ep8.偽造編・6話
タッタタッ、タッタッタッ!
稲荷が事務所から姿を消し、風春は巻を探しにコンコンファイナンス事務所の建物階段を駆け降りて道を走っていた。
風春(心の声) 「巻さんと離れてからどれ位時間が経った?、怪しい場所から探ってくしかないよな」
巻を探しに走る風春の脳裏には、さっき現れた祖父・城戸元との記憶が蘇っていた。
・・・
一風春18歳の頃・祖父の城戸元が運営するボクシングジムにて一
俺はじいちゃんがやっている´´KID´´と呼ばれるボクシングジムに中学生頃から行くようになった。
ボクシングが好きだった訳じゃなく、じいちゃんから教わってる時間が好きだった。
ジムでトレーニングをする大人達は皆格好良くて、面白くて、たまに面倒くさかった。プロを目指す人、アマチュアの人、ダイエットの人。目的を別とした人達を相手にじいちゃんは厳しく、時に優しく接していた。俺は回りから信頼されているじいちゃんの後ろ姿をずっと誇らしく見ていた。
ジムで全員が帰った後に、じいちゃんはサンドバッグの前に立って拳に想いを込めながら鍛練を行っていた。
正拳突き。
呼吸を止める。体内に流れる血液をコントロールして、始動から終動までに使う筋肉にのみ注力する。
じいちゃんが突き出した拳は光り、サンドバッグをぶっ壊す。
それを俺は何の疑いも、何の怖さもなくじいちゃんの正拳突きを見ていたことを覚えている。
でも、その正拳突きを見せてくれたのは中学生を卒業する頃までだった。
・・・
一現在・玉地良太郎の自宅一
…チーン
玉地は和室の仏壇の前で合掌した。緑色のジャージにモヒカンヘアスタイルの姿で正座をしている。
玉地 「…あの日…俺がもっと早く親父の所に行っていればな…」
ピロン♪ピロン♪
玉地 「おお!行く時間だ」
ガッ
リュックを掴んで玄関に向かう。
玉地は肩にリュックを掛けて自宅を出発する。
交通量の多い大通りに面したアパートから出た玉地は狭い歩道をゆっくりと歩く。
ちょうど近くの信号が青に変わった。
歩行者や自転車に乗る人が横断歩道を渡る。青信号が点滅するとあっという間に赤に変わった。
玉地はその横断歩道を見た瞬間、目をかっ開いて走り出した。
玉地 「おおっ!」
ダダッ!
横断歩道の中間には押し車を押すお婆ちゃんがいた。
車を止める信号機が青に変わる。停車していた車が徐々に前進を始める。
その時、おばあちゃんが横断歩道を渡ろうとする先の歩道から風春が走ってきていた。
風春 「あれ?、赤信号、おばあちゃん渡りきってないじゃん!」
風春は走る速度を上げた。
すると、がらんと空いた一車線に紫色の大型トラックが速度を上げて走ってきた。
大型トラックの運転手は横断歩道を渡りかけているお婆ちゃんに5メートル手前で気付いた。
パァパパアァパパパパパァアァアア!!!!!
大きなクラクションが鳴り、紫色のトラックはライトを点灯して明滅させる。
風春 「おいおいおいっ!」
お婆ちゃんの側に迫る大型トラックは真っ正面まで突っ込んでいた。
ズザザザアァッ!!!
お婆ちゃんとトラックの間に素早く現れたのは、銀色と黒色のハスキー犬をデザインしたプロレスマスクを被った男だった。
玉地 「´´腕腕´´」
玉地が言葉を放った瞬間。上半身がムキムキに膨らみ着ていた緑色のジャージが弾けた。
ビリビリィズバババアアァァンンッッ!!!!
露出した猛き上半身の両腕には銀色の犬毛が纏い、鋭い爪を伸ばした両手で迫るトラックと激突する。
ドゴオォオバガアァンギィ!!!!
トラックは速度を落とせず玉地と激突、受け止めた玉地は勢いを殺そうと堪える。後ろにはお婆ちゃんが震えながら玉地とトラックを見つめる。
玉地 「…ふんっ!!」
ガゴオォオン!
玉地の腕力で大型トラックが持ち上げられ、ゆっくりと前転をする様にお婆ちゃんの後方へ倒された。
ズゴシャシャアアアァアァアンンンッッッ!!!!
前転したトラックのすぐ側で風春は止まった。
風春 「すげぇ…。デカイ身体なのに素早い動き…そうだ、ここにいる人影の人ってプロレスラーだって言ってたな」
玉地はすかさずお婆ちゃんを安全な歩道まで移動させ、投げ飛ばしたトラックの運転席まで走り込んだ。
玉地 「大丈夫ですか!!?」
運転席には玉地の方を大きなお目めで見つめる運転手がいた。
運転手 「………はい?」
玉地 「うん、よかった!今外に出します!」
ガッ
玉地はトラックの運転席のドアを両手で掴む。
バゴンッ
そしてドアを簡単に剥ぎ取り地面に置いた。運転手は固まった人形の様にそのまま玉地に抱き抱えられ救助された。
玉地 「よし。じゃあ僕はこれから練習があるので!」
片手を挙げて運転手に挨拶をするとリュックを取りに行った。
・・・
一10分後一
玉地は自身が所属する´´サンロードプロレス´´の練習ジム´´霧島´´に到着した。
玉地は入口の扉が少しだけ開いている事に気付く。ジムへ入ると入口の扉をしっかりと閉めた。
玉地 「扉はちゃんと閉めろって言われてるだろ!…」
ジム内に響く玉地の声。その時、練習用のリングマットの上にひとりだけ姿があった。
玉地 「なんだ、今日は大矢ひとりか?」
玉地はジムにいるのが5歳離れた後輩の大矢だけだと気付く。
しかし大矢は玉地の声を聞いても反応がなく、軽く天井を見つめていた。
玉地 「…おい!返事位…?」
リングマットに近付く玉地の方に目線だけをゆっくり送る大矢。
大矢 「…なぁ…こいつの顔臭えな」
玉地(心の声) 「…大矢じゃない。なんだ?顔に何か貼り付いてるのか?」
大矢の顔をよく見ると、紙幣の形が何枚も重なって顔面を覆っていた。
大矢 「ちょっと力を試したかったんだが…聞き分けの悪い男だったから黙らせて捨てておいた」
玉地 「大矢はどこだ?」
大矢 「さあな…」
シュシュンッッ!!!
玉地は圧倒的速度で大矢の仮面を被った何者かの背後に回った。
ガッ!!
大矢 「??」
そして玉地はそいつの首を掴むとそのままリングマットにねじ込んだ。
ドゴオッッ!!!
バゴキッ!
骨が折れる鈍い音が鳴る。
玉地 「この腐った臭い。お前、陽炎か?」
シュダッ!
玉地は一瞬でリングサイドまで距離をとり様子を伺う。
スッ、ク
ニセ大矢は首を90度横に曲げたまま立ち上がる。そして両手で頭を掴んだ。
ガッキコッ!!
玉地(心の声) 「折れた首を自力で直したな」
大矢 「初対面なのに乱暴だな…」
ニセ大矢はそう言うと右手で頭頂部の髪の毛を掴むと下に向かって引き剥がした。
ガベキベリベリイィ
剥がされたのは大矢の顔を作る紙幣と柔らかい何かだった。
ドチャッ
リングマットの上で変形する大矢の顔。
大矢の顔の内側から現れたのは稲荷の顔だった。
稲荷 「レスラーを選んだのが悪かったか。型どりにも手こずった上にこの汗臭い顔面。大して強くもないのに無駄にデカイ身体だった。…お前もそうだろ?」
玉地(心の声) 「大矢。どこにいる。お前はうちのジムに来てからずっと面倒見てきた可愛い後輩だ。不器用で抜けてるが、返事はしっかりする真面目な男だ。恵まれた体格、高い柔軟性はジム一番だろう。そんな未来あるホープを、こんな腐った男と遭遇させてすまない。俺の責任だ…」
玉地 「すぐに見つけ出すさ!」
稲荷 「あ?」
玉地 「シュート!!」
叫び声と共に玉地の上裸の肉体に銀色の犬毛が生え広がる。付けているレスラーマスクに施される銀色と黒色の色は濃さを増す。
玉地 「ウゥウゥウゥウッ!!´´獣士´´」
稲荷(心の声) 「身体が1.5倍でかくなった。だから何だ…」
ズズズッ
稲荷の影から現れたのは複数の拳銃。稲荷の回りに浮遊する拳銃は既にカチャリと音を立てる。後は引き金が引かれるのを待つばかりだった。
稲荷 「逝け」
拳銃の照準は玉地に一点集中し発砲される。
パンパンパンパバパバァアァアンンッッッ!!!!
飛ぶ銃弾は玉地の全身を捉えた。
真っ向から受けた玉地は全身に力を入れて歯を食いしばった。
´´霧島ジム´´から5メートル離れた場所で様子を伺っていた風春。
風春(心の声) 「銃声!?、あのレスラーの人が人影だったらと思ってつけてきたけど、中で戦ってるのか?」
風春はジムの中が見える位置まで移動することにした。
玉地は銃弾を浴びながらもまだなお立っていた。玉地は俯く顔をゆっくりと上げるとカリッと歯で受け止めた弾丸を噛み砕いた。
玉地 「ハッ!(笑)、チョコレート♪」
稲荷(心の声) 「俺の銃弾の速さと威力をものともしない。お前も獣か(笑)」
カン、カン、カンカンカカカンッ
玉地の全身に当たった弾丸がマットの上に落ちた。身体に傷はなかった。
風春はいつの間にかジムの中に入っていた。稲荷の顔を目撃した風春はこの好機を逃すまいと身体が勝手に動いたのだ。
風春 「俺、そいつの事知ってます!」
稲荷を睨みながらはっきりと声を上げた。
玉地 「here we go♪」
玉地は風春に一瞬視線を向けた後、直ぐに稲荷へ攻撃体勢を取ると勢い良く踏み出した。
玉地(心の声) 「あの青年。人影メンバーからの情報通りの風貌。風春と言ったか。たしかさっきお婆さんを助けた時に歩道にいたな」
稲荷は迫る玉地に向かって両手を突き出す。
稲荷 「´´十手´´」
バンバンバンバンッッ!!!
玉地 「フッ、手の平から銃弾か」
稲荷の両手の中から現れた銃口から放たれた何発もの弾丸。玉地はその全ての弾丸の軌道を見切っていた。その上で玉地は稲荷までの最短コースを全く変えようとはしなかった。
ブスッ、ブスンブスンッ!
稲荷 「こいつ」
風春 「避けない?弾丸に向かって走ってる」
玉地 「フンンンンウウン、フンッッッ!!!!」
玉地は銃弾を受けながらも太い右腕で稲荷の顔面に向かってラリアットを繰り出す。
ブウンッッ!
玉地 「…避けたか」
稲荷 「ふぅ、おっかねぇ身体だ…´´十手´´」
シュシュシュシュッ!!
稲荷の手から飛び出した一万円札の数々が玉地を襲う。その一万円札は、普通の紙幣とは違いカッターより鋭利に切れる凶器に変わっていた。
シュバ、スパ、ズババッッ!!!
玉地 「フッ、今度は切り裂きに来たか。じゃあお返しに、」
グガッ!
瞬時に稲荷の背後から両腕でしっかりとホールドをした玉地。マットを確認すると一瞬でバックドロップを稲荷に味合わせた。
ズドゴッッッ!!!!
白目をむく稲荷。玉地は稲荷をマットに置き去りリングロープにもたれ掛かった。
玉地 「まだまだこれからだろう?…立てよ!」
ムックッ
よろめきながらも立ち上がった稲荷は頭をふらつかせ玉地を探す。
玉地 「そうだ。行くぞ、´´復復!!!´´」
ダッダッダッ!!!
リング中央で立ち尽くす稲荷に向かって突進する玉地は再び右腕ラリアットを狙う。
稲荷 「´´十手´´」
小さく呟いた直後稲荷は玉地の心臓に向けて口を大きく開いた。
玉地(心の声) 「ほう、面白いやってみろ」
風春 「あいつ口の中に拳銃が」
カチャリ、ドパンッ!!
稲荷の口から放たれた弾丸は銀色の犬毛が纏う玉地の胸部に直撃する。
ドンッ!!
胸部で爆発する弾丸。弾ける火花で玉地のマスクが一部焼ける。
玉地 「it's a peace of cakes(楽勝だよ)!!」
稲荷の攻撃を受け終えた玉地は突進速度を上げる。稲荷は玉地の太い右腕の肉に埋まると足が浮いた。
玉地 「俺が何年、いや何十年とプロレス界でヒール役をやって来たと思ってる」
稲荷が玉地のラリアットをくらいフラフラと倒れようとする寸前。リングロープを使いさらに速度を上げた玉地のラリアットが稲荷を襲う。
玉地 「ヒール役の鉄則。相手の攻撃はちゃんと最後まで受けきる。その攻撃の強弱を例え知っていてもだ」
中央に立つことしか許されない稲荷は、四方に囲まれたリングロープのバネを使ってラリアットを繰り出す玉地のゾーンから逃れられない。
玉地 「試合を盛り上げる為に、倒れ続け、そして再び立ち上がる。相手はヒーロー。もちろん強者だ。その強者に屈しない程のヒールであるからこそ観客は燃える。何度でも俺を倒しに来る。…なぁ、お前もそうだろう?」
風春 「勝てる、このままいけば、俺が参戦する隙がない」
稲荷もまた興奮していた。玉地からの攻撃を受けておきながら笑みを浮かべていた。
稲荷 「べらべらとよくしゃべるクソ犬だな…」
玉地 「楽しいんだろ?…ほら、言ってみろ!」
その時、稲荷の身体を覆い隠すほどの黒い煙が稲荷の影から立ち上った。
ブフウゥウゥウゥウゥッッッ!!!!
玉地(心の声) 「ほぅ恥ずかしがり屋さんか。この狭いリングで身を隠せると思ったか?」
稲荷は優しく呟く。
稲荷 「´´紙芝居´´」
煙の中から青白く光るふたつの眼を玉地は捉えた。
玉地 「目には目を、か。´´光眼´´」
玉地の右目は水色、左目は黄色のオッドアイの色が増す。
すると、今まで以上に玉地の洞察力・反射神経・フィジカルが向上し、時間が経つのも遅く感じる程にまで感覚が研ぎ澄まされて行く。
玉地は黒い煙に向かって構える。
踏ん張り、飛び掛かる。
ラリアットを振り抜く。
ドシュウゥウゥウッッッ!!!!
だが玉地のラリアットは空を切り裂くだけで終わった。
黒い煙は玉地の巨体で晴れる。
その中から稲荷が満身創痍の姿で現れた。
稲荷 「´´龍刀´´」
その時、玉地は胸に違和感を覚えた。
顔を下に下ろす。
鳩尾から伸びる薄く突き出た刀が血を染めて玉地の視界に現れた。
玉地 「なんだ?紙みたいに薄いこれは…何も感じない。…グフォ!」
ドン。
玉地はマットに両膝を落とし口から血を垂らす。
稲荷 「お前の血は何かに使えそうだ。俺の刀に収めさせてもらう」
ドクン、ドククン!
細く長く伸びる稲荷の刀は、玉地の胸から出所である稲荷の持つ刀まで繋がっていた。その刀は巻き尺型になり、白い刀は玉地を起点に血がどんどんと稲荷の方へ染まってゆく。その速度は秒速1メートル。玉地の身体から血液が奪われてゆく。
玉地(心の声) 「身体が動かせん、力が、、どんどん、、、抜けていく」
ドサンッ
意識を保てず横に倒れた玉地。
稲荷は玉地の血液が刀に収まるのを玉地を見ながら待った。
その時だった。
稲荷のこめかみに風春の´´雷拳´´が現れたのは。
稲荷(心の声) 「…ガキ、いつの間に」
風春が意を決して動き出す前、恵里との会話を思い出していた。
風春(心の声) 「今でも鮮明に思い出す。恵里と好きな豚トコトンで食べてる時に起きた事件。切り落とされた恵里の腕、流れる血、苦痛の表情。あの日以来、シャドウを全滅すると誓って動いてきた。そんな中、俺から恵里に連絡する事はなかった。正確にはする事が出来なかった。なんて言葉を送ればいいのか上手く作れなかった。人影のチームに入って活動している時。誰かに見られている様な感覚になるときがあった。理由はわからない。でも気付くと遠くに鳥のエビちゃんがこっちを見てたりする。夜は基本ひとりで寝る。寝る前は恵里からの連絡がないかチェックするのが習慣だ。そんなある時恵里から連絡が来ていた。´´生きてる?´´の一言。俺は咄嗟に返信した。´´頑張ってるよ!´´、恵里からの返信は´´頑張らないでいいよ!頑張るって言うと、いつの間にかどこに向かって何を頑張ればいいのかわからなくなるから。私は頑張らない、それが当たり前なの´´、その返信を読んで恵里がすぐ隣にいるような気がして心が落ち着いた。´´義手のリハビリはどう?´´以前、人影の丸茂さんから恵里がリハビリをしていると話を少しだけ知ったので聞いてみた。´´筋電義手って言うのをやってる。なんだかはじめは気持ち悪くて何度も諦めかけたけど、早く風春とも会いたいし、学校の皆とも会いたかったから我慢して付けてる。今はちょっとだけ自分の身体の一部に思えるようになって愛着が湧いてる´´、恵里に会いたいと言われ目頭が熱くなった。何気ない会話をしているつもりが、俺にとってはかけがえのない気付きを貰えた時間となった。シャドウ全滅を誓い、人影に入り、強さを磨いているつもりになっていた。今の俺はあの時と比べて別に強くなった訳ではない。人影のメンバーに会えば会うほど自分の弱さを知る。陽炎の化物に遭遇する度、鳥肌が立ち、恐れを感じる。俺はそこまで強くない。それはわかった。わかった上で、俺は、強くない俺が今出せる100%を出してシャドウを全滅させる。恵里の言葉から、俺は強くそう想うように変わった」
風春の身体は軽く、リング中央に立つ稲荷の頭上まで走り飛ぶと、右手に込めたありったけの雷拳をこめかみに打ち込んだ。
メシミシメキベキッ!!!!!!!
バゴオォオォオォオォオッッッッ!!!!!
青いコーナーリングに稲荷の身体がぶっ飛んだ。
ズダッ!
マットの上に着地した風春は臨戦態勢を変えない。
稲荷は身体のあちこちから血を流しながらもゆっくりと立ち上がる。その目には力が残ったままだった。
稲荷(心の声) 「何だ…この間とはまるで別人だな…。ガキの中で何が変わった…。覚悟ってのがついた顔だ」
マットに倒れていた玉地が軽く息を吹き返す。
玉地 「…ンン、ンンッ。…さっき見た時とはオーラがまるで違うな青年よ…ハッ、ハッ!」
玉地はマットに手を付き、立て膝を付こうとした。
稲荷(心の声) 「クソ犬が…まだ生きてたのか。…?、俺の刀が切れてる!?、んな訳ねえだろ?」
稲荷の刀から玉地の胸まで繋がる薄い刀身が焦げ切れていた。
稲荷は視線を風春に移す。
稲荷(心の声) 「コイツ、俺の刀まで壊しやがったのか」
そして、玉地はリングロープに手をかける。
玉地(心の声) 「36歳。一部では俺の引退が囁かれ、未来あるヤング世代に交代しろと噂が俺の耳にまで届くようになった。…わかってる。プロレスの門を叩いてから約20年。若い頃に比べれば筋肉の付きも、怪我の回復も悪い。そうやって自身と向き合った結果、引退して行く選手を俺はごまんと見てきた。…でも、プロレスに限っては、俺は違うと思う。むしろ、歳を重ねて衰える身体でありながら、魂はより強く若くなって行く姿を、ファンに、観客に魅せるのがプロレスラーの役目だ。…言葉で語らず、生き様で語るヒール役に、、辛くても這い上がれ。…まだやれることはある」
グゥッ……ダンッ!!
玉地はマットに力強く足を突き出し、稲荷の方にゆっくりと振り向いた。
稲荷 「ゴキブリ並の生命力だな…」
ガチャッ
その時ジムの扉が開けられ、風春達の前にひとりの女性が姿を現した。
鈴見 「いたー!、兄さんに仲間尾行させといて正解!」
風春 「…ん?、鈴見、さん?」
玉地 「鈴見?」
鈴見 「…稲荷享士朗。あの後の続きを始めようか」
右手にバニーガールの姿が付いたワインボトルを握りリングに入った鈴見。
稲荷 「……」
鈴見 「ほら、来いよ!」
稲荷 「…俺の負けだ。殺れ」
稲荷の目は鈴見に真っ直ぐと向けられた。鈴見達3人はその目に戦意が無くなったと確信した。
鈴見 「…そうか」
タ、タ、タ!
鈴見は稲荷の側まで歩み寄ると右手を鋭いナイフに変形させると左足を軸に回転しながら稲荷の両足首を切断した。
スパッ
ズルッ…ズダンッ!
青いコーナーリングにもたれ尻を付いた稲荷。足首を切断されても顔色を一切変えず一点を見つめるだけだった。
風春 「なんでやらないんだよ…」
そう言った風春は稲荷に近寄りしゃがむと白い正方形の紙を足首に付ける。
ピタッ…スゥー
紙が次第に黒色へ変わる。
稲荷 「お前ら3人を相手に戦うには分が悪い。…それだけだ。ここで命を落とす位なら刑務所で安全を確保され栄養のある食事で身体を回復する。それからお前らを殺す準備を始めても遅くない…」
鈴見 「はいはい、新井くーん!」
玉地は何かを鈴見に言いたげにもたつく間に鈴見はジム入口に向かって声を上げた。
タッタッタッタッ!
スーツに着替えた新井が中に入ってくると、鈴見がすれ違い様に声を掛ける。
鈴見 「あとはよろしくね♪」
新井 「はい」
外に出た鈴見に壁にもたれる山田が話しかけた。
山田 「お疲れさん」
鈴見 「っす!、昇給お願いしますよー」
山田 「当たり前だ、期待しとけ!」
鈴見 「じゃ帰りまーす!」
鈴見はそそくさとジムから離れていった。
新井 「玉地さんで合ってますか?」
玉地 「ん?あ、はい」
新井 「我々警察がこの近辺の警備に回っていた所、ゴミ捨て場で血まみれで倒れた男性を見つけ病院に搬送しました。このジムにいた大矢さんで間違いないかと思います」
玉地 「大矢が!どこの病院に!?」
新井 「外に車を停めてます。良ければ病院まで送りますので…」
玉地 「お願いします!」
リングから降りた玉地は新井の後に続き外へ向かった。
スッ
影移しを終えた紙をポケットにしまった風春は、ジムにひとりとなっていた。
風春 「…俺、ひとりだったっけ。…あーもー!巻さんどこだよー!」
風春は頭をかきながらジムを出ると、振り出しに戻ったと足を重たそうに動かしながら水道橋駅に戻ることにした。




