第149話
鷹のような瞳が、俺を見据えている。
「彼が望み、描いた夢……正義は、確かに君の中に受け継がれた。だが、そうではない。君の持つ正義は決して遠矢竜介のコピーではない」
「でも……俺の考えは、全て、おじさんから受け継いだ……」
「そうではない」
貴船さんは小さく首を振った。
「君の叔父の正義と君の正義は、紛れもない別物だ。確かに根は彼の正義だったろう。だが、君は教えをそのまま受け入れたのではない。君の中で噛み砕き、熟成させ、そして君自身の正義となったのだ」
「俺の、正義……?」
「君は座り込んでいた私に、普段は寄らないコンビニへ行って水を買ってきてくれた。そこで問う。私を助けるのは君の中で正義だったのか?」
「正義……?」
俺は首を傾げた。
「正義……じゃ……ないな……」
「では、何だ?」
「当然のことでしょう? 困っている人を助けるのは、正義とかじゃなくて」
「そう、無意識の内に刻まれ、正義を行っていると意識せず実行する。それが君の正義だ」
「……は?」
いや、当たり前だろ。困っている人を助けるのは人として……。
「君が死んだのは、子供を庇ってだった。君の叔父は、自らを犠牲にしてでも赤の他人を助けよと教えたか?」
……確かに、おじさんはそう言うことを言ったことはない。
助けられる人がいるなら助けなさい。それは、おじさんの教えだった。
だけど、少ない金を削ってでも水を買えとは、命と引き換えにしてでも助けろとは……確かに言わなかった。
……いや? それって当然のことなんじゃないだろか? 助けられる力があるなら助けるべきだろ。貴船さんと会った時俺は財布の中にミネラルウォーターを買うだけの金額は入っていた。子供を助けた時、その場で助けられそうなのは俺だけだったから自転車を捨てて飛び出した。
「そして、全てを投げだして救った時、君は一度でも後悔したか?」
「何で」
財布の中が空っぽになっても、命が終わっても、多分無視した時の方が心が痛んだ。助けられなくて後悔するのはごめんだった。自己満足と言われようが何だろうが、言いたい奴には言わせておけばいい。俺がやりたいことをやっただけ。
「そう。君は意識せずに正義を行う。それが正義なのだと認識もせずに。それが君の積み重ねた正義。助けも求められない弱い者が虐げられていることを見逃せないし、自分が傷付こうと成したいことを成す。それは、己の正義に力はないと諦めた君の叔父と同じかね?」
「でも……おじさんは……」
「彼は己の正義が哲学だと思った、それは正しい。彼は正義を行えなかった。心の中でどれだけ正義を成そうとしても、自分にそれを成せるだけの力がないと諦めた」
おじさんが……正義を行えなかった……?
「一方、君は成せた。どれだけ己の力が弱かろうと、どれだけ相手が強かろうと、君は成す。それは君にとっては自己満足を満たすだけのことかもしれない。しかし、助けられた相手は、周囲は、君を正義の執行者だと判断する。君が成すのであれば、それは、正義なのだろうと。君は叔父のコピーなどではない。君自身の正義の執行者なのだ」
「俺の……正義……」
「君は生神になっても、助けを求める人を放っておけなかった。助けるに値しないと判断した相手でも、機会を与えた。ただ更地にすることしか考えていない魔神とは、そこも違う」
「魔神って……何で、おじさんは魔神に……」
「さて、それは本人に聞いてみなければわからない」
貴船さんは腕を組んだ。
「ただ、彼は彼なりに正義を執行しようとしたのだろう。正義を執行できる力と心の強さを手に入れたのだから」
「それが……世界の滅亡?」
「そう。だが、君から見てどう思う? 本当に正しいとしか思えない人間だけが生き残った世界で、世界は、再生できると思うかね?」
「無理だろ……」
俺は息を大きく吐き出した。
「全員が正しい世界なんてありえない。あったとしても、その正しさの在り方はそれぞれ違うはず。正義と正義がぶつかり合えば、……それは戦争なんだ」
「そうだ。やはり君は分かっている」
貴船さんは静かに頷いた。
「彼の正義とはそこが違う。君の叔父は異なる正義を認めない。君は正義の多様性を知っている」
「おじさんは……知らないのか?」
「知っていても認めはしないだろう。彼は己の正義が最も正しいと思っているのだから」
そんなこと、知らなかった。
思わなかった。おじさんの正義が偏ってるだなんて。
でも、このままおじさんを放っておけば、仲間が死ぬ。
俺が助けてきたのは正しい人だけじゃない。気位の高いエルフや気難しいドワーフ、俺に恐れをなしているビガスの街人、それから……。
俺は彼らを助けたことを後悔してない。むしろ嬉しかった。こっちがどう思われようが、そこに助けた命がある、というだけで。
でも、俺が納得していても、おじさんが納得しなかったら?
俺がいなければ、力を使い、知恵を絞って助けてきた人たち全員が殺される可能性だってある。
それは……ダメだ。
やっと生き残った人たちを滅ぼして、立ち直りつつある村や集落を潰して、その先に何があるか。
「そう……その先のことを考えるから、君は生神なのだ」
貴船さんは俺の手を取った。
血管の浮いた細い手が、俺の手を叩く。
「戻るがいい。君が成すべきことはまだあるはずだ」
何をしたらいいかなんて、正直分からない。
でも、俺が助けた、助けようと思った人たちを殺されるのなんて、絶対嫌だ。
だから。
「貴船さん、また、会えるかな」
「何時なりと」
貴船さんは帽子をかぶって立ち上がった。
「では、戻るといい。モーメントへ。君が生神として生きると誓った場所へ」
視界は、白一色に覆いつくされた。




