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帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜  作者: 長月京子
第八章:婚約披露の代償

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40:最後に呼ぶのは

 諦めないともがいて身を起こすと、男の冷たい視線がこちらを見下ろしていた。身を屈めると手加減なくスーの頬をつかむ。


「大した気力ですね、王女。もう気を失った方が楽ですよ」


 スーは男を睨み返す。化粧をした男の顔は女性と見紛うほどに可憐で美しいのに、嘲笑うかのような目元には酷薄さ浮かび上がり、スーに恐怖を植えつける。


(ルカ様……)


 シャンデリアの下を這うように広がった血溜まりが脳裏に蘇って、さらにスーの絶望が深くなる。

 体中から恐怖が競り上がって、無意識に震えていた。恐れでかみ合わない歯がカチカチと鳴っている。


「無駄に足掻かず、もう眠ってください」


 殴られるのかと思ったが、男はスーの顎をつかみ突然唇を重ねた。


「っ!」


 スーは咄嗟に歯を食いしばって逃れようとするが、身体中が痛みに悲鳴をあげている。固く拘束するように抱きすくめられて、もがいても男の腕はびくともしない。何のために自分に口づけをするのかわからずにいたが、スーはぎくりと口づけの意図を理解した。


(息が……)


 鼻は男の頬でぴったりと塞がれ、口も塞がれている。このままでは窒息する。


(息ができない!)


 力の限りもがくが、男の力は緩まない。


(苦しい!)


 耐えきれないと思った瞬間、男がふっと唇を離した。スーが空気を求めて口を開いた瞬間、男は見計らっていたように、ぬるりと舌を差し込んでくる。口内に苦いものが充満したが、スーは大きく呼吸した勢いで吸い込んでしまう。


(しまった……!)


 気管への誤飲で激しくむせながら、男から流し込まれたものを弾みで嚥下する。

 スーは解毒薬を持たされたことを思い出したが、ぐらりと急激に世界が遠ざかった。


(ダメ、いま気を失ったら)


 気を失ったら、そこで全てが終わってしまう気がした。


「強情な方ですね。眠ってください。効用に抵抗しても苦しいだけです」


「……いったい、何のために?」


 何のために自分を連れ去ろうとしているのか。睨んでいると、男が小さく嗤う。


「さぁ。皇太子との不仲説になるのか、サイオンの王女は淫乱であるという噂になるのか。その美貌であれば後者の方が説得力が増すかもしれませんね。いや、もしかすると自ら美しいあなたを欲しがるのかもしれない。どちらにしても、あなたは皇太子とは別の誰かの子を孕む。帝国には、その結果がもたらすものを望む者がいるのです」


 スーの視界が色褪せて、狭窄していく。


「あなたに罪はないが、これが実情のようです」


(では、きっとルカ様は無事なんだわ)


 ルカに何かあったのであれば、自分を連れ去る必要もなくなるはずだ。


「でもご安心ください、サイオンの王女。あなたが誰の子を孕もうと、面倒を見てくださる方がいらっしゃいますので」


 ルカの無事を予感して一筋の気力が蘇ったが、男の示す未来を思い、すぐに心が絶望に沈む。


(でも、このままでは……)


 救いのない未来が待っている。


 本当に男の示唆する道を歩むのだろうか。政略結婚で幸せになろうと思ったことが、すでに間違いだったのか。

 強引に仕組まれたとしても、男の言うような不義が成立すれば、もう二度とルカには会えないだろう。ルカだけではない。


 ユエンにもオトにも。サイオンの家族にも、王国の人々にも。

 スーは誰にも顔向けできなくなってしまう。


「……ルカ様」


 悔しい。そして、とても恐ろしい。


 絶望が競り上がって、抱えきれなくなる。許容を超えてしまった恐れが溢れ出て、視界がつんと込み上げてきた熱に揺らめいた。あっという間に世界がにじむ。堪えきれず、ボロボロと涙が溢れた。


(怖い……)


 張りつめていた虚勢も限界だった。スーの心が一気に崩れる。


「う、……」


 嗚咽が漏れた。怖い。怖くてたまらない。

 眠りたくないと抵抗しても、すうっと血の気が引くように目の前が暗くなる。意識が遠ざかり、引き込まれていく。


「ルカ様――」


 気を失うまぎわ、暗転する世界の中で怯え、涙に暮れながら、スーは懐かしい声を聞いた。


ーーおまえ、天女を泣かせたね。

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