第135話
オフロ、なるものは、白く濁った広い池のように見えた。もっとも池には湯気はないけど。
シンゴに言われるがまま、全裸になって、半分屋根がある広場に出ていく。
横の小さな池で、お湯を被って、二ヶ月ろくに洗っていない体の汚れを落として、大きなオフロに連れられて。
肩までつかると、何て言うんだろう、すごく気持ちが落ち着いた。
「はあ~あ~あ~……」
シンゴの気持ちよさそうな声。
「気持ちいい……」
むむむ……確かにこれは……。
何か体にたまった膿がお湯に溶けて出てくような……。気持ちいい……楽で……お湯に浸かっているだけなのに身体が解れて疲れが抜けて行って……。
「気持ちいい……」
俺も呟いた。
思えばエンド往復の際は湯浴みどころか体を拭く暇さえなかった。
俺、疲れてたんだな……。
目を閉じて、全身を包む、微かに匂いの付いたお湯を全身で楽しむ。
「……悪い、ヴェデーレ」
シンゴの声に、俺は目を空けた。
「シンゴ?」
「誰にも言わないつもりだったし、誰もここに連れてこないつもりだった」
「え?」
「俺の問題だった。誰も巻き込むつもりはなかった。なのに、結果的にお前を巻き込んだ」
「俺は巻き込まれただなんて思ってない」
俺は反論した。本当は立ち上がりたかったけど、お湯に浸かっていたい欲に敗北している。
「俺は自分の意思でここまで来たんだ。……いや、オフロは気持ちいいけど」
「この後が大変なんだ」
シンゴは顔の半分までお湯に浸かり、ブクブクと泡を吐いた。
「俺は何だと思う?」
「何だって」
思いがけない問いに、俺は頭を捻った。
「レベル超高の魔法剣士?」
「魔法剣士じゃないんだ」
空を仰いで、シンゴは言った。
「生神なんだ」
「ふうん、なるほ……」
今度こそ俺は立ち上がった。
「生神ぃ?!」
立ち上がった俺に、シンゴは悪戯がバレた子供のような気まずい顔をした。
「うん」
「それって、つまり、モーメントを再生するために降臨するって言う、あの?」
「うん」
驚きだった。
神なんて、いるかいないか分からない存在だと思っていたのに、目の前の俺と同年代の男は生きた神様なのだと言う。
でも、何となく腑に落ちたこともある。
浮世離れして、妙な能力をたくさん持っていて、何処かここではない場所を見ている目。
人間の姿をした神様なのだとしたら、全てが納得いく。
でも。
「生神って、神子を従えて、その力を使うんだろ? でも、シンゴはグライフだけだった。さっきの神官さんも神子だったとしても、少なすぎやしないか?」
シンゴの顔が暗くなる。
「そう、それなんだよ」
溜め息をついて、シンゴは立ち上がった。
「そろそろ出よう」
「え? もう少しいたいんだけど」
「茹で上がるるぞ」
「卵みたいに?!」
うん、とシンゴが頷くので、俺も慌てて立ち上がった。
濡れた身体でオフロの前部屋に戻ると、俺やシンゴが置いていったタオルの他に、俺が着ていた薄汚れた服ではなく、新品の、清潔な服が置かれていた。下着も新しいのが出ている。
あの美女が出したのかと思うとちょっと気まずいけど、着け心地は抜群だった。
「あ~さっぱりした」
「いいのかな、こんな気持ちいい思いさせてもらって」
微力でもシンゴの力になれればと思ってついてきたけど、なんか歓待されているように思える。
「いいんだよ。この後が厄介なんだから」
「神様のシンゴでも厄介なのか?」
「生神だからこそ厄介なんだよ」
頭を拭きながらシンゴは唸る。
「もうすぐもう二人来る。そうしたら話し合いを始めるから」
俺はきゃあきゃあと甲高い声の聞える場所を見る。
神殿の中庭のような場所で、子供が小さなロバと猫と一緒に走り回って……違う?
あのロバ、神獣ではなかろうか。あの猫も猫って言うか、もっとデカい生き物だ。
「神驢と灰色虎だよ。その小型版」
俺の様子に気付いたシンゴが教えてくれる。
「アシ……ヌス……? 聞いたことないな……でも灰色虎って……岩山の聖獣じゃないか!」
「両方とも俺が創った神獣」
シンゴは何でもないことのように言う。
「アシヌスはフェザーマンにとってのグリフィンのように、俺がドワーフに創った神獣だけど、ここにいるのはその小型版。あの子たちの遊び相手をさせるために創った」
いやシンゴがフェザーマンしか乗れないグリフィンを自在に操れる理由が分かったわ。神様なら神獣創れるわな。ドワーフにあげたって言うならグルートンにも従うかな。従ったらグルートン喜びそう。自分が半分しかドワーフの血を引いてないのコンプレックスにしてたからな。
そして灰色虎とは。
岩山に住まう聖獣。善に善を、悪に悪を返すとも呼ばれている生き物だけど、聞いた話では相当デカいらしい。だけど子供と遊んでいるそれは大きめの猫ぐらいだ。足は太いけど。
「あの子たちの遊び相手兼護衛だ。原初の神殿には俺を信じる者しか入れないけど、いつ何時死物がここを襲ってくるか分からない。だから護衛のために創ったんだ。親御さんにも頼まれたし」
溜め息しか出ねえよ。
種族に与えられた神獣がどれほど尊いか。それは神が信頼してくれた証拠。その種族を神獣で守るという約束。シンゴはそれをドワーフに創り、小さなそれを子供たちを守るために創った。
……やっぱ、生神なんだな。
その時、風が渦巻いた。
「うわ」
中庭のはずの底に激しい風が吹き荒れて、渦を巻いて、消える。
渦のあった場所には、スレンダーな知的美女と言っていいとんでもなく美人なお姉さまと、何処かトーノを思い出させる容貌の少年がいた。
「ベガ、スシオ」
シンゴが前に出て手を出す。
「済まない、急に呼び出して」
「いや、私も状況を何となくだが飲み込んでいた。まさかこうなるとは思わなかったが……事態は急転したと言えよう」
「兄ちゃん、大丈夫か?」
「ん? ああ……スシオは? 少しは強くなったか?」
「ベガ姉ちゃん様やプフェーアト兄ちゃんに鍛えられてる。叱られてばっかりだけど」
「叱られてるんなら見込みがあるんだよ」
「そ、そうか?」
「うん」
シンゴが笑った。初めて出会った時のあの笑顔だ。
この人はこういう笑顔が一番いいな……。
「じゃあ、現状を直接報告するよ」
礼拝堂に向かいながら、シンゴの笑顔は一瞬にして消えていった。




