ep1.雨の街編・3話
柳田は、鴉山の森を歩いていた。その道中、昨日、末好の影から嗅いだ香りの中に潜む末好の記憶を思い出していた。
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末好は、ビルや商業施設の清掃員として働いていた。6月頃を迎えると、現場のあちこちで巣作りを始めるツバメ達を見守ってきた。ある時、仕事の帰り道、高速道路の下の道を通ると、そこにツバメが巣を作り子育てをしていた。だが、その巣を目掛けて小学2年生程の少年が道に転がる小石を投げていた。末好は「こら、危ないだろ!巣が壊れちゃうよ」と注意する。と末好の後ろから買い物袋を握りしめたその少年の母親が「勝手に先に行かないの!おじさんに変なことされなかった?」と末好を嫌なものでも見るように一瞥した。別に変なことなど言っていないのだが、端から見たらそう思われるのかとため息をついた。少年は「石で遊んでただけ!」と母親に声を飛ばし、最後に末好に向かってあっかんべーをしてから走って行った。ぽつんとひとり残された末好は、上を見上げツバメの安否を確認した。
末好 「巣がちょっと崩れてるか、でもツバメは大丈夫だな」
今の親は、状況理解能力が低いのかと、怒りよりも呆れてしまった末好は、自分のお腹が鳴った事でふと晩ごはん何を食べようかと頭が切り替わった。変な気持ちをスッキリさせたく向かったのは黄色い看板の豚トコトンだった。
中森 「うーん、困ったなぁ」
と豚トコトンの店長の中森は、暖簾を掛けながら黄色い看板裏に作られたツバメの巣を見ていた。
中森 「ここに巣作られちゃうと、羽だの糞だのが落ちてきて衛生的にもあぶねえよなー。ましてや入口だし、、しょうがねえな、、壊すか」
そう言って、中森は店の裏から長い竹ホウキを持って店先に戻ってきた。すると、ちょうど豚トコトンに到着した末好が、看板の下に立ち、ツバメの巣を見上げていた。
中森 「あ、いらっしゃいませ!どうぞ中へ」
末好 「ねえ、このツバメの巣、どうするの?」
中森 「いやぁね、ここに巣作ってもらうとこっちもお客さんも困るんで、このホウキで壊そうと思ってたんですよ」
末好はそれを聞き、鼻からため息を吐いた。
末好 「自分の住む家が、誰かに勝手に壊されたらどう思う?」
中森 「でも、ここだと糞とかされちゃって衛生的にも良くないんですよ。あと、」
末好 「脚立ないの?」
強い口調で中森に聞く。
中森 「え?まぁ、ありますけど」
末好 「持ってきて、ツバメの巣移動させるから。あれば軍手も」
中森は末好を見てから店の中に入り、少ししてから軍手と脚立を持って出てきた。
末好 「今日中には返す。しばらくコレ借りるよ」
と言い末好は脚立を立てて軍手を付ける。タイミングが良く、今は親ツバメはいなかった。余り遠くへ移動させると親が見つけにくいだろうと思い、なるべくお店から近い場所に公園や木々がないか探した。これが案外見つからず、店から10分程歩いた場所に小さな公園を見つけた。末好は走って店まで戻り、ツバメの巣をやさしく看板裏から取り外した。危険を察知した子ツバメ達は精一杯の鳴き声を上げる。末好は子ツバメ達に「よしよし」と声を掛けた。末好の頭のなかには、ツバメの事など気にもしない少年と母親、豚トコトンの中森の行動が再び過る。自分よりも身体の小さい生き物に、浅はかな知識しか持たずに接する人間に怒りを抱いていた。
末好 「同じ命じゃねえか」
人気の少ない公園だった。末好は脚立を立てて、目立たない木の窪みにツバメの巣を取り付けた。軍手で脚立を持って店に持って行く途中、末好の影からは黒く揺らめくモノが現れようとしていた。
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柳田は自宅に到着しドアを開ける。
柳田 「優しい心を持っていれば、必ずまたやり直せる」
柳田は足を玄関の段差に引っかけて「おぉうっ」と声を出した。
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風春は、昨日起きた出来事が何度も頭のなかで再生されていた。恵里は、右腕の治療の為、都内の総合病院に入院した。風春も警察の車で病院まで恵里と一緒に行けたのだが、コロナの関係で患者以外は病室に行くことを許されなかった。恵里に後で連絡すると伝えて家に帰ると、風春はベッドの上でずっと考え事をしていた。あの化物は一体何なのか、何故恵里には化物が見えなかったのか、ツバメの化物を倒したあのおっさんも同じような化物を使っていた。化物にも良いやつと悪いやつがいるのか。と言うことは、間違いなく化物は一体だけではなく他にも存在しているのか。
風春 「俺に、出来る事…」
風春は2度と自分や恵里と同じ苦しい思いを、他の人には絶対に感じて欲しくないと強く思った。ふと、柳田に言われた言葉が頭を過る。「鴉山の森で待ってる」
風春 「ちゃんと伝えよう」
と言って風春は、電車とバスを乗り継ぎ、恵里が入院する病院へ向かった。受付で面会は親族の方もお断りしています、と眼鏡を掛けた女性に言われた。だが風春は、今伝えなければいけない大事な用があると強く受付の女性に申し出をした所、特別に10分だけ面会の許可が降りた。
コンコン
恵里の病室の扉をノックする。中から返事はなかったが、風春は引戸を左に押して「恵里?」と声を掛けた。
恵里 「え?、風春?」
驚いた声が静かな病室に響き、風春はベッドの上に長座する恵里と再会した。恵里の手には編み物道具とライトミント色の毛糸が膝に乗っかっていた。
風春 「特別に10分だけ面会時間もらった」
恵里 「ありがとう。暇で暇で、ほら見て!片手で編み物出来るようになったんだけど」
恵里は明るい表情で風春に手編みを自慢する。しかし、風春はどこか浮かない顔で生返事をした。
風春 「おー。腕は、大丈夫?」
恵里 「今はね。でも、神奈川にある大きな病院に転院だって」
風春 「そうなの?なんで?」
恵里 「そこの病院は、義手の取り付けとかリハビリを丁寧に診てくれる病院だから、まだ若いし義手にチャレンジしてみないかって」
風春 「義手か。でも出来たら凄いね!」
恵里 「うん、、でも風春とは遠くなっちゃうし。コロナで面会も出来ないから寂しいは寂しいよ」
風春 「うん、、実はね、恵里に伝えたいことがあって来たんだ」
恵里 「え、なに?」
風春 「昨日あんな事があって。もう2度とこんな思いをしたくない。恵里には見えてなかったかもしれないけど、俺にははっきりと化け物が戦ってる姿が見えたんだ」
恵里 「そう言えば、あの時も風春、化け物って言ってたね」
風春 「うん。あの助けてくれたおっちゃんが化け物について何か知っているみたいなんだ。だから、これから話を聞きに行こうと思う」
恵里 「待って。風春が化け物に近付いて怪我するのは嫌だよ」
風春 「俺が嫌なんだ」
恵里 「え?」
風春 「俺はもう、恵里が傷付くのを見たくないし、恵里みたいな思いを他の人にもして欲しくない。だから、今の俺が何が出来るか分からないけど、あの化け物は俺が全部倒すって決めたんだ」
風春 「だから、大切な人を、守りたくて。でも巻き込みたくなくて、、」
風春 「恵里、俺達、別れよう」
恵里は、真剣な眼差しで風春が話をしてくれていると感じ取った。だけど、別れると言う言葉を聞いた途端、両目から熱い涙が溢れてしまった。
恵里は風春が優しい想いで離れる事を選んだんだ、と頭では理解出来ていても、心が風春から離れられなかった。恵里は女が男を一番困らせる涙を流している自分に腹が立った。
恵里 「ずるいよ」
風春 「、、ごめん。もう行かなきゃ」
恵里 「どこに行くの?」
風春 「鴉山の森。あのおっさんが居るらしいんだ」
黙る恵里を見て、風春は病室を出ようとする。恵里は膝に掛けていた薄いタオルケットで涙で濡れた顔を拭く。
恵里 「倒してよ」
風春 「え?」
恵里 「私には、風春の言う化物は見えなかった。でも、私の腕を奪ったのは化物だって事は理解できる。だから、化物が他にもいるんだったら全部倒して」
風春 「わかった」
恵里 「そしたら、、私と結婚して下さい」
風春 「え?、、次いつ会えるか分からないし、何が起こるかもわから」
恵里 「わかってる!、待ってるから、、どれだけ待たされたって風春の事が好きなの。でも、早く倒して迎えに来て」
風春は、恵里に近寄り、お互いマスクをしているので大丈夫だろうと思い、マスク越しにキスを交わした。風春は恵里に「またね」と言葉を残して病室を出た。
引戸を出ると、看護婦さんが廊下に立っていて「時間ギリギリです」と言われ、風春は深くお辞儀をした。病院を出てからスマホを見ると、時刻は13時30分だった。地図アプリを開いて「鴉山の森」と音声入力すると、赤いピンが地図上に表示された。
風春 「新宿か」
風春は強い眼差しで顔を上げ、
駅までバスで戻り、風春は電車に乗った。