ep3.時の天秤編・8話
風春達が熊鉢との戦いを終えてから3日が経っていた。
巻 「……おおぉ…イカチー(いかつい)絵だな…」
巻は目の奥を光らせながら何かを見つめていた。
蔵屋はホテルの大広間の一室を借りて作品を制作していた。ここのホテルの支配人が、蔵屋の作品に興味を持ち気に入って、今回ホテル創業30周年の式典に展示する作品依頼を蔵屋に申し出ていた。
蔵屋 「……よしっ……出来た」
蔵屋は最後の一筆を作品に描き入れると、大きく口から息を吐き、作品を全体的に確認するために後ろに下がった。
ダンッ!
あぐらをかいて蔵屋の墨絵を見ていた巻が、突然座っていた畳を叩いて立ち上がった。
巻 「ちょっと待っててくれるか?今からハルにも見せてやりたいから連れてくる」
蔵屋 「…はい」
・・・
その頃。風春は緊急搬送された病院の個室に横になって寝ていた。風春が受けた傷は、火傷と胸部を中心とした深い傷、内臓部分にまで傷を付ける程の損傷だった。だが、入院後の回復力は医者も驚く程で、一般的な検知では予想も出来ない早さで傷が治癒していた。
ガッ、ガタンダダッ
誰かが看護婦さんに院内は走らないで下さいと注意される声と、風春のいる個室の引戸が大きな音で開けられた。その音に反応した風春は約3日ぶりに目を覚ました。
風春 「…ん、身体が、、重た」
風春は少し頭をあげるとすぐに身体の重さに耐えられず枕に頭を預ける。ゆっくりと目を開けると、ぼやけた視界の中に、誰かの顔が近くにあることに気付いた。
ハァ、ハァハァ
巻 「ハル!行くぞ!お前に面白いもん見せてやる!」
息を荒らげながら笑顔を風春に向ける巻。
風春 「…巻さん?…ちょっと今、動けそうになくて…って!?」
巻 「しゃあねぇ!それなら俺がおんぶして連れてく!」
巻は横になる風春を無理矢理引き起こしてベッドから担ぎ病室から飛び出した。
巻 「そうだハル!病院前にタクシー呼んでおけ!」
風春 「いやいや、手ぶらですって」
巻 「ははッ、そうか!まあいいか!」
風春(心の声) 「いやよくないって、これ後で病院に戻ってくるパターンじゃん」
・・・
巻と風春は病院からタクシーに乗り、蔵屋のいるホテルまで10分とかからずに到着すると、巻は風春を掴んで一直線に大広間まで連れてきた。
風春 「床がふかふかだ…おっ、畳だ。井草の良い香りがする」
風春は巻に掴まれながら大広間までの道中、下を向きながらホテルのふかふかの廊下や大広間の明るい光を浴びた畳の香りを感じていた。
巻 「ハル、着いたぞ。顔上げろ」
風春 「…え?」
3日ぶりに起きて、だらけきった身体のまま連れてこられ、何もわからずに風春の視界に映ったは蔵屋が描いた墨絵の世界だった。大広間の奥にあったのは、幅6メートルの間に設置された襖がズラリと並んでいた。その襖の表面は少し黄金色に色づき、襖の上から荒々しい筆使いで走る墨達。風春から見て右側には風神、左側には雷神が襖を跨ぐように大きく描かれていた。
巻 「どうだハル…凄いだろ?」
風春は視界の隅に立つ蔵屋の存在に気付いた。
風春 「もしかして、この絵って」
巻 「そうだよ、、えっとあんた名前何だっけ?」
蔵屋 「…あ!、蔵屋です」
風春 「蔵屋さんの絵。…なんか風神雷神の目をじっと見つめてると、何て言うか、ちょっと動いている様に見える」
蔵屋 「…わかりますか。…これが僕にも理由がわからなくて」
巻 「いいじゃねえかよ、わからなくても。この絵が凄いってのが伝われば」
襖に描かれている風神と雷神。その目を見つめると、身体や衣、気配の様な筆のラインが少しだけズズッとブレる様に動く事があった。
グウゥーーーー。
風春 「…腹減った」
巻 「たしかに。病院食じゃ腹持ちしないべ(笑)」
風春 「いや、そもそも食べた記憶すら無いっすよ」
巻 「わかった。俺が飯奢ってやるよ」
風春 「巻さん優しいー」
蔵屋は自分で描いた襖の墨絵を眺めながら口を開いた。
蔵屋 「僕は今回の一件で、改めて自分のやりたい事がハッキリとわかりました。僕は一生、表現者になりたかったんです。金や権力、富を得ることを目的とせずに。ただがむしゃらに自分が表現したい方法を模索し葛藤を繰り返しながら生きることが、僕にとっての幸せなんだと感じました。だから、刑事さんも含めてあなた達のおかげで気付けたとも思っています。感謝します」
風春 「……」
風春は蔵屋に何と言葉を返して言いか頭の中で考えていたが、結局言葉にする事が出来ずに沈黙が生まれてしまった。
巻 「また強ぇ奴が出てきたら俺達に連絡してくれ」
蔵屋 「わかりました」
巻 「ハル。太田って刑事からの伝言で、足立区に行ってくれってよ!どうやら強ぇ奴等がいるって話だ」
風春 「足立区すか」
巻 「行くか。じゃあ!」
巻は蔵屋に手を挙げて、風春はペコッと頭を下げてホテルの大広間を出ていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人気の無い山奥の中。山合を流れる川上からは大きな滝が滝壺に激しく落ちる音が響き渡っていた。
ザザザアアァ、ザアアァ、ザザアァ
ドドドドドド、ドドドド、ドザザアアァ
滝の高さは10メートルあり、上から流れ落ちる川水は大きな石の上に座る柳田の全身にも激しくぶつかっていた。
ドドドザザアァ、ドザザザザアアァ!
柳田 「ふんっ、、はああ!」
ザブウゥンン!
白い柔道着に似た服を纏う柳田は、瞑っていた目を開き、声を上げると石の上から滝壺へと飛び込んだ。激しい水流でえぐられた滝壺は水深が4メートルにもなり、泡を巻き込みながら柳田の身体を容易に受け入れる。柳田は滝壺の中へ深く潜った後、ゆっくりと水面へ上り大きな石が転がる川の脇へと上陸した。逞しい髪をかき上げて腰に結んでいた黒蜜のボトルを掴むと、キャップを開きボトルを握り潰さんばかりの握力でグイッと絞り口の中に放り込んだ。
柳田 「ん…ん~~ん………熱い」
空から注ぐ日差しを見上げる柳田の口元からは、ほんの少しだけ黒蜜が顔を覗かせていた。
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日本女子医学付属病院にある丸茂の研究室では、電気が消され真っ暗な部屋でプロジェクターに映された顕微鏡の映像を丸茂は確認していた。
丸茂 「今日は風春君の血液反応を見せてもらうよ。シャドウに対して血液細胞がどんな動きを見せるかな、と」
プロジェクターに映るのは、緑色でアメーバ状の組織と赤色で小さな丸い形をした組織が分布している。すると、点々と存在している赤色の組織に、緑色の組織がゆっくりと近付くと、赤色の組織が緑色の組織に取り込まれ、赤色が消えて緑色の組織だけになってしまった。
丸茂 「…うん。風春君も人影の皆と同じく第一段階はクリアだ。ただ、このシャドウのやっかいな所は、潜伏期間が1週間から10日間あると言う事。組織が壊されないことを期待しているよ」
深田 「コンコン」
その時、暗い研究室の扉の向こうから深田みくるの声が聞こえてきた。
丸茂 「はーい」
深田 「アイスバウムクーヘンの準備が出来ましたよ先生ー!」
丸茂 「そうだった、頼んでた頼んでた。今行きまーす」
丸茂はプロジェクターの電源をオフにして研究室の扉まで小走りで向かった。




