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「――あら、お帰り! また今日もアレクシアちゃんと遊んで来たの?」
玄関を開けると、元気な母さんの声が出迎えてくれた。
「良かったわね、あんなに可愛い子が相手してくれて」
「だから、あいつはそんな奴じゃないんだって! いつもオレをいじめてくるんだよ」
母さんもアレクシアのことを素直な子供だと思っている。帰宅した時に毎回こうして言っているけど、一向に信じてくれない。それどころか、ボクがアレクシアに照れて言っていると思っている。確かに、年頃の男の子は可愛い子に対して意地悪しちゃうもんだ。でも、ボクは違うもん! 本当にボクがいじめられているんだもん!
「今日の晩御飯はお母さんのとっておきよ。楽しみにしていてね」
――という事は、まさかウサギの香草焼きか! やったぜ! ありがとう神様、アレクシアにいじめられていたのに止めてくれなかったことを許してあげます。
ボクの母さんの料理は美味い。この評価はボクがマザコンだからと言う訳では絶対にないと思うのだけど、村中で断トツに美味いのは確定している。きっと都会に行ってお店を出したとしても、お客さんの行列ができると思う。
そんな料理が超絶に美味く優しい完璧なボクの母さんが台所に戻って行くのを見ながら、ボクはテーブルに食器を並べていく。
「おっ、何だ帰ってたのか」
奥の部屋から父さんが顔を出した。どうやったら完璧な母さんと結婚することが出来たのかと思うくらい普通の父さん。ボクは父さんが何か母さんの弱みを握ったのではないかと疑っている。そのことを母さんに聞いてみても、いつも優しく微笑んで誤魔化されてしまう。
「父さんも手伝ってよ。今日は母さんのとっておきなんだから!」
「それは嬉しいね! じゃあ俺も手伝うとするか」
そう言って、母さんが作り上げた料理をテーブルに運んでいく父さん。
――それはボクの役目だったのに!
ボクは急いで母さんの下に行くと、父さんを押しのけて母さんから料理を受け取る。
「……本当にお前はマザコンだな」
「うふふ、やきもちですか?」
「そんなんじゃないがよ……」
こうしてボクたちの家では毎日楽しい時間が流れていった。ボクはこんな温かい家族が大好きだ。
「――行ってきます」
「今日もアレクシアちゃん? 頑張ってきなさいね」
「だ・か・ら、そんなんじゃないよ」
「しっかりご機嫌を取って来いよ。そしたら将来、別嬪さんがお前の横にいてくれるぞ」
――いや、アレクシアがいつも横にいるなんてどんな拷問だよ! 絶対に嫌だよ。本当だからね。
ボクは能天気な両親に見送られながら、嫌々待ち合わせの場所へと向かう。ただ、オレの足取りがいつもより軽かったのはきっと気のせいだと思う。そんなこと、ありはしない。そう絶対に。
「――ちゃんと来たわね!」
「……来ないと怒るから」
今日も天真爛漫、嬉しそうな笑みを浮かべてボクのことを迎えてくれるアレクシア。ボクだって来たくなかったけどね。その後が恐ろしいから。来ざるを得なかっただけだ。
――まあ、今日も相変わらず可愛いな。くそ、少しだけ見惚れてしまった自分に腹が立つ。
ボクたちは昨日の約束通りに例の小屋を訪れていた。おそらく、今後アレクシアと遊ぶときはここで落ち合うことが多くなるんだろう。アレクシアは私物をこの小屋に持ち込んできていて、秘密基地として活用する気満々だ。
「じゃあ、今日も遊んであげるんだから喜びなさいよ!」
「へいへい、お嬢様」
その後、ボクたちは色々と遊んだ。お馬さんごっこをしたり、おままごとをしたりした。どんな遊びも我儘なアレクシアに振り回されて、もうクタクタで動けない。
「……ちょっと休もうよ」
「えー、もう疲れちゃったの? 本当に体力がないんだから」
――いや、大人でも君の相手は無理だと思うよ。
「しょうがないわね。じゃあちょっと休みましょうか」
――マジか!? 許してくれるの?
「ん」
ボクがまさかの対応に驚いていると、アレクシアが寝そべり自分の頭を少し浮かして何かをボクに要求している。あいにくボクには何をして欲しいのかが理解できなかった。
「腕!」
アレクシアが少しイライラしながらボクの腕をつかみ取り、頭の下に敷く。アレクシアのせいでボクは強制的に横にさせられらてしまい、顔のすぐ前にはアレクシアの小さくて染み一つない可愛い顔が。
「……腕が痛いんだけど」
「う、うるさい! いいからこれで寝るの!」
――いや、寝られないから! 腕が痛いのもそうだけど、目の前にアレクシアの顔がある状況で寝られる訳ないじゃん。え、今ボクの顔大丈夫だよな? 赤くなっていないよな?
ボクは顔の変化を悟られないように反対側の手で顔を覆う。アレクシアに悟られてしまうと絶対にいじめられる。それだけは阻止しなくては。
手の隙間から垣間見えたアレクシアの顔は、今まで見たことがないくらい真っ赤になっていた。
「……んあ?」
どれくらい寝ていたのだろうか? 小屋の隙間から明かりが差し込んでいるのを考えるとまだ夜にはなっていないだろうと思う。だけど、その明かりは真っ赤なのでおそらく夕方ぐらいだと思う。早く帰らなければ母さんが心配してしまう。
ボクは身体を起こそうとしたが、腕に重みがあって動かせない。
そうだった。アレクシアがボクの腕を占有しているんだった。アレクシアの方を見ると彼女は気持ちよさそうに寝ていた。悔しいけど寝顔も可愛い。出来るならばずっと見ていたいくらいだ。
でも、そろそろ帰らないとアレクシアも怒られてしまうだろう。少し残念だけどこの幸福な時間を終わらせないと。
「アレクシア、起きてよ。そろそろ帰らないと村長に怒られちゃうよ」
「……ん、うるさい」
ボクはアレクシアの身体を優しく揺らす。でも、アレクシアは起きずに、寝ぼけた状態で身体を揺らすボクの手を払いのけてしまった。
「まだ寝たいのは分かるけど、お願いだから起きてよ」
ボクはめげずに身体を揺らす。
「……分かったわよ。起きる、起きるわよ」
数十秒の間、何度も繰り返した結果、やっとのことでアレクシアが起き上がり、寝ぼけまなこをこする。寝起きのせいで少し機嫌が悪いので要注意だ。
「結構寝てしまったみたいね」
「ああ、ぐっすり寝ていたよ」
「私の寝顔を見たの?」
「い、いや、それはしょうがないだろ。隣で寝てたんだし」
「勝手に見るなんてサイテーね」
――何という理不尽! 見られたくないんだったら寝なきゃ良いのに。それか、もっと離れて寝ていれば良かったのに。アレクシアがオレの腕を引き寄せたんじゃないか。そのせいでオレの腕は少し痺れているというのに。
「罰として今度からここで寝る時は今日みたいにしなさい!」
「えっ、それじゃあまた寝顔を見てしまうんだけど良いのか?」
「うるさい、うるさい、うるさーい! そんなの見ないように努力すればよいだけじゃない。黙って同じように腕を私に貸せば良いの。分かった?」
「……仰せのままに」
「分かれば良いのよ! あなたの汚い腕を有効活用してあげるんだから泣いて喜びなさいよ」
「ワー、ウレシイナー」
「全然感情が籠ってなさそうだけど、まあ良いわ」
あまりにも棒台詞過ぎてさすがにバレてしまった。
でも、どういう訳かアレクシアは怒ることなく許してくれた。
――えっ、寝ぼけていてあまり聞こえなかったのかな? いつもなら、絶対に手が飛んでくるのに。
「そろそろ帰るわよ」
――まあ、良いか。別に叩かれた訳でもないし。逆に、オレにとっては幸運だったのだから。
「それより、なんか変な音がしない? それに臭いも」
「そうか?」
ボクはアレクシアの言っていることを確かめるために耳を澄ませる。
「……確かに、何かパチパチ音が鳴っているな。それになんだか焦げ臭いや」
「そうでしょ、何かおかしいわよ」
「大人たちが外で焚火でもしているんじゃないか?」
特にそんな予定があるとは聞いていないけど、この状況を考えるにそれ以外想像することが出来ない。
「まあ、何でも良いから早く帰ろうよ」
「そうね、じゃあ明日もここに来なさいよ」
ボクはアレクシアのその言葉に苦笑しながら、小屋の扉を開けて外に出る。
「――な、何よあれ!?」
ボクたちの目の前には草木が生い茂る自然豊かでのどかな村の風景は広がっていなかった。
そこには、モクモクと黒い煙を立てながら真っ赤に燃え盛る炎が、村中を包んでいる恐ろしい光景が。
ボクたちはその光景をしばらく受け入れることが出来ずに、ただ茫然と見つめていた。
――これは夢だ――と、願いながら。