遭遇 その1
アレはなんだったのかしら?
幻? 夢?
まさかコンサートの真最中に白昼夢を見るなんて……ありえない。
でも、確かに見たのよ。
一瞬だったと思うけど、最前列で佳奈のうちわを持っていた男の子と目が合った刹那、まるで別の空間に放り込まれたような錯覚に陥った。
真っ暗な空間、宇宙に放り出されたよう、重力の束縛もなく、フワフワと浮いているような感じ、なにが起きたのかわからないけど、不思議と恐怖感はなかった。
そして浮かんだ風景……。
神社の境内、朱色の鳥居、3本脚の変わった形だった。
お陰で集中できなくて、歌詞もダンスもミスってボロボロ、こんなことはデビュー以来初めてだわ。
常に完璧を目指すあたし、佐伯望結が、とんだ失態を晒してプライドズタズタだわ。
あまりの酷さに、メンバーからのダメ出しさえなかった。あたしの落ち込みようを見て、誰も触れられなかったのかも……。
佳奈はただポンとあたしの肩を叩き、知世は何事もなかったかのように「お疲れ~」と言った。そして麻美は心配そうな目を向けていた。
あの子は誰?
わりと可愛い顔してたな、まだあどけない、中性的な美少年。中学生くらいだったかしら? 年下に見えたけど、同い年くらいかも知れない。
あたしのファンじゃないのに、なんでこっちばっか見てたの? いいえ、それはあたしのほうだった。吸い寄せられるように、あの子を最初に見たのはあたし、その視線を感じてあたしを見上げたんだ。佳奈のうちわを落として……。
あの子も感じたのかしら? あの不思議な感覚。
あの子も見たのかしら? あの風景。
いつか見たことがあるようなあの場所、懐かしさを感じた。
以前に行ったことがあるような気もするけど、いつ? どこだったか思い出せない。
ホテルに戻ったあたしは1人、ベッドに横たわり天井を見上げていた。
間もなくミーティングが始まるだろう。
そろそろ佳奈の部屋に行かなきゃ……。
あー、でも今日のVTRは絶対見たくないわ!
ゴロンと寝返って顔を伏せた瞬間、なにかが耳を掠めた。
「えっ?」
あたしは反射的に起き上がった。
もちろん室内はあたし1人、テレビもラジオもつけていない、完全に無音のはず、なのに今度はハッキリと聞こえた。
(助けて……)
消え入るような声だった。女性の声?
(あなたの助けが必要なの)
もう1度、部屋を見渡したが、誰もいるはずない。逆に居たら怖いし~。
(早く、時間がないの)
それは耳で聞いていると言うより、頭の中に直接響いてるって感じだった。なんか不気味……。でも恐怖感はなかった。
あの時と同じ、あの男の子と目が合った時に体験した不思議な感覚と似ていた。
誰かがあたしを呼んでいる?
助けを求めている?
あたしはそれに応えなければならない!
そんな強迫観念に駆られ、気がつくとあたしはホテルを抜け出していた。
* * *
秘かにホテルを抜け出したあたしは、大通りへ出てタクシーを拾った。
運転手にどう告げたのか覚えていない。ここへ到着するまでの記憶は、なぜか空白だった。運転手はあたしがフィラギスの佐伯望結だって気付いただろうか? オヤジだったから、そんなグループがあることすら知らなかったかも……。
降り立ったのは見知らぬ場所、神社の入口のようだ、石造りの大きな鳥居があった。
なぜこんなところへ来たのかさえわからないあたしって、どうかしてる。まるで多重人格になった気分、あたしの知らないもう1人のあたしが、勝手にあたしの体を動かして来たって感じだった。
もう11時を過ぎているはず。今日のVTRを見ながらダメ出しをしている時間だわ。みんな集まって、あたしがいないことに気付いてるだろう。
心配してるかな?
大騒ぎになってたりして……。
明日もコンサート、勝手にホテルを抜け出して、こんなことをしている場合ではない。わかってるけど、押さえ切れなかった衝動、と言うより、なにかに操られるようにここまで来てしまった。
あたしは石造りの鳥居をくぐった。
真っ暗な境内、満月だったのが幸い、足元は見えるが……、懐中電灯が欲しい。そんなもの持ってるはずもなく、でもあたしは中へと進んだ。
正面に神殿らしき建物が見えた。
昼間ならそうでもないだろうが、月明かりに照らし出されたそれは、不気味と言うか神秘的と言うか……背筋をゾクッとさせた。
でも、あたしの足が向いたのはその建物ではなく、右に逸れた鎮守の杜だった。
鬱蒼と茂る木々が月明かりを遮って、足元をおぼつかなくさせた。
微風に揺れる木々の枝が、擦れあってカサカサと音を立てている。その音が得体の知れない恐怖を生んだ。
帰りたい!
臆病な心は悲鳴をあげたが、体が言うことをきかない、あたしの足は真っ直ぐ鎮守の杜の奥へ進んだ。
大きな銀杏の木を抜けると視界が開けた。
月明かりがスポットライトのようにソレを照らしていた。
仄かな月明かりに浮かび上がっていたのは鳥居だった。そう、コンサートのはじめ、不思議な幻覚の中で見たのと同じ、朱色の三本脚の鳥居だった。