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Recollection.雨降る列車の中で

 永遠に降り続くかのような雨の中を走る列車。隣に座るウルフくんの背を撫でながら、車窓の外を見れば、雨を吸い込んだ世界が憂鬱さに満ちている。

「なあ、あんたがDr.ウィッチになったときのこと、聞いてもいいか?」

 向かいの席にいるクウガの問いに、私はゆっくりと思考を巡らせる。

「そうだな。次の目的地までの暇潰しに、昔語りでもしてやろう」


 私が育った教会では、キャリアの孤児を引き取って、毎日のようにアビスを発症させ、魔女や怪物を作る実験が行われていた。血液検査や脳波から始まり、電気ショックや箱に閉じ込められた状態で水中に沈められるなど、過度な精神的緊張を意図的に与えられる。私たちは実験動物と同じ、モルモットだった。

 だが、いろいろあって教会が火事になり、当時十二ばかりの子供であった私は、そこから逃げ出すことができた。裸足で何日も走り、雨が降ってきたので洞窟に身を顰めようと思った夜のことだ。そこには先客がいた。人に撃たれたのだろう母親狼と、そばに寄り添う子供狼が月明りに照らされている。

『雨宿りをさせてほしかったんだが……そうか、ぬしも大切な者に置いていかれてしまったのだな』

 ちらりと母親狼に視線をやれば、すでに息絶えている。だが、子供狼は『ガルルルルッ』と私から母親を守るように威嚇していた。

『なぜ、狼の言葉を話せる』

『私が魔女だからだ。それで? ぬしは、ずっとここにいるつもりか?』

 子供狼はなにも答えず、毛を逆立てている。

 私はため息をつき、洞窟の壁に背を預けて座り込んだ。雨音だけが響く洞窟にいると、教会の地下で〝あれ〟と過ごした日々が蘇る。

『ただ……そばにいられるだけでよかったんだがな……あれは、そうではなかったらしい』

 急に話し出した私を訝しみながらも、子供狼は聞いている。

『私は守りたかった人を助けられず、ひとりになった。ぬしも同じであろう? ずっとそこにいても、一緒に朽ち果てるだけだ』

『うるさい。それのなにが悪い』

『なにも悪くない。その選択もありだったなと思ってな。置いていかれるくらいなら、いっそ、その場で死んでしまえたらよかったのにと』

『……でも、お前は死ななかった。歩き出せたんだろ』

 耳と尻尾を垂らしている子供狼を横目で見つつ、答える。

『久しぶりに見上げた空が青くてな。命ある者は皆、本能で生きようとするものなのかもしれん。その理由を無意識に探しているのだ。私もあれだけ絶望していたのに、青空を見上げただけで、現金なことに日の当たる世界をもっと見てみたいと思った。その旅の途中で、あれとまた会えるやもしれんとな』

『……僕は、もう会えない。どれだけこの世界を生きても』

『だが、ここにいても会えない。すでにぬしの母親は旅立った。ぬしも次の生きる意味を探して、旅立つときなのではないか』

『人間の指図は受けない』

『人間だろうが、魔女だろうが、怪物だろうが、狼だろうが……私は私、ぬしはぬしだ。同じ見た目でも、おぞましいほどに残酷な者はいる。そして、まったく違う世界を生きる者なのに、通じ合えることもある』

 迷うように地面を見つめている子供狼に、私は静かに切り出す。

『私は、雨が上がったらここを出る。ぬしさえよければ、共に来ないか? 旅の仲間がいたほうが、道中寂しくない』

 子供狼はなにも答えなかった。そうして夜が明け、朝になると、雨はすっかりやんでいた。私は『よっと』と服の砂を払いながら立ち上がる。そのまま洞窟の出口に向かって歩き出すと、後ろを子供狼がついてきた。それが子供狼の出した答えなのだろう。私は笑みを浮かべながら、子供狼に向き直る。

『私はシャルロッテ。ぬしの名は?』

『……? 狼は狼だ』

『そうか。だが、狼はたくさんいるであろう? ぬし個人を表わす名があったほうがいい。そうだな……ウルフ、ウルフくんでどうだ?』

『ウルフ……なんでもいいけど、それどういう意味?』

『異国の言葉で狼というらしい。本で読んだ』

 なんとも言えない顔をしているウルフくんと洞窟を出る。ウルフは最後に一度だけ母親を振り返ったが、歩き出す足は止めなかった。

 そうしてウルフくんと共に教会から逃げる旅を始めた。だが、教会という名の実験施設が人里の近くにあるわけもなく、長らく食べ物にもありつけないまま歩き通していた私たちは、ふたり仲良く行き倒れた。そんな私たちを拾ってくれたのが――。

『魔女と狼か。おかしな組み合わせだな』

 頭にゴーグルをつけた赤毛の黒衣の魔女――師匠だった。。師匠は、教会がキャリアの孤児にアビスを発症させ、魔女や怪物を作り出す実験をしているという噂を聞き、この国までやってきたDr.ウィッチだった。その成り行きで、魔女が生きる術――Dr.ウィッチ見習いとして師匠と旅をすることになった。

 そうして四年が経ち、雨期が長いレオピアの島国の宿に滞在していたとき、師匠から告げられた。

『世界の最西端にあるマリンヴェネが、自国に滞在するDr.ウィッチを募集している。シャルロッテ、お前ももう十六だ。独り立ちするいい機会だろう』

『……独り立ち?』

『お前は旅を通して世の中のことを知り、私が手を引かなくとも、自分で歩いて行けるようになった。もう子守は必要ない』

 歳は三十代くらいで、美人だが表情筋が死んでいて不愛想。出会った頃は、この無表情で淡々と話す師匠にやりづらさを感じていたものだが、四年もの付き合いになると、その考えを汲み取ることができる。可愛いからこそ、親もとに置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験しろと言っているのだ。私にとって師匠は、父であり母だった。

『お目付け役もいることだしな』

 師匠の視線を受けたウルフくんは、背筋をすっと伸ばす。

『シャルロッテ様のことはお任せを』

 狼は一年で成体と同じ大きさになり、二年で性的に成熟し、寿命はだいたい十六年ほどといわれている。出会った頃、子生意気な子供狼だったウルフくんは、師匠の教育あって、すっかりダンディーな大人狼へと成長していた。

『師匠はひとりで旅を続けるのか?』

『ああ。その途中でまた道が交え、会うこともあるだろう』

 そう言って、師匠はマリンヴェネに旅立つときも港に見送りに来なかった。だが、出港する船の上で、まるで別れを惜しむような師匠の唄声が聞こえた。


『それからときどき、師匠からは絵葉書が届く』

 過去の一端を聞かされたクウガは、無意識のうちに息を詰まらせていたのか、深く吐き出した。

『あんたに、先輩や師匠がいてくれてよかった。俺なら……そんな実験をされながら育ったら、二度と人なんて信用できなくなる。でも、あんたは俺みたいに諦めたりしなかった。偉いな』

 そう言って私の頭を撫でたクウガに、私は目を見張る。

『誰かに褒められると言うのは、不思議な気分だな。よし、もっと私の頭を撫でろ』

ほれほれと頭を前に出す私に、クウガは渋い表情を浮かべ、若干呆れ気味に撫でてくる。

『私としては、すごいことをしたつもりはなかったんだ。ただ、私は教会の外の世界を知らなかった』

 私が地下に収容されていた話を思い出したのか、クウガは痛々しく顔をしかめる。

『外に出るまでは、教会にいたあやつだけが私の世界だった。だが、あやつを失い、どう生きていけばいいのかわからなかったというのに……いざ外に出てみると、目に映る世界は美しかった。純粋に知りたいと思えたのだ。おかげで、ぬしとも会えた』

『シャルロッテ……そのあやつって……』

 口ごもるクウガが思い浮かべているのは、シルクハットだろう。聞いておいて、触れてはいけなかったかもしれないと迷っているのが、手に取るようにわかる。

 クウガは俯き加減に頬を指で掻いたあと、顔を上げた。

『本当に、あんたが生きててくれてよかった。でなきゃ、今の俺は、オルガはいない。俺たちだけじゃない、あんたと出会った患者たちも』

 普段は照れてごまかしてばかりのクウガが、素直な言葉をかけてくれる。

 人間はおぞましく残酷な生き物だ。だが、クウガのようなアビス患者は繊細で心優しく、周囲に左右されない自分を持っている。そういうところが、やはり愛しいと思う。

『あ、雨が上がりましたね』

 ウルフくんの言葉で車窓を見れば、雲間の青空に虹がかかっている。

 雨上りは旅の始まり。ウルフくんと私と、新たな仲間――クウガと共に、できるだけ長く道が交わっているといい。そんな願いを抱きながら、私は今この瞬間にしか存在しない虹を目に焼き付けていた。



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