば、その指先は黒く汚れている。
インク……? 物書きかなにかか?
「あんた、いきなりなんなんだ」
いつの間に席を立ったのか、クウガが男の手をやんわりと振り払う。
「あ、悪かった。ちらっと話が聞こえてきたんだが、お前さんたちは宿を探してるんだろ? けど、ここはこの通り辺鄙の村だ。旅人は滅多に寄りつかない。宿も客が来なけりゃ夕方には店じまいしちまうんだ」
「それはまずいな」
「この先の丘の上に立派な館がある。そこの女主人に泊めてもらうといい」
大の大人が立って話しているからか、客の視線が集まる。男はクウガをじっと見つめ、「お前さんなら、歓迎されると思うぞ」と言い、店を出ていった。
『なにやら気味の悪い男でしたね』
「そうですね。でも、背に腹は代えられないのも事実だ」
ふたりの会話をよそに、店内をさりげなく見回していると、
「シャルロッテ、どうする」
クウガの声で我に返る。私は「そうだな」と返し、ぶどう酒を一気に飲み干して席を立った。
「他に手がないなら訪ねてみよう。館の女主人とやらをな」
「よくぞいらっしゃいました。わたくしはエリーズ。吹雪の中、大変でしたでしょう。さあ、こちらにいらして」
館に着くと、二十代半ばのブロンドの女主人が私たちを出迎えた。だが、女主人はクウガしか目に入っていないのか、その腕を引いて中に促す。
「私たちは、おまけのようだな」
『そのようですね』
長い廊下を歩きながら小声で話しかけると、ウルフくんが眉を下げながら頷く。
すると、クウガが困惑気味に何度もこちらを振り返る。冷やかすように、ひゅうっと口笛を吹けば、恨めしそうな視線が返ってきた。期待を裏切らない反応を見せてくれるのが、クウガなのである。
客間に案内されると、リフェクトリーテーブルの席に着いた。目の前のケーキスタンドには、苺のパウンドケーキにマンゴータルト、チーズマフィンにチョコチップスコーン、アプリコットなどのお菓子が並んでいる。
「お茶とケーキは足りていまして? おかわりはいくらでもありますから、遠慮なくおっしゃってくださいね?」
エリーズは私やウルフくんには見向きもせず、クウガにばかり話しかけている。いよいよ助けを求めるようにクウガが視線を送ってきたので、見かねてふたりの世界に割り込むことにした。
「随分と用意がいいのだな」
「館の主として、お客様にはいつでも最高のおもてなしをしなければ。これが運命の出会いなら、なおさら」
恍惚の表情で両手を組み合わせるエリーズを、じっと観察する。
いつ来るかもわからない客のために、毎日ここまで万全に茶会の準備をしているのか? 運命と言うのは、さしずめ……。
「クウガ様は、どこからいらっしゃったのですか?」
「ま……マリンヴェネです」
クウガが質問責めにあっている間、私は室内を見回す。エリーズの背後、壁一面にある本棚の中に、ひとつだけ真新しい本を見つけ、私は席を立つ。
エリーズはクウガに夢中で、私に興味がないのか、勝手に動き回っても咎めない。私は他の本を見ているふうを装い、さりげなく目当ての本を手に取る。中を開けば、それは記事を集めたスクラップブックだった。
私はそれを白衣の内側に隠し、席に戻る。
「……ふたりの世界を邪魔して悪いが、この館に最近、足を踏み入れた者はいるか?」
ふたりの世界? と、眉間にしわを寄せるクウガを視界から追い出し、私はエリーズに問う。
「……? わたくしの恋人たちだけですわ」
「たち? エリーズ嬢は恋多き女子というわけか」
「ふふ、ええ。皆、この館で休んでいますわ。あなたも……すぐに会えるはず」
エリーズはクウガを見つめ、うっとりするような微笑みを浮かべて唇を舐める。
クウガはというと、生理的に受け付けないのか、微かに青ざめ身震いしていた。
「ほう、ぜひともぬしの恋人コレクションについて詳しく聞いてみたい。最近はどんな男がエリーズ嬢の魅惑にやられたのだ?」
「旅人さんよ。新聞記者をしていた方だったと思うわ。それより、クウガ様? 紅茶が進んでいないようですけれど、遠慮しないで?」
クウガのカップに紅茶を注ぐエリーズ。私は席を立ち、「はあ、いただきます」と気を使って飲もうとするクウガから、カップを取り上げる。
「やめておけ、人様の家でおねしょはいただけないからな」
「おい」
俺はそこまでガキじゃない、と言いたげに睨んでくるクウガを無視する。エリーズはうふふと笑い、腰を上げた。
「夜も遅いですものね、そろそろ客室に案内いたしますわ」
「ごゆるりと、お休みになってくださいませね」
花が咲くような笑顔で去っていくエリーズ。扉が目の前で閉まると、クウガは疲弊した様子でため息をつき、ベッドに座り込んだ。
私は懐から小さな布袋を取り出し、眠そうに目を擦っているクウガの前に立つ。
「ほれ、これを噛め」
布袋から一枚だけ薬草を取り、クウガに差し出した。それを受け取ったクウガは、怪訝そうに「これは?」と私を見上げる。
「解毒作用のある薬草だ」
「は……解毒……?」
「早寝早起きのぬしでも、眠るにはまだ早い時間だ。さて、なぜそんなにも睡魔に襲われるのか」
「まさか……睡眠薬が? どうりで紅茶を勧めてくると思った」
血の気の失せた顔でいそいそと薬草を噛むクウガに、私はふっと笑い、ナイトテーブルにあるピッチャーの水をコップに注ぎ入れる。
「水もたくさん飲め? 体内の毒素を薄めないとな」
「……わ、わかった」
コップの水を勢いよく飲むクウガの足元に、ウルフくんが心配そうに寄り添う。
私はクウガが落ち着くのを待って、切り出した。
「……お前は変に思わなかったか? いつ来るかもわからない客人のために、あの量のスイーツや紅茶を準備して待っているのも、この出会いを『運命』と称したことも」
私は懐からスクラップブックを取り出し、クウガの隣に腰かける。
「それは?」
「新聞記事を集めたスクラップブックだ。お前がエリーズ嬢と楽しそうに話していた頃、本棚で見つけた。内容はどれも、この村で五百三十六人もの若い男たちが行方不明になっているという記事だ。しかも、だ。その男たちは皆、館を訪ねている」
「……! そういえばエリーズの恋人たちは、この館で休んでるんだったか?」
私は「ああ」と返し、にやりとしながらクウガの胸を人差し指で押す。
「この館に入ってからずっと、エリーズはぬししか眼中になかった。エリーズはぬしと運命の出会いを果たしたと思っておるのだ。その運命の相手を手に入れるため、エリーズはどうすると思う」
「紅茶の睡眠薬か! 俺が逃げられないように、行動を起こした……!」
「そういうことだ」
私はクウガから手を離す。
「お前は気づいていたか? 酒場で館の話が出たとき、客が全員こちらの様子を窺っていたのを。皆、この館のことを知っていたとしか思えん」
「じゃあ、酒場で話しかけてきた男も……」
「あやつの指にはインクがついていた。おそらく、新聞記者かなにかだろう。このスクラップブックと関係がありそうだな?」
スクラップブックを持ち上げ、私は口端を上げた。
「この状況で楽しそうだな。不謹慎だぞ」
「これは性分だ」
クウガもウルフくんも物言いたげな顔をしていた。だが、言っても無駄だと悟ったのだろう。クウガは諦めたように息をついた。
「……酒場の男が、そのスクラップブックを作った本人……ってのはありえないか?」
ウルフくんも頷く。
『確かに、あの方はシャルロッテ様がDr.ウイッチだと知って話しかけてきたように見えました』
「この館と事件……それからアビス患者にはなにか関連があるんじゃないか」
助手たちの積極的な意見に、私はふっと笑う。
「いい推理だな。恐らく失踪事件を調べていた記者は館を疑って、調査のためにここへ来た。でなければ、この失踪事件を扱った記事を五百枚近く集め、所持しているのはおかしい。そして真相を突き止め、この館を出られているのなら、今頃エリーズは牢屋の中だ」
「……! でも、エリーズは捕まっていない……俺の紅茶に睡眠薬を混入した時点で、エリーズは黒なのに」
「そう、エリーズの悪事は明るみにならなかった。記者はここから出ることが叶わなかったのだ。どのような状況で成したかはわからんが、せめて新たな犠牲者が出ぬようにと、このスクラップブックを残したのだろう」
室内に満ちた重い空気が、身体に纏わりつくようだった。深刻な表情で、ウルフくんが切り出す。
『では、行方不明になった男たちが、館で休んでいるというエリーズ様の恋人ということになるのですよね。その方々は、どうなってしまったのでしょうか』
「さあな。なんにせよ、本にカモフラージュされたこのスクラップブックは、他に並んでいた古書と違って真新しい。客間に通された客だけが気づくように、エリーズの背にある本棚にしまわれていた。これは……その記者からの警告だ。エリーズから逃げろというな」
私は勢いよくベッドから降り、床にしゃがみ込むと、トランクケースに入っているキュアガンを取り出す。
「おそらく、宿屋で声をかけてきた男は、その記者の関係者だ。あやつは私たちに、ここで起きているなにかを解決させようとして館に誘導した。それがDr.ウイッチにしか解決できないことであることは、容易に想定できる」
キュアガンのボルトハンドルを引き、現れたマガジンフォロアーにふっと息を吹きかける。そこへ銃弾を一発ずつ押し込んでいく。
「ともかく、エリーズの狙いはぬしだ。睡眠薬が効いてきた頃、事を起こすであろう。それに引っかかったふりをしよう。そうすれば、向こうから会いに来る。それで、エリーズが本当に黒かどうかを確かめられる」
弾を装填し、ボルトハンドルを前進させて銃のセットを終えると、私はそれを枕の下に潜ませて寝っ転がった。
「安心しろ、ぬしは誰にもやらん」
「え……」
目元を微かに赤らめたクウガに、ふっと笑って私は目を閉じた。
真夜中の静まり返った部屋に、カチャンと響く扉の音。シーツを頭までかぶり、同じベッドに身を潜めていたクウガと視線を交わす。各々枕下のキュアガンへと手を伸ばせば、ベッドに近づいてくる足音がすぐそばまで迫り――。
『ワォーン!』
丸まって眠っているふりをしていたウルフくんの合図で、私たちは勢いよく左右に転がり、ベッドから抜け出す。その瞬間、グサッとベッドの中央に突き刺さるナイフ。
「あらまあ、外してしまったわ」
あらあらと目をパチクリさせながら、掛け布団ごとマットレスに刺さったナイフを引き抜いたのは、エリーズだった。
「どうして起きているの?」
マットレスの羽が舞う中、エリーズが不思議そうにクウガに向かって首を傾げる。
「殺しては、クウガを恋人にはできないと思うが?」
客間で目視できなかったミアズマが、その頭上から立ち上っている。まるで糸のように、部屋の外に向かっていくつも張り巡らされている。
「……? 殺さないと、私のものにできないじゃない」
仄暗い目を丸くして、エリーズは月明りを浴び、怪しく光るナイフに頬を寄せる。
私とクウガがキュアガンを構えたとき、ウルフくんがなにかに気づいたように耳を立てた。
『シャルロッテ様、クウガ、なにかが来ます!』
地響きするほどの足音が近づいてくる。私は冷や汗をかきながら、口端を上げた。
「……嫌な予感しかしないな」
その予感はすぐに現実になった。背後の扉が蹴破られ、中に男たちがぞろぞろとなだれ込んでくる。
「シャルロッテ!」
クウガがマットレスに手をつき、ベッドを飛び越えた。こちらへやってきたクウガは、私を背に庇い、向かってくる男たちをキュアガンで殴り払っていく。だが、地面に倒れた男たちは少しも怯んだ様子がなく、よろよろと起き上がる。
「屍か」
男たちの顔は青白く、目も落ち窪んで生気を感じられない。なにより気になるのは、エリーズが発しているミアズマの糸が、屍たちの身体に絡みつくようにして繋がっていることだ。
「クウガよ、行方不明になった男たちの数は覚えているか?」
「確か、五百三十六人……」
「そうだ。その全員がこの館で屍となり、エリーズ嬢のコレクションになった。つまり、私たちはたったの三人で、ここにいる五百三十六人の屍とエリーズ嬢を相手しなければならないというわけだ」
「多勢に無勢だな。こういうときにとる行動はひとつだ。っと……」
クウガは私を肩に担ぎ、「先輩!」と叫ぶと一気に駆け出す。ウルフくんは先陣を切り、糸繰り人形のように動く屍たちに噛みつきながら道を開く。
「ああっ、クウガ様!」
追い縋るようなエリーズの声が後ろから聞こえる。
「クウガ、モテモテだな」
「……っ、言ってる場合か。ひとまず、どこかに身を隠すぞ」
私を抱え直すクウガにふっと笑みを浮かべつつ、私は天井を仰ぐ。一本だけ動いていないミアズマの糸がある。
「突き当りを右だ」
「は?」
「いいから、私の言ったように動け」
多くを説明するのが面倒だ。そんな私にも慣れてきたのか、クウガは「わかった」と諦めた様子で従う。そして、糸が繋がっている部屋に飛び込んだ。
「くっ!」
クウガが勢いよく扉を閉める。ひと息ついたのも束の間――室内に先客がいるのに気づいた。ベッドに人間がひとり、横たわっているのだ。
「っ、屍か!」
クウガとウルフくんがすかさず、私の前に立ち塞がる。「まあ、焦るな」と、彼らの背を軽く叩き、私は前に出た。
「エリーズが発しているミアズマの糸が、屍たちに繋がっているのには気づいたか」
「ああ。でも、おかしいよな。客間にいたときは、エリーズのミアズマは見えなかったのに」
「あれは質が悪い。ミアズマが客間で目視できなかったのは、意図的に出さないようにしていたからだ。つまり、エリーズはミアズマを操るのに長けておる」
ベッドに横になっている男に歩み寄ると、クウガには「おい!」と腕を掴まれ、ウルフくんには『危ないですよ!』とドレスの裾を噛んで引き止められた。まったく、過保護なふたりだ。
「大丈夫だ。あの男はエリーズのミアズマの糸に繋がれているというのに、動いていないであろう? エリーズの指示に従わない屍など、面白いではないか」
私はふたりの制止を無視して、屍のそばにいく。二十代半ばくらいの男だった。先ほどの屍たち同様に、遺体は青白いものの腐ってはいない。
「こうして見ると、ただ眠ってるだけに見える」
隣に来たクウガも、屍を覗き込んだ。
「エリーズの力なのかもしんな。命を失えど朽ちることなく、糸に吊られるまま動くマリオネット」
そう言いながら、私は屍が抱えていた帳面を引き抜く。他人のものを勝手に拝借するのは気が引けるのだろう。常識人のクウガは「勝手にいいのか?」と遠慮がちに言った。
「今は少しでも情報がほしいところだ。エリーズには良心が欠如している。歪んだ恋愛観で純粋なまでに相手を想い、支配しようとする。エリーズは後天的なキャリアではなく、先天性――生まれつきのキャリア。生粋のサイコパスなのかもしれん。そうなれば、自覚がないだけに治療は難しい」
帳面を開くと、筆者がこの館に来てからのことが綴られていた。
「日記のようだな」
皆で年季の入った帳面を覗き込み、褪せた文字を目で追う。
【十二月二日 吹雪に見舞われて列車が運休になってしまった。駅から近いノルドンの村に立ち寄ったが、泊まれる宿もない。ダメもとで丘の上の館を訪ねてみると、女主人が快く部屋を貸してくれた。僕はツイている。彼女はエリーズと言うらしい。まだ十六くらいなのに、この館でひとりで暮らしているんだろうか。明日も朝食を用意すると言ってくれたが、もてなされてばかりは申し訳ない。僕に作らせてほしいとお願いしたら、とても驚いた顔をしていた。こんなに立派な館に暮らしているのに、メイドのひとりも雇わずに自分で身の回りの世話をしているそうだ。だから誰かの手料理は初めてだと、とても喜んでいた。これは、腕の振るい甲斐がありそうだ】
【十二月三日 約束した朝食にはベーカリーバスケットに、オムレツやソーセージ、マッシュルームやポテトが載ったプレート、フルーツのヨーグルトを添えたモーニングセットを用意した。一緒に食事をとりながら、彼女は自分の身の上話を聞かせてくれた。エリーズは生まれつき病を患っていて、家族にこの館で静養するように言われたそうだ。だが、それなら世話係がいないのはいかがなものだろう。しかも、外に出ると症状が悪化するらしく、外出は禁じられているのだとか。外に出られない病なんて聞いたことがない。一度、ちゃんとした医者に見せてはどうかと提案してみたが、エリーズは首を縦には振らなかった。こんなに広い家でひとりぼっちなんて、エリーズが気の毒だ。僕はエリーズに頼まれて、もう少しだけ館に留まることに決めた】
それからはエリーズと庭の花を見ながら散歩したり、書庫にこもって一緒に本を読んだりして過ごしたことがつらつらと書かれていた。
【十二月四日 館で男の遺体を見つけた】
その一文に、クウガとウルフくんが息を呑む。私たちは手に汗を握りながら、再び日記に視線を落とす。
【エリーズに知らせたが、エリーズは一緒に暮らしている自分の恋人だという。遺体が恋人? 普通じゃない。それに、僕のことを好きだと言ったのに、どういうことなんだ? おかしい点はまだある。遺体は一年も前から館にあるそうなのだが、まったく腐敗していないのだ。今、僕は館から逃げるべきなんだろう。でも、なぜ……エリーズのことを知らなければならない気がしてしまうんだろう】
【十二月五日 結局、僕は館に残って、エリーズのことを調べている。今日、書斎の机の引き出しから、精神科病院の診断書と父親の日記を見つけた。診断名はアビスのキャリア。日記によれば、エリーズは幼い頃から買っていたうさぎや小鳥を殺していたそうだ。その理由は、【大事な者は殺さないと手に入らない】だったそうだ。家族は治療を受けさせたが改善の傾向が見られず、成人と同時についに別荘の館に追いやった。エリーズは……そうしてひとりになったのだ】
クウガが日記から顔を上げ、私のほうを向く。
「……殺さないと、私のものにできない……エリーズは確かにそう言ってた」
「殺して物言わぬ人形にすれば、自分を拒絶する言葉を吐けない。エリーズに自覚があるかは謎だが、自分を知られれば人が遠ざかることはわかっていたのかもしれん。それをなによりも恐れていた。そう考えれば、親の『外へ出てはいけない』という言いつけも、エリーズが外で誰かを手にかけることがないようにするためのものだったとわかるな」
「平気で人や動物を殺せるのに、父親との口約束を律義に守ってたなんて、なんか意外だ」
「エリーズは愛情に飢えていたのだよ。言いつけを守っていれば、家族が帰ってくるかもしれない。でも、帰ってこない。寂しい……そんなとき、館を訪ねる者がいたとしたら?」
私は片膝をつき、両手を広げ、わざとらしく言う。
「ああ、行き倒れていた僕を一晩泊めてくれる優しい女主人! あなたに会えて、なんて僕は幸運なんだろう!」
「……なんだ、それは」
渋い顔で私の茶番劇を見ているクウガとウルフくん。その反応に満足した私は、ゆっくりと立ち上がる。
「ちょっと大げさすぎたか? まあ、そんなふうに男慣れしていないどころか、普段人と接することのなかったうぶな乙女が初めて異性に優しくされたとしたら?」
「そりゃあ、まあ……恋に落ちることも……無きにしも非ず、だろうけど」
こちらもうぶだな、と私は照れ臭そうに頬を指で掻いているクウガを微笑ましく思う。
「そうだ。恋に落ちるのは容易い。エリーズは孤独だった。それがミアズマを生んだ理由だろう。そして……誰も来るはずのない館に現れる王子様……それがエリーズの言う運命の恋に位置付けられた」
『ということは、館を訪れる男性全員がエリーズ様の恋愛対象になるということでしょうか?』
「ああ、館を訪れる男が好きとは、なんともストライクゾーンが広い。それだけ、エリーズの初恋は美化されているのだろうな。いやあ、若い若い」
お前も若いだろ、と言いたげ視線を一身に浴びつつ、日記に意識を戻す。
【十二月六日 僕はどうするべきか悩んでいる。エリーズは間違いなくキャリアだ。夜中、死んでいるはずの男たちを連れて歩いているのも見た。怖いと言えば嘘になる。でも、エリーズがこんなふうになってしまったのは、本当にエリーズのせいなのだろうか? エリーズはただ愛が極端なだけで、寂しさがそれを加速させてしまっただけなのではないだろうか。ここで僕が逃げ出したら、エリーズはまた誰かの愛を求め、繋ぎ止めようと殺すのだろうか。そう思うと……胸が締め付けられる】
まるで悩んでいる時間を表わすような空白、それから少し日付が開いた。
【十二月十三日 どんなに悩んでも、辿り着く答えはひとつしかなかった。僕はそれでも、あの危うくも悲しい少女に恋している。この館という罪の監獄から、彼女を連れ出さなければと思う。すべてを話そう。それで彼女が僕を殺すのだとしても】
【十二月十三日 これが最後の日記になると思う。夕食の席ですべてを知ったことを話した。明日、一緒に自首しようと伝えた。彼女は笑って頷いていたが、出された紅茶を飲んでからやたら眠い。おそらく、彼女は僕を殺すのだろう。こんな結果になって、僕も寂しく思う。だけど……僕は他の男たちのように操られない。操られなくても、きみのそばにいる。僕だけは、人形ではなく、僕のままできみだけの運命の相手でいるから】
日記帳には乾いた涙の跡がある。私は沈黙を破るように、日記帳を閉じた。
「……エリーズを、愛していたんだな」
クウガはしみじみと言う。
日記帳を裏返せば、【Fran】と名前が書かれていた。
「フラン、か。この男は宣言通り、エリーズの操り人形にはならなかったようだな」
「愛の力ってやつか?」
可愛らしいことを言うクウガに、ずいっと顔を近づける。
「ぬしのようにロマンチックな考え方は嫌いではないが、フランは糸に左右されない状況下にあったのだろうな」
よしよしと、赤いクウガの頬を両手でさすりつつ、私は身体を離す。
「現時点でわかっておるのは、エリーゼの手口だ。紅茶に睡眠薬を混ぜ、寝ている隙に殺し、人形化する。わかっておらぬのは、寝ている間でなければならん理由だな。いきなり茶に毒を混ぜたほうが、手っ取り早いであろう?」
クウガとウルフくんは「確かに」と声を揃えて頷く。弟子は師匠に似ると言うが、最近このふたりのシンクロ率が高い気がする。
「つまり、遺体を操るには……相手の警戒心がないことが条件か……。紅茶に混ぜれば、対象は死に際にエリーズへの疑念を持つことになる」
「だから睡眠中なのか! 人間がいちばん無防備になる瞬間だ。でも、フランも新聞記者も眠る前からエリーズを疑っていた。だからエリーズの支配を受けていない……?」
「そういうことだ。館のどこかに、新聞記者の遺体もあるだろう。それにしても、賞賛すべきはフランだ。操られなくても、きみのそばにいるという約束を守ったのだからな」
そう言ってフランに向き直ったとき、ドンッと扉が鳴った。クウガとウルフくんは勢いよく振り返る。外で何人もの屍が体当たりしているのか、激しく扉が揺れていた。
「扉が蹴破られるぞ!」
ウルフくんとクウガが扉を背中で押し返している中、私は顎に手を当てフランを眺めていた。
「……一か八か、肉体が朽ちていないのが吉と出ることを祈るとするか」
「シャルロッテ、なにしてる! ここから脱出するぞ!」
「クウガ、フランを担げ」
フランに向かって顎をしゃくってみせれば、クウガは「は、はあ?」と間抜け面をさらす。それに構う暇もなく、今度はウルフに視線を移した。
「ウルフくん、少しばかり相手を頼む」
『承知いたしました』
勝手に話を進める私に、「ったく」とクウガはフランの遺体を肩に担いだ。私はドアノブに手をかけ、ふたりを振り返る。
「行くぞ!」
向こうが体当たりしてくるタイミングで一気に扉を開け放つ。すると、当たるはずの扉がなくなり、屍たちは室内に雪崩れ込みながら盛大に転んだ。
私がキュアガンで薙ぎ払った屍を、すかさずウルフくんが追撃する。立ち塞がる屍の群れの中に道を作り、一気に駆け抜けていくが、数が多すぎた。騒ぎを聞きつけ、目の前に新たな屍の壁ができる。
『シャルロッテ様、ここは私に任せて、先に行ってください!』
迷ったのは一瞬だった。ここで共倒れするわけにはいかない。
「任せるぞ、ウルフくん!」
ウルフくんは視線で応え、私をぐんぐん追い抜くと、屍の壁にぶつかっていった。私たちが通り抜けられるだけの隙間ができ、クウガを守りながらそこへ向かう。
「先輩! いくらなんでも、ひとりじゃ無理だ!」
「足を止めるな! あそこに私たちがいたほうが足手まといになる!」
ウルフくんは、私を命の恩人だと思っている。私のためなら、命さえ投げ出してしまうだろう。
知らず知らずのうちに眉間にしわが寄っていたのか、私の横顔を見たクウガが「シャルロッテ……」と気遣わしげに呼んだ。
「大丈夫だ。ウルフくんは強い。私たちはとにかく、広い玄関ホールに――」
そう言いながら、クウガを振り返ったときだった。その背後に、斧を振り上げる屍の姿を捉える。
「クウガ!」
私はとっさに、クウガの腕を引く。その反動で前に出た私の腕を斧が掠めた。
「シャルロッテ!」
「くっ……」
私たちは体勢を崩し、近くにあった階段を転がり落ちる。天地が何度もひっくり返り、ようやく止まると、私は鈍く痛む身体をなんとか起こした。
「シャルロッテ!」
踊り場に座り込んでいると、クウガがやって来て、私のそばに膝をつく。
「腕から血が出てる……俺を庇ったせいだな、すまない」
クウガは苦しげな面持ちでポケットからハンカチを取り出すと、傷を気遣うように、そっと私の腕に巻いていった。
「お前はフランを担いでいて、両手が塞がっていた。あのまま斧を受ければ、お前のほうが屍になっていただろうからな。守るのは当然だ」
気にするなと笑みを返せば、クウガはじっと私を見つめていた。その不安げな表情がわずかに和らいだのがわかり、私は改めて辺りを見回す。背後には月明りが差し込む大きなステンドグラスがあり、目の前には玄関ホールに続く大階段。その下にヒールの音を奏でながら近づいてくるエリーズと、屍たちが現れる。
「もう、逃がしませんわ」
この踊り場から左右に分かれているのは、今しがた私たちが転がり落ちてきた階段だ。その上からも、じわじわと屍たちが迫ってきている。
「ぬしは憐れだ。運命の相手はすでに現れていたというのに、ぬし自身の手でそれを壊してしまったのだからな」
「……? どういう意味ですの?」
不思議そうに首を傾げるエリーズに、私は笑みを湛えながら立ち上がる。そして、懐から日記帳を取り出し、エリーズの足元めがけて放り投げた。
「これは?」
日記帳を拾い上げ、中を開いたエリーズは目を見張る。
「十二月十三日……僕はそれでも、あの危うくも悲しい少女に恋している。この館という罪の監獄から、彼女を連れ出さなければと思う。十二月十三日……これが最後の日記になると思う。おそらく、彼女は僕を殺すのだろう。こんな結果になって、僕も寂しく思う。だけど……僕は他の男たちのように操られない。操られなくても、きみのそばにいる。僕だけは、人形ではなく、僕のままで……きみだけの、運命の相手で……いる、から……」
「ぬしは愛に飢えておる。初めは生まれつき強かった支配欲がきっかけだったのであろう。だが、ぬしの異常さを知った家族は離れていき、ぬしは孤独になった。その寂しさを埋めるように、決して自分から離れていかない運命の相手を求めた。その愛情こそが、ぬしを不幸にしていたことにも気づかずにな」
日記帳を持つエリーズの手が震える。だが、本人はなぜ自分が震えているのかがわからないらしい。「あれ、どうしてかしら?」と自分の手を見つめている。
「ぬしは想うばかりに相手を意のままに操ろうとする。そんなことをしなくとも、失わない愛があったというのに」
エリーズは私を仰ぎ見る。
「ぬしは極端な愛し方しかできん。それが受け入れられず、捨てられたことには同情するが、その不幸がぬしだけと思うな。皆、大なり小なりなにかを抱えて生きておるのだ。亡くしたものばかりを見ていれば、今ある大事な者を失う。この男のようにな」
フランに目をやれば、今初めて気づいたかのように、「どうしてフランがここに?」とエリーズがまたも首を傾けた。
「ぬしに教えてやろう。そばに在る大切なものにも気づかぬほど、その目がどれほど曇っていたのかをな」
そっと静かな声で唄い出す。薄闇を淡く照らすステンドグラスの虹色の光が強まり、肉体がその彩りのままに染め上げられ、人形に命を吹き込んでいく。
「……僕は、長い夢を見ていたのだろうか」
瞼を持ち上げたフランは、ゆっくりと上半身を起こし、階段下のエリーズを振り返った。
「エリーズ?」
答えないエリーズに、フランは「やっぱりエリーズだ」と微笑んだ。そこに恐れなど微塵もなく、愛おしい者を見つめるように優しい眼差しを向けている。
「ああ、やっぱりこれは……僕の見ている都合のいい夢なのかもしれない」
瞳を潤ませ、よろめきながら立ち上がるフラン。手すりに掴まりながら、エリーズのいる大階段を下りていく。
「もし、またきみに会えたら……伝えたかったことがあったんだ。きみは寂しさを埋めてくれる相手をずっと探していた。殺して手に入れても、永遠に満たされないその心を、僕が満たしてあげる。僕は僕のまま、誰に命じられることなく、きみを愛するって」
フランを迎えに行くように、エリーズもまた階段をのぼる。その途中で足を止めたふたりは、そうするのが自然かのように手を取り合った。
「きみに殺された日、僕はとても悲しかったんだ。きみに殺されたことではなく、きみが安心できる男になれなかったことが」
「怒っていないの? 恨んでいないの?」
「ああ、怒っても恨んでもいないよ。それ以上にきみが愛しかった。たくさん悩んだけど、それでもきみと家族になりたかったよ」
「……運命の恋は、ここにあったのね……操らなくても、失わない愛が……こんなに、近くに……そんなことにも気づかないで、私は……」
エリーズは自分の両目からこぼれ落ちる涙にも、「あれ?」と首を傾げる。自分の頬に触れ、「これは、なにかしら」と瞬きを繰り返す。それでも止まらない涙を、フランは切なげに見つめ、指先で優しく拭った。
「きみがそう思ってくれていたように、僕も……この館できみに出会えたことは、運命だと思っていた」
すべてが過去形だった。戻らない時間にようやく、エリーズは胸を痛めることができたのだろう。
「ごめんなさい……フラン」
「エリーズ、人の心は誰にも縛れないんだ。これは僕が選んだこと。僕の意思を操ることは、きみにもできない」
「ええ、あなたの意思だから……嬉しかった」
フランの頬に手を添えるエリーズ。それに応えるように、フランはエリーズに口づける。
「エリーズ、忘れないで。朽ち果てても、きみのそばにいるよ」
目を見張ったエリーズ。そのとき、エリーズの力が解けたのか、フランは他の屍たちと一緒に目の前で骨へと変わり、カラカラと崩れ落ちて骸となった。
「フラ、ン……どうしたの、フラン。家族になりましょう? っ、だから……起きて……」
呆然と座り込んだエリーズが、抱きしめた躯を揺すっている。
「フランはもう目覚めんよ。ぬしは求めた愛も幸せも自ら握り潰してきたのだ。その代償は、ぬしが最も恐れていた孤独」
「……そう、これは私自身が招いた結末なのね」
俯いたエリーズから、ミアズマの糸が四方に放たれ、廊下に一定間隔で設置されていた?燭を倒していく。落ちたそれは絨毯を燃やし、館を火の海へと変えた。
「おい、逃げるぞ! 先輩は?」
クウガが辺りを見回していたときだった。クウガのショルダーバックを身体にかけ、私のトランクケースを咥えたウルフくんが階段を駆け下りてくる。
「先輩!」
私たちのところへやってきたウルフくんは、トランクケースを下ろすと、私たちを見上げた。
『ただいま戻りまし――はっ、シャルロッテ様! 怪我をなされたのですか!』
鼻をひくつかせていたウルフくんは、私の血の臭いを嗅ぎ取ったのだろう。大げさに騒いでいるが、ウルフくんの手足もところどころ血が滲んでいる。
「お互い、満身創痍だな。さて――ぬしはどうするのだ?」
熱気と赤い炎が迫りくる中、私はエリーズに向き直る。エリーズは抱いた躯を見下ろしながら、幸福そうに微笑んだ。
「私は、ここにいるわ」
「でも、ここにいれば――」
私は止めようとしたクウガの腕を引く。
「エリーズ、ぬしは愛を知って泣けた。その痛みも想いも抱いて、今度はぬしがフランのそばにいることを選んだのだな」
「ええ、私はもう誰も待たない。運命の相手を手に入れたんだもの」
「……ぬしはもう、愛に飢えた悲しき怪物ではない。ぬしの幸福を、ここにいるすべての躯たちの安寧を祈ろう」
クウガの腕を引き、ウルフくんを連れ、私たちは館をあとにする。
エリーズの横を通り過ぎる間際、骸となったフランの顔に頬を寄せ、瞼を閉じ微笑むエリーズの透明な涙が見えた。
「シャルロッテ、大丈夫か?」
館の外へ出ると、私を支えているクウガが顔を覗き込んでくる。
「このくらい、この仕事をしていれば日常茶飯事だ。気にするな」
「……それでも、医者に見せたほうがいい。あんたはアビスの専門医でも、こういう物理的な怪我は診れないだろ。先輩もですよ?」
「わかったわかった、クウガお母さんが言うのだ。素直に従おうじゃないか、なあウルフくん」
私はウルフくんと顔を見合わせ、苦笑いすると、丘の上で燃え盛る館を仰ぐ。
「なあ、なんであんたの唄でフランは自我を取り戻したんだ?」
「なに、エリーズのやりかたを逆手に取っただけだ。身体が朽ちていないということは、臓器もそのままそこにあるということ。血は通っていないからな、脳は機能はしていないものの、私の唄はあらゆる生物の生命力を活発化させる。一時的に脳を活性化させ、向こうがミアズマで操るのに対し、私は唄で肉体を動かしたまで」
「……! なるほど。でもそれなら、他の躯はなんで自我を取り戻さなかったんだ?」
「ふっ、それこそエリーズに会いたいというフランの愛の力だな」
フランがエリーズの操り人形にならなかった理由を、クウガがそう表したように、私も真似て返してやる。するとクウガは眉間にしわを寄せ、目元を赤らめながら睨んできたが、やがて館へ視線を戻した。
「エリーズは……幸せだったと思うか?」
「……さあな。だが、フランは罪の監獄から、本当にエリーズを連れ出した。あれはきっと、自分の意思では止まれなかっただろうからな。だが、エリーズが自分を人間にしてくれた男のそばにいることを選んだのは事実だ。エリーズが望んだことなら、それを止める権利は誰にもない」
「それでも、違う出会い方をしていたらって、そう思わずにはいられない」
「もしも、などないのだよ。今目の前にあるものを否定し、逃避すれば、大事なものを見失う。だから人は、向き合わなければならんのだ」
クウガは胸に刻むように、「そうだな」と深く頷いた。そのとき、ふいに見覚えのある男が隣に立っているのに気づいた。
「ぬしの望んだ結果とは、少し違ったか?」
私の視線を辿って振り返ったクウガは、「あんたは!」と驚きの声をあげる。そこにいたのは、酒場で私たちを館に誘導した男だ。
「気づいてたのか、俺の正体に」
「館で亡くなった新聞記者は、ぬしの同僚か?」
「ああ。俺の後輩でな、若いのにやる気があって、館の女主人が連続殺人犯かもしれないって噂が広まったとき、自分に調査させてほしいって言い出したんだ。あいつには荷が重いと思ったんだが、うまくいけばあいつの出世の足掛かりになる。俺も記者だ、時には危険を冒してでも大スクープを勝ち取りたい、その気持ちは理解できた」
男は目元を涙で濡らし、燃える館を苦しげに見上げている。
「だが、今ではあいつを止めなかったことを後悔してる。死んじまったら、手柄なんて意味ないだろ?」
「……私たちはそやつのおかげで、命拾いしたんだがな」
男は「え……」と私を振り返った。
「女主人が危険人物であることを知らせるスクラップブックがあった。リビングに通された客が、安全にそれを見つけられるような工夫までしてな」
私はトランクケースを開け、そのスクラップブックを取り出すと、男に差し出した。それを恐る恐る受け取り、開いた男は嗚咽を漏らしながら身体を丸める。
「ああ、ああ……あいつの字だ。そうか、あいつのやったことは無駄じゃなかったんだな」
「ぬしも新聞記者として、この事件を追っていたのではないのか? ならば、その結末を知る権利があるな。ぬしの望む真実でなくとも、聞く覚悟はあるか?」
そう問えば、憎しみに曇ることなく、まっすぐ真実を見つめんとする男の瞳と目が合う。
「ああ。俺は腐っても新聞記者だ。あいつの遺志を継いで、すべてを伝えるさ」
「まさか、斧が少し腕を掠ったくらいで入院させられるとは思わなかったぞ」
ここはノルドンの村から列車で一時間ほどいったところにある、ヨンドルの都市病院。私とウルフくんは同じベッドに座り、サイドに立っているクウガを呆れながら見上げる。
『私よりも過保護な助手を持って、もう無茶できませんね、シャルロッテ様』
おかしそうに言うウルフくんだが、その声音はどこか嬉しそうでもある。
「傷が悪化したら困るだろ。数日は様子を見たほうがいい。じっとしてるのが暇なら、これでも読んでろ」
クウガが差し出してきた新聞を受け取り、どれどれと中を開く。
「殺人の館、愛に飢えた悲しきの女主人の真実、か」
エリーズを一方的に悪く書いたものではなく、その異常さに気づきながらも向き合うことを諦めた周囲の人間への指摘や、Dr.ウイッチやアビスに関する知識を誰もが持つ必要性を説いた内容になっていた。
「実に有益な記事だな。ああ、同僚の名前で発行したのか。これで、あやつの肩の荷も下りただろう」
私は新聞をベッドテーブルに置く。
「もしエリーズの周りに、本当にエリーズを理解しようとする者がいれば……連続殺人鬼にはならなかったんだろうな」
「人間のすべてを理解するなど不可能、本当に必要なのは想像力だ。この記者が書いた記事を見て、エリーズがいかにして殺人鬼となったのかを想像し、アビス患者やキャリアが抱える闇に寄り添える者が増えること。そうすれば、孤立する患者も減るだろうな」
「そうか……それを伝えていくことも、俺たちの仕事なんだな」
自然とその考えに行きついたクウガに、私は思わずその頭を抱き寄せる。
「さすがは私の助手だな! いい子、いい子!」
「~~~~っ、だからなんで、お前はそうやって……!」
赤面しながら暴れるクウガをしっかりホールドする。そんな私たちをウルフくんは微笑ましそうに眺めている。案の定、病院の看護師には「うるさい!」と叱られた。
「すんません、ほんとすんません」
ペコペコと頭を下げている様子がクウガらしくて、私は怒られているというのに笑ってしまうのだった。