ep9.記憶の森編・8話
現実の機内では、柳生がゆっくりと前に身体を倒して行く。
柳生(心の声) 「僕が…やられる……橘さんに応えよう、と…」
ドサァ
倒れた柳生は最後に会った橘との記憶を思い出していた。
・・・
一2週間前一
薄暗い畳部屋にある長机には幾つもの芍薬が活けられていた。芍薬の首もとに鋭く光る剪定用のハサミが入る。
パチン。ポトッ、
パチン。ポトッ、
柳生は切り落とされる芍薬の花を冷たい目線で見つめていた。
橘 「陽炎を作ってから今まで、こんな事は起きなかった。有能な十色達が次々と警察に捕まって行く。…奴等は影の力の事をシャドウと呼んでいるそうだな」
顔に光の当たらない橘に、柳生はどこに視線を送ればいいのか分からなかった。
柳生 「そう呼んでました」
橘 「だっせぇなー。…あと少し、間もなく怒りの蜜が必要分に達する。最後の分を柳生、お前に回収してきて貰いたい。いいか?」
柳生 「勿論です。断る理由などございません♪」
柳生は目を伏せてお辞儀をすると立ち上がり部屋を出ようとする。
橘 「期待してるぞ」
入口で止まり一声。
柳生 「はい」
・・・
一現実の機内では一
柳生は遠退く意識から必死に戻ろうと抗っていた。床に爪を立て起き上がろうとする。だが、力が入ったのは指先だけだった。あとの体はピクリとも動かなかった。
柳生 「お、れ、は、…アイツらとは、ち、が、うっ……」
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一柳生実・25歳の頃一
僕は医大を卒業すると、能力を買われすぐに総合病院に就職した。将来の夢、と言うよりも容易く早く、自分の病院を立ち上げたいと考えていた。それにはまず必要な仲間を見定めなければと考えていた頃。心臓外科の応援に行く事があった。心臓外科の診察室を横切ろうとした時、偶然にも見かけた変態がそこにいた。
看護婦 「鬼丸先生!ここは休憩室ではありませんよ!早く午後の診療の準備して下さい」
診察室の席に座る男は、半ば呆れながらも口調を強くして注意する看護婦に向かって舌打ちをして睨んだ。
その男。名を鬼丸。聞いたことはあった。名誉高い心臓外科のスペシャリスト。そして、悪名高くドエス極まりない行動の男。
僕は午後の診療の応援に入るため、鬼丸先生の隣の診察室に向かう途中。どうしても鬼丸先生の診察室を横切らないと行けなかった。別に見るつもりはないし、視界に入ってしまう物をちゃんと見ようともしない。つもりだったが、余りにも若手の僕には刺激的過ぎる光景だった。
席に座る鬼丸先生の上に濃いメイクと濃いマニキュアをした看護婦もどきが股がって両腕を先生の両肩に乗せていた。
看護婦もどきの手には注射器が、そしてその注射器に入っている何かをソイツが鬼丸先生の口に入れていたのだ。
僕は先生よりも先に看護婦もどきの存在に嫌悪を強く感じてつい声が出てしまった。
柳生 「おい、先生に何を!」
女、いや看護婦もどきは一瞬聞こえた間を作ったが僕には目線も送らない。無視をされた。だが、その間もなく鬼丸先生がこちらを向いた。
鬼丸 「ん?、あー、キミ、応援で来てくれたんだよね。よろしく。コレねブランデーなんだ。仕事前に一発やらないとボロが出ちゃうんだ。キミもどうだい?」
僕は逃げた。今見た光景は幻想だ。幻に違いない。僕は疲れてる。たしかにそうだ。医大を卒業して一番忙しいと言われる総合病院で脳外科と心臓外科の掛け持ちをしてる同期等どこにもいない。さっき見たのは幻で、僕が自分で作り上げた幻想にすぎない。
水をひとくち飲み、顔を洗って、そして、自分の幻想だったと確認する為にもう一度鬼丸先生の診察室を覗いた。
見なければよかった。
まだ先生に股がる看護婦もどきが透けるような桃色の両胸をさらけ出し、先生に揉みし抱かれていた。
病院の元凶を目の当たりにした。
その翌日。僕は続けて心臓外科の応援に行く事になっていた。だが断った。吐き気が止まらなかった。この日は仕事どころではない。僕は休みをもらい考えることを放棄した。
だがその翌日。僕は脳外科の先輩から耳を疑う様な話を聞いた。
鬼丸先生が殺された。
舌をハサミで切られ、股間に注射器を刺された状態で先生の診察室で発見されたらしい。
間違いない。僕は瞬時に悟った。
あの看護婦もどきがやったんだ。
ゾッとする。
人を治す病院で、人を壊す人間がすぐ側に、そしてすぐ後ろにいる状況に気が気でならなかった。
犯人はまだ捕まっていない。と先輩は最後に言い残して去っていった。
アイツは何処に?
仕事が終わっても頭から離れないアイツの姿。僕は気付けばずっと右手に天然水のペットボトルを握り締めて診察室で座っていた。
静かな診察室だった。
後ろから女性の声がするまでは。
目黒 「コンコン」
振り向けばアイツがいる。すぐに分かってしまった。
アイツの強い香水の香りに混ざるアルコール臭。
僕はその臭いに怒りを感じながらも、
何故かあの時の鬼丸先生と看護婦もどきのふたりがしていた事を、
今僕は目黒と名乗る女としていたのだ。
目黒 「ねえねぇ、マシュマロ食べる?」
指先でフニフニと摘ままれたマシュマロの横には、いたいけな笑顔があった。
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一風春が柳生の影を焼き付くした頃。渋谷では一
10月の渋谷の喧騒のなかで、橘はひとり歩いていた。コロナ禍でも多い人混みに流され、すれ違う街のガラスに映る自分を見た。
橘 「ムカつく顔だ…」
橘の足はスクランブル交差点に近付いていた。通行人達の言葉が嫌でも耳に入ってくる。
通行人 「この間ベーグル屋さんに2時間並んで食べたんだけど、めっちゃ上手くってまた行くから一緒に行かない?」
通行人 「ごめん、この後予定あるから帰るわ」
通行人 「嘘だろどうせ、ファミレス行くぞー。大貧民勝ったら帰っていいよ」
スクランブル交差点に立つ色とりどりの人間達。肩を並べて橘は信号を待った。ふと若者を見て何かを思う目付きを一瞬だけ見せ、ため息混じりに空を見上げた。
信号は青に変わる。
橘は周りから冷たい視線を何度か感じたが気にせず歩いた。そして交差点の中央付近で立ち止まる。アイヌの紋様が入る麻布を纏う橘の姿に、暇をもて余す若者が絡んできた。
若者 「おっさん何の格好?ハロウィンまだちょっと先なんだけど」
若者 「写真撮っていい?SNSにあげるわ(笑)」
橘は若者を無視した。そして地面に右手を乗せると口を開いた。
橘 「´´食菌喰´´」
若者 「はあ?無視かよ…行こうぜ」
メキメキメキッ
すると交差点の中央付近にしゃがむ橘を中心とした半径15メートル圏内の地面がひび割れ始めた。
ズドゴオオオオオッッッ!!!
その直後、すり鉢状にコンクリートの地面がベコリと陥没し、通行人の足が地面から離れた。
次々とへこんだ地面に落ち行く通行人達。その通行人達は既に白目をむいて意識を失っていた。
もう、その場から橘の姿は消えていた。
ざわつく渋谷スクランブル交差点。
商業ビルに設置された巨大な液晶画面から、アナウンサーがコロナ規制緩和が各地で始まった事を告げていた。




