ep1.雨の街編・4話
新宿駅に降りた風春は、タクシー乗り場へと移動し、運転手に目的地である鴉山の森へと行き先を伝えた。タクシーの窓から見える景色は、人が川のように流れ、車や建物が代わる代わる風春の視界を流れて行く。上を覗けば空が狭く、高いビル達が満員電車の如く埋め尽くしていた。新宿駅を出発してから15分程、ビル群を過ぎてすぐの場所に大きな緑色の森が現れた。その森は、黒い背丈程の柵で囲われている場所があるものの、柵は所々途切れていた。運転手は目的地に着いたので何処に停車するかを聞いてきた。風春はすぐ側の信号で降りますと伝えた。
風春 「新宿にこんな大きな森なんかあったんだな。、でも、そう言えば、森の何処におっさんがいるのか聞いてなかったな」
タクシーを降りた風春は、信号を渡り森の入口らしき場所を探し歩いた。すると、黒い柵の前に近隣の地図が掲示されているのを見つけた。赤い矢印で現在地と書かれた場所を見つけ、地図をよく見ていると、今の場所からもう少し真っ直ぐ道なりに進んで右に曲がると森の入口に着くと書いてあった。風春は地図通りに歩道を直進し、右に折れる道が出てきた所で曲がった。そこには、入口を表しているのか、腰の高さ程の白いポールが1本ずつ左右に突き刺さっていた。周りを見たが、看板や地図は無く、風春はさっき見た地図は本当に合っていたのだろうかと不安になる。すると、入口の奥の方から何かの足音が近付いてくるのが聞こえた。
ザッザッザッザッ
その音は段々と大きくなってくる。
ザッザッザッ
風春 「あ!」
柳田 「やはり君だったかー。待っていたぞ」
足音の正体は柳田だった。優しい笑顔を風春に向けながら現れた。
風春 「俺、あの、化物みたいなやつを全部倒すって決めたんです。それで、あの時、おっさんも同じような化物使ってたから…」
柳田 「おいおいおいおい、風春。君まで私をおっさん呼ばわりか」
風春 「いや、すいませんっ!」
柳田 「ハッハッハッハッ!そもそも名乗ってなかったからな。私の名前は、柳田哲。この森にある家で暮らしている」
そう言って、柳田は森の方へと歩を進めて行く。風春は、話を聞くために柳田の後を追いかける。
風春(心の声) 「あれー、柳田っておっさん、喋るときこんなにゆっくり話す人だっけ?」
柳田 「眼差しを見れば分かる」
風春 「え、あ、はい?」
柳田 「さっき風春が、化物を全部倒したいと話したときのあの眼差し。力強い想いを感じたぞ」
風春 「はい。あんな思いは、もう2度としたくないです」
柳田 「うん。風春なら大丈夫だろう。この森で学ぶことは山程ある」
風春 「森で、」
柳田 「下がれぇーー!!!!」
柳田は、鋭い目付きで何かを捉え、右腕を伸ばし風春の身体を後ろに下がらせる。
風春 「!?びっくりしたぁ」
柳田が指差した方向には、木の茂みがあった。風春は、その茂みの中で何かが動いているのが見えた。
柳田 「山蛇だ、毒を持ってるぞ。森を侮るなよっ!!!」
風春は、物凄い眼力の柳田に怒号を浴びせられた。
風春(心の声) 「まだ、何もしてないのに怒鳴られたんですけど」
そして、柳田は人差し指を口に当て、静かにここから離れるぞ、と風春にジェスチャーを送った。2人が横に並んで歩ける幅の山道をゆっくり登って行きながら、柳田は話を始める。
柳田 「化物の話だが、我々はそれを´´シャドウ´´と呼んでいる」
風春 「シャドウ?」
柳田 「影から現れる化身だからシャドウ。今はそう捉えていれば良い。このシャドウと言うやつは、人間の怒りの感情に反応し、具現化をする化身。その怒りが強ければ強い程、危険な力を持つシャドウが現れる。シャドウを持った人間は、怒りのコントロールを巧みに行えるものでもある」
風春は、柳田と末好がシャドウを現して戦っていた時の場面を思い出していた。
風春 「人間の怒りに反応して現れる化物?」
柳田 「問題は、その人間の怒りを利用して、悪行を企む組織が蔓延っていると言う事だ。その組織は、´´陽炎´´と呼ばれ、橘と言うトップに立つ男と、十色と言う特別に選ばれた10人のメンバーで構成された輩だ。その全員が強い怒りの持ち主で、今も各地で被害を生んでいる」
風春 「やっぱり。悪い奴らがいるんだ」
風春は強く拳を握り、目に力が入った。
柳田 「陽炎の組織を壊滅させるべく立ち上げられたのが、´´人影´´と言う組織だ。今はひとり欠けて10人のメンバーが各地で戦っている。いずれ、風春も人影の中に入るだろう」
風春 「悪を倒す組織。俺もそこに入れるんですか?」
柳田 「わからない。だが、人影のメンバーも風春と同じくシャドウ消滅を願っていることは同じだ。シャドウが蔓延するこの窮地を打破せねばならん」
風春 「、、仲間だ。協力すれば、早くシャドウを消滅することが出来るかも」
気がつくと、風春は柳田と距離を離されていた。風春は足に力を入れて歩を早めた。森の外で感じた、じめじめとした空気とは違い、風春の頬を撫でる空気は少し冷たくて心地よかった。山道を踏みしめる足音と鳥の鳴き声以外が聞こえなくなる程、風春は森の中に入り込んでいた。上を見上げれば、木々のカーテンが太陽の眩い光を優しく和らげて届けている。風春の目には、緑、黒、茶、白等の森の色達が心地よく映っていた。
風春 「ぁああっ!!!」
足元に目が届いてなかったせいで、風春は山道の隙間にできた穴に落ちた。その穴にぴったりと仰向けでハマってしまった風春。柳田は、風春の大声に気が付き「見事にハマってるな」と声をかけ、風春の右手を掴んだ。
風春 「いててっ。ありがとうございます」
柳田 「森が風春と遊びたがっているんだ」
と微笑みながら風春を穴から抜き出した。
風春 「え」
柳田 「森人になれ風春」
風春 「え」
柳田 「ハッハッハッハッ!さあ!もうすぐ家だぞ!」
そう言って、腰脇に縛っていた黒蜜の小さなボトルを開け、原液をぐいっと飲んだ。
風春(心の声) 「もう足が棒だー。何か柳田さんおかしな事言ってたか今?、山登りで疲れすぎて、わからない」
すると、登り道が終わり平坦な場所に辿り着いた。そこは、少し開けた所で、木々が少なく空が見渡せた。そこに建つ平屋の一軒家を柳田が指差し「あそこが我が家だ」と言った。風春は初めて見る木造剥き出しの家を、まじまじと眺めながら柳田の後に続き家に入った。中はこじんまりとしており、畳のある2部屋にキッチンが別についている。電気と水道は通っているが、ガスはないらしい。ご飯は飯盒炊飯で、風呂も自火焚き。最小限の生活で事足りる、と柳田は風春に家の説明を終えると、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだ。
柳田 「風春は何歳だ?」
風春 「21歳です」
柳田 「学生か?」
風春 「正確には、学生でした。自主退学したんです。じゃなきゃこんな森の中に入れないですよ」
柳田 「そうか、お袋さんは知っているのか?」
風春 「言いました。あらそうって感じで。ウチ、早くから母子家庭で、母ちゃんがずっと働いてくれてるんですけど。大学の学費も高いのに行かせてくれて、でも、化け物、シャドウの件があってから俺、もう中途半端なことして回りに迷惑かけるの嫌だなと思って大学辞めたんです。あと1年分の学費を母ちゃんに払って貰うことが無くなったので、母ちゃん内心ホッとしてるんじゃないかな。大学辞めるって言ったときは、ちょっと複雑そうな顔して仕事に出ていきましたけど」
柳田 「風春が心配なんだろう。此処に来ることは、まだ言ってないんだな?」
風春 「まぁ、はい」
柳田 「じゃあ、お袋さんに手紙を出しなさい。モノはこちらで準備する。しばらくは家に帰れなくなる。この森にいる間は、私が責任を持って面倒を見る」
その夜、風春は柳田の作った雑多煮と白飯を食べて、風呂に入った。その後、キッチンにあるちゃぶ台に用意されていた手紙とペンの前に座り、風春はペンを手に取った。ある事情によりしばらく帰れない事、柳田という方にお世話になる事、付き合っている恵里の事を書いた。手紙に封をし柳田に渡すと、手紙の裏に柳田宅の住所と柳田の名前の横に風春の名前を添えて書いた。疲れきった風春は、柳田に布団まで連れていかれ、あっという間に眠ってしまった。
柳田 「明日の朝、私が手紙を出しておく」
そう言って暖色の光を灯す電気を柳田は消した。
・・・
神奈川県にある日本女子医学付属病院に転院の日を迎えた恵里。今日は担当となる医師と面談の為、先生の診察室に来ていた。恵里は、両親や大学の友人と相談した結果、義手のリハビリが落ち着くまでは大学を休学する事に決めていた。失った右腕付近を手で擦っていると、女性の声が天井に付けてあるスピーカーから恵里の名前を呼んだ。恵里はドアを2回ノックしてから診察室に入室する。
深田 「こんにちはー、お名前フルネームでお願いします」
恵里 「あ、松岡恵里です」
丸茂 「松岡さん、どうぞお掛けください。初めまして丸茂と言います。これからしばらく松岡さんの義手のリハビリをお手伝いします」
恵里 「はい、よろしくお願いします」
丸茂 「まずは、簡単に義手の説明をしておきますと、今は筋電義手と能動義肢の大きく2つの義手があります。私が筋電義手を専門とする理由は、能動義肢と比べると、腕の筋肉から発せられる微かな電気信号を的確に筋電義手がキャッチして手や指を動かしてくれます。長時間の手指の固定も可能ですので、本来の腕手の動きに近い成果が見られています。松岡さんのご年齢も鑑みて、筋電義手の力を借りてリハビリが楽しくなるように私としても考えながら進めていければと思います。イメージは何となく出来たでしょうか?」
恵里 「あの、そんなモノがあるとも知らなかったので。正直驚いているのと、リハビリがうまく出来るか不安だったので、今の話を聞けて少し安心しました」
深田 「大丈夫ですよー。丸茂先生は一流の先生ですからー!」
丸茂 「うん。では、これからの大まかなスケジュールを説明していきますね、」
・・・
風春が柳田の家で初めて迎える朝。スッキリと寝覚めをした風春、時計の無い部屋で今の時刻を確認しようとスマホを探す。
風春 「無い、、あれ、昨日、、最後、どこ置いたっけ?」
頭の中のメモリーを一気に遡り始めるも、昨夜は手紙を書き終えてからの記憶があやふやすぎて見当も付かなかった。
柳田 「起きたか。どうした?」
風春 「いや、スマホがなくって。ちょっと探してるんです」
柳田 「わからんなー。私は機械には疎くてな。まだ頭が寝ぼけてるだろ?、散歩に出るぞ。朝の空気は気持ちが良いぞー」
風春 「え、はい」
と言われ、渋々外に出ていくと、新鮮な森の空気が風春の鼻に吸い込まれて行く。相変わらず、柳田はサクサクと風春の前を歩いている。歩きながら風春は、スマホの行方に探りを入れる。気持ちの良い森の世界とは裏腹に、風春の心はモヤモヤが溜まっていた。
柳田 「風春。人間の怒りの種類って言うのはな、この森にある動植物の数程あると思っていい。つまり、現れるシャドウも様々だと言う事だ」
風春 「あ、、はい」
柳田 「大切なのは心の鍛練。はじめに心を強く鍛えれば、シャドウを扱う技術、戦いに耐えうる肉体は自ずと身に付いてくる」
風春 「いやー、そうですよね」
柳田(心の声) 「やはり、さっきから私の話を聞いていないな。原因はスマホが無いからだろう。それだけ、スマホに依存をしていると言う事だ。昨夜、私がこっそりと風春のスマホを預かっておいた。心の鍛練において、邪心となるスマホとはここで離れる必要がある。朝は己の心を見つめる時間。悪く思うなよ」
風春(心の声) 「何でスマホが無いだけでこんなにソワソワしてんだよ。恵里とも連絡とれないし、ゲームも動画も全部スマホの中に入ってる。そもそも何で母ちゃんに手紙書いたんだよ、スマホ使えばすぐ終わったのに。柳田さんの家にゲームもパソコンも見当たらなかったしなぁ。ハァー」
ドンッ!
風春は、大きな何かにぶつかった。それは、直ぐに柳田の背中だった事に気づく。上の空で散歩していたせいで、前が見えていなかった。
柳田 「風春は此処に何をしに来た?」
風春 「え、散歩をしに」
柳田 「違う。この森に来た理由だ」
風春 「それは、シャドウを全て倒すために」
柳田 「その目的を果たそうとする男が、スマホ1つに、いとも簡単に心を乱されているのでは話にならん。この森から出て行け」
風春は、柳田の言葉に気付かされる。スマホが無いから何だと言うのか。別に死ぬ訳ではない。シャドウは放っておいたら怪我人どころの騒ぎではなくなる存在で、恵里は今も治療に専念しているんだ。
この森に入ってから一晩が経って、本来の目的を持つ風春の心が、何故だか離れてしまっていた。
風春 「すいません!、余計な事で気を取られて、バカでした。気を付けます」
柳田 「一瞬の心の隙が命取りになる。2度目は無いからな。もう少しで薪割りをする場所に着く。束ねてある薪を持って家に戻るぞ」
風春 「はい!」
柳田と風春は、柳田宅からさらに上に登った山道の先にある小さな小屋に到着した。そこには、割られた薪が針金で丸く束ねられていた。その丸い束は、トタン屋根の下に綺麗に山積みにされていた。柳田は、その丸い束を両手に2束ずつ持って行った。風春は、軽々と持って行く柳田の姿を見た為、自分も同じ数を持とうとしたのだが。風春は、両手で1束持つのが精一杯だった。
柳田 「ハッハッハッハッ!1束しか持てないか。そうだろう、1束5キロはあるからなぁ」
風春(心の声) 「きっ!、指が千切れる!」
・・・
それから風春は、森に籠りきりで様々な作業を行う。薪運びに加えて、薪割りの作業では、柳田が用意した栗の木を割る事になるのだが。栗の木はとても硬く、重たい斧でも中々割れない。栗の木割りと薪運びで腕を酷使した後、風春を待っていたのは、柳田が作る畑の野菜達の収穫作業。美味しそうに実る野菜は、風春の胃袋を刺激するのだが。薪割りの作業がちゃんと終わるまでは食べさせてくれなかった。そんな中、空腹に我慢ならない風春は、柳田の目を盗んで畑の土を少々頂いていた。
モフモフモフ
風春 「うん、、案外うまいぞ、、」
山道の移動に加え、畑作業で1日の体力を使いきり、夜は屍の様に布団に倒れ込む風春。だが、すぐには中々寝付けなかった。風春にはその理由が全く分からない。それもそのはず、柳田が部屋にあるエアコンの温度調節や魚の干物を焼いた匂いを部屋に送り込むなどをして、風春の眠りを阻害していた。
風春が柳田のもとで住み込みを始めてから2週間が経とうとしていた。
トン。ヒュッカンッ!、トン。ヒュッカンッ!
柳田は割れた薪を針金で丸く束ねていた。
柳田 「うん。木を割る音が綺麗になってきた。リズムに乗ってる」
トン。ヒュッカンッ!トン。ヒュッカンッ!
風春は、栗の木を切り株の上に置き、斧を振り上げ、真っ直ぐに振り下ろす。ほとんど不眠不休の風春は、ギンギンの目を見開いて、栗の木を見事に真っ二つに割る。
柳田 「風春!今日はもうそこまででいい。先に家に戻って休んでていいぞ」
風春 「、、はい」
身体的疲労がピークを越え、気力でここまで繋いできた風春。柳田が初めて、作業の途中で休みを取らせてくれた喜び。よりも、家に戻ってちゃんと睡眠出来るのかが不安で、よくわからなくなっていた。
ゴロゴロゴロー。
黒い雲がいつの間にか山の上から顔を覗かせていた。風春は家に向かう為、森の中に入って行く。柳田は薪を束ねながら空を見上げる。
柳田 「雷雲か、私もここら辺で切り上げるか」
風春は、森の中を進みながら、こんな状態であのシャドウと呼ばれる化物を倒せるのか。と心の隅から疑問が湧いてきた。腕っぷしが強い訳でもなく、些細な事でイライラして、そんな自分を不甲斐なく思い始める風春。恵里に誓った言葉が、今では遠い記憶のようにさえ感じていた。強く斧の柄を握っていたせいで、じんじんと両手が痛む。風春は太い木の側で立ち止まり、痛む右手を握り締めた。心に沸いてくる様々な不安を、拳で握り潰すように強く握る。
風春 「んぁあああああーーーー!!!!」
右の拳を、思い切り側にある太い巨木にぶつけた。その瞬間、風春の背筋に電撃が通った。
バキバキチキィイイイィイイイン!!!!
柳田 「うぅおぉう。落雷。、、風春が帰った方向じゃないか」
柳田は、作業を取り止め、早足で風春の方へと追いかけて行く。
柳田 「やはり、こっちで落ちたか。焦げ臭い」
森の中の道を進む柳田、雷が木を焦がした香り、白いモヤが柳田の視界を悪くしていた。すると、白いモヤの中に、黒い影の様なモノが映って見えた。
風春 「、、ぅうぅうう。頭が、、ボーッとする、、」
柳田 「風春。それがお前のシャドウか」
風春 「ん?、柳田さん。、え、俺のシャドウ?」
すると、風春は何か強い気配を背後に感じ、後ろに振り向いた。そこには、風春の身長よりも高い、180cm程で髪を棚引かせ、ハチマキをしたボクシングスタイルのシャドウが立っていた。
風春 「ぉおぉおぅ」
柳田 「風春、シャドウの名は何だ?」
風春 「シューズ・ナックル。、、え?何で急に名前が?」
柳田 「ほう、シューズ・ナックル。それは風春の潜在意識がシャドウに起因しているからだろう。大丈夫だ。素晴らしいシャドウの姿じゃないか、風春はボクシングでもやっていたのか?」
風春 「潜在意識。、あ、いや、うちのじいちゃんがボクシングのジムをやっていて。小さいときは遊びでちょろっと」
柳田 「そうか。とにかく、早く家に戻ろう。今日は嵐が来るかもしれないぞ」
その夜、柳田の予想通り嵐がやって来た。柳田宅のあちこちで壊れそうな程の強い音を立てていた。
翌日。青い空には、白い雲が風に流されて泳いでいるようだった。嵐は過ぎ去り、朝の散歩に出かける柳田と風春。山道を歩きながら風春は、少しずつ身体の変化を感じていた。いつもよりも敏感に、森を見る、音を聴く、森を嗅ぐ、森に触れる。森を1ミリ単位で味わうかの様に、風春は森を感じていた。
森が人に与える影響は計り知れない。免疫細胞の増加、生物多様性の享受、災害・温暖化の防止、資材供給。柳田は、この森を作り、徐々に規模を拡大していた。
もちろん危険な所も森には多々あった。その度に驚き、柳田に叱咤された。蛇、蜂、毒蛾、毒キノコ、トリカブト、地滑り、穴、沼、落雷。風春は、昨夜の出来事を思い出していた。巨木を殴った瞬間、一体何が起きたのか。まだ指先に痺れが残っていた。おそらく雷に撃たれ、何故か死ななかった。風春は、そう感じざる終えなかった。
風春はこの森から少しは学ぶことが出来ただろう、と柳田は思っていた。風春に必要なのは、心の鍛練。特にシャドウを扱う場合、怒りのコントロールが必要不可欠。いかなる状況にも屈せず、乱されぬ平常心を作れるよう柳田なりに試練を与えてきた。
柳田(心の声) 「最近、子熊を連れた親熊達を見かけないな。エサ場でも変えたのだろうか」
嵐の後の生ぬるい空気が柳田の頬に当たる。柳田が散歩はこの位にして家に戻ろう、と風春に声を掛けようと振り返ると、風春の姿が消えていた。
柳田 「風、ん?、風春!」
柳田が周りを見回し風春を探すと、歩いてきた山道から脇に逸れた木々の中に立つ風春を見つけた。
柳田 「風、、熊だ。、、子連れの親熊。あれは雌か、、感染していたのか?シャドウが出てる、、気を付けろ風春」
風春の前方では、体長2メートル程の熊が短い草葉をクンクンと嗅いでいる。風春は、柳田の後ろから山道を歩いて行っていたのだが、ふと脇に目線を移した時。熊とその影からもう一頭の熊の形を現したシャドウを見つけ、熊の方へと自然に歩き出していた。
風春 「様子がおかしい。あの影はシャドウの姿で間違いない」
熊は風春の方へ顔を向けた。口からはよだれを垂らし、後ろに現れるシャドウが威嚇の咆哮をあげた。
ガォオオウゥルルッ!
風春 「シャドウは動物にも現れんのかよ。俺のシャドウの力、試させてくれよ。シューズ・ナックル!!」
風春の掛け声で現れたシューズ・ナックル。既にファイティングポーズで熊を睨み付けている。すると、木々の向こうにいる熊が猛スピードで風春に向かって走ってきた。
風春 「挨拶は、、右ストレート!!」
バゴォッ!!
熊の顔面を狙ったシューズ・ナックルの拳は、熊の左手で押さえられるも、それを押し込んで顔面にめり込ませる。熊の後ろから、すかさず熊のシャドウがシューズ・ナックルの頭に噛み付こうと飛びかかってきた。
風春 「しゃがんで、斬拳!!!」
ガウウゥルッ!、ブゥンッ!ズバンッ!!
熊のシャドウの噛みつきに気付いていたシューズ・ナックル。すぐに上体を落とし、左拳でフックを振り切ると黄色い斬撃が放たれ、熊のシャドウの両足を切り落とした。
バッタァアンン!!
熊はゆっくりと草葉の上に倒れ込んだ。風春は、熊の側まで近づき息があることを確認した。
柳田 「よくやった。シャドウを倒したら、次に´´影移し´´をする」
風春 「´´影移し´´?」
柳田は風春の目の前で正方形の白い紙を出し、倒れた熊の影に落として見せた。すると紙が徐々に黒く染まり始め、真っ黒になったのを見計らい回収した。
柳田 「この一連を´´影移し´´と言う。覚えておけ」
風春 「はい。、シャドウは動物にも現れるんですね」
柳田 「あぁ。シャドウはウイルスに起因しているからな。この熊は親熊なんだ、ここ最近心配だったんだが、感染していたんだな。事態は知らないうちに深刻になりつつある」
風春 「シャドウがウイルス…って事は、柳田さんも俺もウイルスに感染しているって事ですか?」
柳田 「詳しくは感染していた。となるか。シャドウは操る者の心によって脅威になり得る」
柳田は倒れた親熊を慈しむ様に視線を送った。
柳田 「家に戻ろう」
風春 「、、はい」
・・・
柳田は、コーヒードリッパーに心を込めて湯を注いでいた。布団で寝ている風春は、柳田の淹れるコーヒーの香りで朝の目覚めを迎えた。森の中でシャドウを出現させた熊と戦った風春は、その翌日、シャドウを使った反動で丸1日身体が動かせなかった。そして今朝、布団から出て来た風春は、柳田から淹れたてのコーヒーを受け取った。
ぁあぁ。良い香りだ。朝に頂くコーヒーは、身体と心を芯から癒してくれる。と柳田は自分で淹れたコーヒーを一口飲んで昇天していた。
柳田 「風春。明日から街に出て´´陽炎´´の輩どもを倒しに行くんだ。まずは、吉祥寺にいる眼帯娘と合流しろ」
風春 「吉祥寺。誰ですか眼帯娘って?」
柳田 「新井雫。右目に黒い眼帯をしている。人影のメンバーだ」
風春 「新井、雫」
・・・
翌朝。風春は柳田に呼ばれ、柳田の部屋に入った。
柳田 「その格好で戦いに行くのでは心もとないと思ってな。私が手染めで作ったコレならしばらくは使えるだろう」
柳田から手渡されたのは、濃い青色の布とズボンだった。試着を柳田に促され、風春は履いていたズボンを脱いで手染めの長ズボンを履いた。
柳田 「ぉお。ぴったりじゃないか。後はこのプロテクターを膝から下に当てて、紐が付いているから、後ろに通して前でクロスしたら足首の後ろで縛る」
風春は柳田に言われるがまま、黒いプロテクターを長い紐で足に装着した。さらに、スカイブルーのマスクを渡され、特殊加工が施された布を使っているから、シャドウが現れた時に付けなさいと柳田に言われた。そのスカイブルーのマスクは、所々に緑色が淡く滲んでいた。
柳田 「最後にこれだ。拳を守るバンテージに似せて、この布をきつく巻き付ける」
そう言って、柳田は風春の左手を濃い青色の布で拳から手首にかけて丁寧に巻いていく。左手の巻き付けが終わると風春は、柳田の指示に従って、自分の右手をもう一枚用意された同じ色の布できつく巻いて行く。
柳田 「風春、実は昨日、お袋さんから風春に手紙が届いてな」
風春 「、母ちゃんが!?」
柳田 「表書きに私が先に読んでから、風春に言伝てするよう書いてあったから、先に私が中身を確認した。お袋さんからはな、月に1回家に顔出しに来なさい。それだけ伝えてくれと書いてあった」
風春 「母ちゃん。、、ありがとう」
柳田 「あと、新しい手紙と切手。それに、彼女さんが入院している病院の住所。この袋に入れてある。持っていきなさい」
風春 「え、何で柳田さんが知ってるんですか?」
柳田 「細かいことは気にするな。さあ行こう!私も別方面の´´陽炎´´を探しに出なくてはならん」
風春 「あ、はい。ありがとうございます」
柳田 「何かあったらいつでもこの森に来なさい。鍵は開けておく。まぁ私がいるかはわからんがな。ハッハッハッハッ!」
風春は、ちゃんと柳田に感謝を伝えられないまま、背中を押され烏山の森を後にした。柳田に言われた眼帯娘と合流する為、風春は電車に乗り吉祥寺駅へと向かう。その車内で風春は気付く。柳田特製の服を全て装着したまま来てしまっていた。風春と同じ車内にいる女子高生2人組がクスクスと笑い声を出していた。
女子高生 あけみ 「え、あれコスプレかなぁ?」
電車のドア付近に立つ風春の方を女子高生のあけみが見ながら、隣に座るなおみに声をかける。
女子高生 なおみ 「マジだ。今日どっかでコスプレのイベントやってんじゃね?」
女子高生 あけみ 「なるほどだー。うける、写真撮っとこ」
女子高生のあけみは、ドアの窓から外を見る風春に向かってスマホを向けて写真を撮った。
カシャッ!
風春(心の声) 「恥っずかしい!」