第150話
足元に、急に感覚が戻った。
「……っ」
左胸に激痛。
そのまま、俺は吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられた。
……なるほど、俺が死んだ瞬間に戻したわけか。
なら、せめて痛いのはなしだろーが貴船さん……。
「……む……?」
俺は、さっき魔人がやったように、右手に力を集中して、血の溢れる胸に当てた。
神は神の力でしか殺せない。心臓をやられて危ないと思ったけど、……そもそも神の心臓って動いてんのか? 一度死んだ人間だし。
「あ~いってぇ!」
傷が完全に塞がり、血が止まったのを確認して、俺は半身を起こして叫んだ。
「ったく……死んだらどうすんだ!」
「何……?」
叫んで起き上がった俺を見て、おじさんは絶句していた。
おじさんは俺を殺す気満々だったからなあ。急所ぶち抜かれて血ィ噴いて倒れた甥っ子が起き上がってきたらびっくりだよなあ。
「シンゴ!」
「シンゴ兄ちゃん!」
泣きそうなスシオやヴェデーレの声。
「大丈夫、大丈夫だから」
胸に空いた穴が塞がる。神衣に空いた穴は自動的に再生し、俺の血がしみこむこともなく床に落ちる。
「でも……あ~やっぱ痛かったわー……。死ぬだけの攻撃だもんな、マジ痛かったわ~……」
「何故……死ななかった……?」
「《《死ねなかった》》から」
俺は指先を伝う血をぺっぺっと弾く。
「生神が世界を再生させないで死ねるはずないだろ」
「魔神の理念を教え込まれた生神が? 私とは戦えないと死を覚悟していたお前が?」
「ちょっと考え直してね」
俺はまだ痛みの残る左胸を神衣の上から擦りながら首を軽く傾げる。
「俺が死んだら、おじさんは世界を滅ぼすんだよな」
「無論。次の生神の為に」
「じゃあ、これまで俺が助けてきた人たちは、どうする? 大樹海のエルフ、無窮山脈のドワーフ、奈落断崖のフェザーマン、ビガスのヒューマン、それから……」
「下らない人間を助けてきたものだ」
おじさんは吐き捨てた。
「確かにその中には助けるべき人間もいたと見受けられる。だが、大多数が性根の腐った存在価値のない者ばかりだ」
「それは違うと、俺は思うよ」
「生神の力にすがり、生神の存在で自己正当化する人間が?」
「それが人間ってものだろ?」
仮面の奥、今は見えないおじさんの顔はどうなっているだろう。
俺の記憶にあるおじさんは、常に何処か諦めを含んだ無表情だったけど、時々激怒した。
別に俺が激怒させたわけじゃない。
俺と子供が一緒に勉強すると不運が移るなぞと言い張ってクラス替えを要求したモンスターペアレンツ。金を寄越さないと、と殴りかかってきた不良。バイト先で、理不尽な理由を押し付けるクレーマー。
そう言う人におじさんは激怒し、徹底的に叩き潰した。
《《笑うと怖い俺》》は、激怒して叩き潰すおじさんの影響で作られた俺なんだと思う。そう言えば、怒ったら怖いおじさんを見て、怒っても怖くない顔をしようと思ったんだったんだ。逆にそれが死ぬほど怖いと言われるとは思わなかったけど。
そう、今、俺は笑っている。
皆が怖いと言った、あの顔で。
「おじさんの言う正義で人を分別したとしても、違う人間が全く同じ考え方をするなんてありえない。生き残った……新世界に選ばれたと思った人たちは、自分たちこそが正義だと思う。最初はそれでもいいだろう。でもね、おじさん。これ、無理。絶対無理だから。おじさんの定規で測られた正義も、人によって微妙に違う。その微妙な差は、その内問題になる。正義のずれはやがて互いを許せなくなる。その結果、何が起きるか? ……魔神が生き残らせた者同士での戦争だ。結局、誰も残らない」
「…………!」
おじさんは仮面の奥から俺を睨んでいた。
そして、微妙な動揺が、俺に伝わってきた。
神としての力じゃない。九年という月日を共に過ごしてきた相手だから分かる動揺。
「おじさん、たった一つの正義なんてないんだよ。人は他人から影響を受けて、自分の認めないことを跳ねのけて、それぞれの正義を持っている。正義を持つ人間を救うのであれば全員を助けなきゃいけないし、おじさんの正義を等しく共有している人間は何処にもいない。おじさんは、結局誰も助けられないんだ」
「お前は……私が育てたお前は、私の正義を理解しているはずではなかったか」
「確かに、俺はおじさんに育てられた。俺の思想や思考、理念。それはおじさんから大きな影響を受けている。……だけどね、俺の正義はおじさんの正義からずれて来てるんだよ」
「ずれる……?」
「俺は座り込んでいたお年寄りに水をあげた。車に轢かれそうになった子供を庇って死んだ」
両手を肩の位置まで持ち上げて、「やれやれ」のポーズを作る。
「それは、お前の正義では……」
「正義じゃない。俺の自己満足だよ」
「な……!」
おじさんが明らかに動揺した。
「悪いけど、俺は正義の為に人を助けたんじゃない。見捨てたら嫌な思いをするから助けた。その自己満足を、みんなは勝手に正義と言うよ」




