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第101話

 何処とも知れぬ、仄暗い世界。


 ここに生物は存在しない。


 存在するのは、死物だけ。


 ただ周りを巻き込んで滅びゆくことを宿願に己を鍛え、魔力を高め、そして生物の世界に向かう死物が生まれ出る世界。


 建物も何もかもが、壊されることを限定で建てられているのだから、並ぶ家々はみすぼらしい。そもそも住人がいない家の方が多い。


 その中で、唯一、建物のていを成して……いや、この世界には不釣り合いなほど豪奢に飾られた神殿に住まうのは、魔神……滅亡の神である。



  ぱちん。ぱちん。


  ぱちん。ぱちん。



 魔神は、侍女に爪を切らせながら、憂鬱にその報告を聞いていた。


「オグロが、生神に滅ぼされたと」


 オグロと同じダークエルフにして、同じ魔族であるモストロは、忌々しそうに言葉を続ける。


「ケンタウロスの研究成果から魔族にしてやったというのに、己だけが死に、生神を巻き込めぬとは……」


「生神は、未だ健在なのだな」


「は。そればかりか、守護獣を滅ぼすことにも失敗したと。無駄死にですな」


  ぱちん。ぱちん。


 この世界では、誰も巻き込めずに死んでいく者を、無駄死にと言う。


「次はこのモストロにお任せください、魔神様。必ずや生神、神子をも巻き込んで滅んで見せましょう」


 モストロの目がキラキラと光っている。


 ダークエルフと言うが、生物のエルフとは関係ない。ただ、関係ないと言うにはあまりにもその外見は似通っているので、エルフは我々とは別の存在なのだと彼らにダークエルフの呼称をつけた。ダークエルフたちはむしろ喜んだ。滅びの道を目指す我らに相応しい、と。


「二の舞にならねばいいが」


 低い声に、モストロが反論しようとしたが、魔神はそれを、爪を切り終えた右手で留めた。


「生神の【再生】はそれは恐ろしいそうだ」


  ぱちん。ぱちん。


「神威ですな。確かに滅びかけたものを元に戻すのは恐ろしい力でしょうが、人間を【再生】することは出来ません、何も恐れる必要は……」


「アルクトスを忘れたか」


 剛健で鳴らしたワー・ベア。魔神がその名を知っていたように、手柄を立てれば魔神と直接面会できる魔族にさえなれたと言われていた彼の無駄死に。


「アルクトスは、【再生】の前に屈し、一人で殺してくれと頼んだという」


「それは……その」


「死に続く苦痛であれば、我らは喜んで受けただろう。その先にあるのは滅亡と言う花道なのだから。だが、生神は違う。死に続かない……続かせない苦痛を揮うことができる。死ねない苦痛……全く我らと相反し、理解し合えない力だ」


「……確かに」


「仕方あるまい。生物は生きることを望み、死物は死ぬことを望む。その時点で大きく違うのだ。そして、生神が使うのは生の苦痛……死にたいと望むからこその死ねない苦痛。どうして苦痛を続けてまで生きたいと望むか私には分からんがな。まあ……いい」


 魔神の爪を見事に整えた侍女に、魔神はほんの少し、表情を変えた。


 慈悲さえ感じさせる、柔らかな笑み。


「爪を切るのが上手くなった」


「勿体ない……お言葉でございます」


「褒美は何がいい」


「それは、無論」


「ならば」


 魔神は言葉を続けようとした侍女を止めた。


「お前の技術を受け継ぐ者を作るのだな。今更以前のお前のように粗相するたびに死なない程度に折檻せっかんするのも面倒だ。……ああ、お前の次の者にも言ってやれ。褒美が欲しければ精進するのだとな」


「ありがたきお言葉……!」


 侍女は爪切り道具一式を持って下がった。きっと、これから彼女は爪切り係を探すだろう。魔神にそば近く仕える侍女の中から……そして、侍女の腕が上がった頃には。


「魔神様」


「なんだ」


 柔らかな布に寄りかかるようにして、自分の爪を眺めている魔神に、モストロは言った。


「侍女程度の輩に、御自らの手を下される必要など……」


「侍女だからこそ私が手を下すのだ」


 魔神は視線をモストロに向けた。


「私は滅亡の神だ」


 モストロは反射的に膝をついた。


「そうではないのか?」


「は、はい……」


「滅亡は誰にも等しく与えられるもの」


 感情のない声に、生を恐れない魔族さえもが縮み上がる。


「そうではないのか?」


「はい……!」


「ならば、私に尽くしてくれた者に、平等に滅亡を与えなければ理不尽ではないか。生物を殺して手柄を立てるのは魔獣や魔物にやらせておけばいい。私は、私の傍で死を願う者にそれを与えてやる。無駄死にしかできない者たちへの慈悲……それを、お前は、無駄と言うのか?」


「も、申し訳ございません……!」


「私の為に生の苦痛を背負っている者を、解放してやる。それこそが滅亡の慈悲ではないか? 私はその為にここに来たと思っていたが、違っていたか? なあ、モストロ?」


「……畏れ入りましてございます……」


「死にたくて仕方のない者が大勢いるのに、それを生かしておくような無慈悲は私はしない。死にたい者に安らぎを。それが私の存在理由ならば、モーメントと言う世界自身が死にたいと言うのだろう。私は無意味に生の苦痛を撒き散らす生神を滅ぼす。苦痛を感じながら生きろと言う無慈悲の塊にとどめを刺す。そして世界もろとも滅びゆく。……生神が間近に迫るまでは、好きにやらせてもらう。その為にお前たちに好きにさせてやっているのだ」


 モストロは己の主に深々と頭を下げた。


 魔神はもう一度窓の外を見た。


 この世界は仄暗い。微かな光明が漂っているだけだ。


 だけど。


「何れまみえる時が楽しみだ。なあ、生神……?」


 滅亡の神は柔らかな笑みを、まだ見ぬ仇敵に向けるのであった。

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