第108話
荷物から葡萄酒と干し肉をおろし、サーラの道具箱からパンを並べる。
それが焼き立てパンの匂いだから、辺りには香ばしく胃袋をくすぐる匂いが辺りに広がる。
店の準備をしながら、ヤガリが小声で聞いてきた。
「導きの球が示した、救いを求めている場所はここだったのか?」
「ああ、間違いない」
「だが、救いを求めているようには見えない」
確かに、街行く人たちはパンの匂いにこっちを覗き見に来た。空腹ではあるようだけど、アムリアの人たちのような無気力感はない。
救いを求めているのは誰なんだろう……。
「シンゴ」
「え? あ、おう」
「そろそろ店開きをしないと暴動が起きるぞ」
サーラに言われて辺りを見回すと、よだれを垂らして取り囲む人々。
「値段はいくらで?」
「パンが銅貨十枚、干し肉が十五枚、葡萄酒が二十枚と言うところだね」
世故長けたミクンの言葉に頷くと、俺たちは店をオープンした。
それはすごかった。
ミクンの言い値は西側の標準だったらしく、値段を言った途端ものすごい勢いで人が奪い合おうとして、慌てて順番に待つようにと言ったけど「なくなったらどうしてくれるんだ!」と怒鳴られた。災害に遭っても大人しく列に並ぶ日本人は何てすごいんだろうと改めて思った。
ミクンとサーラがとにかく欲しがる人全員にちゃんと売る、と約束させて、並ばせ……それでもイライラしながら待っている、と言う状況。
これもベガが用意してくれたテントのように店を覆っている布の奥で俺はひたすら【増加】を使い続けていた。
もう出す端から売れる。後ろの人たちがかなり不安そうな顔をしている。いや、全員に売るって約束したんだからやりますよ、【増加】します。銀貨や金貨で買おうとする人もいて、釣りがないのに困ると、「この価値分の量を出せ」と来た。お客様は神様です、じゃない。お客様はクレーマーです。
人が減らないなあと思ってみたら、並び直してる人までいた。
もーう銅貨の山がいくつもいくつも積み上がっていく。金貨や銀貨も山になる。
最後の最後に、貧しい身形の少女が握りしめた銅貨でパンを買って行って、ようやく客が途絶えた。
全員、ぐったり。
店のオープニングセールは大混雑になるけど、需要と供給が合致すると戦争になると言うことが分かった。
「魔獣百頭相手にした方がまだ楽かも知れない……」
弱音を吐かないレーヴェが敷物の上に突っ伏したんだから、相当疲れたんだろう。俺なんか奥で【増加】してただけだからなあ。神威は使っても別に疲れもしないし。
アウルムが一生懸命お金を数えているが、量が多すぎて筆算しても追いつかない。バーコードレジや表計算ソフトがないこの世界でこの金は……どうしよう……。
「この銅貨、持ち歩くのか?」
さすがにヤガリも不安そうだ。
「安心しろ、道具箱に突っ込むから」
なるほど、道具箱には財布代わりの使い方があるのか。
「世界に滅亡が迫っている時に金などあっても仕方はないが……」
金がなくてもちっとも困らないサーラが道具箱に硬貨を突っ込みながら言った。
「等価商売と言うことにしておこう」
最後の銅貨を放り込むと、サーラの道具箱の中は金銀銅貨でずっしり。でもまだ余裕はあるっぽい。
「サーラ、今度、俺に道具箱のやり方教えて」
「構わんよ」
あちこちで焼き立てパンの匂いがする。多分、街の人が全員買いに来て、家に戻って、食べているんだろう。すごいことだ。俺もここまで立て続けで神威を使ったのは初めてだ。
「はー……疲れた」
誰が言ったか分からない程、疲労困憊。
疲れとは程遠い所に生きているはずのサーラでさえ、くったりしている。
「ぅなーお」
看板猫も疲れたと一声鳴いた。ブランやグライフも突っ伏している。
「とりあえず……休もう」
サーラが言った。
「俺は街の様子見てくるよ」
【増加】しかしてない俺は立ち上がった。
「困っている人を見つけられるかもしれないし、この街で起きている問題が見つかるかもしれない」
「そう……してくれ」
レーヴェの声に見送られて、俺は街へと繰り出した。
街はそこそこ大きかった。
行き来する人にもそこそこ活気があるけど、よそ者である俺たちは警戒されている。それは当然だと思う。
だけど。
何だろう、この違和感。
街に入る前ミクンも言っていた、何だかよくわからない感覚。
「何だろ」
街なのか、人なのか。
「ちょい兄ちゃん」
小さな声が耳に引っかかって、俺は足を止めた。
「こっち、こっち」
俺がやっと聞こえるくらいの小声。
視線をめぐらすと、物陰から手が突き出て俺を招いていた。
お化けか、と一瞬身構えたが、俺もお化けみたいなもんだと思いなおし、その手の付いている方を見る。
少年……と言うか、まだ男の子と呼べるくらいの子供が、俺を呼んでいる。
姿を隠している様子を見る限り、他の人間には知られたくないらしい。
何か教えてくれる気配。だとすれば乗らない手はない。
俺は辺りを見回すと、皆の注意が俺から外れた一瞬を突いて男の子のいる路地に入り込んだ。
「こっちだ、こっち」
小声で招かれるままに歩いていく。
ちゃんと整備されていない道で、小石やゴミなんかが平気な顔で散らばっている。
「よし、到着だ。すまねえ兄ちゃん。こんな手しか取れなくて」
髪もバサバサ、服もボロボロ、明らかにさっきまでの客の中にはいなかった系統だ。




