102:突然の不調
ルキアが目立たないように大広間への扉を開いた。本日の主役はレオンであり、ルカの立ち位置は賓客に等しい。レオン以上に目立つことは好ましくなく、誰もがそれを心得ているはずである。
ルカ達も他の招待客と変わらない様子で広間へと歩を進めた。
皇家の婚約披露は大広間で行われる披露宴の前に、婚約する二人が皇帝の御前に挨拶にうかがう。その儀式のあとに招待客に披露されるのだ。
皇太子であっても第二皇子であっても、その成り行きは同じだった。
レオンと婚約者となる伯爵家の令嬢はまだ皇帝の御前である。招待された者は儀式後にやってくる二人に、すみやかに祝福がおくれるよう前もって王宮につどっておく。
大広間には会食の用意が整っており、あつまった者たちが立食を楽しみながら、輪を作って歓談している。ひときわ人の輪の厚さが目立つところに目を向けると、ディオクレア大公の姿があった。
後見しているレオンの婚約披露なのだ。祝辞は彼にも等しくおくられているだろう。
ルカは大広間に入るまで、他愛なく会話を続けていたスーとリンが沈黙していることに気づく。
「リン殿? どうかしましたか、何か問題でも?」
防犯に関して何か気になる点でもあるのかとルカが声をかけると、リンはハッとしたようにルカを見た。
「いえ。王宮の輝きに目を奪われました」
ルカと目が合うと、リンは屈託のない少年のような顔で笑う。
「でも、殿下。気になることがあるので少し離れます」
ルカとルキアが緊張を高めると、リンが面白そうに笑った。
「本日は僕の配下の者も目を光らせています。王宮の警備は万全ですよ。ねぇ、ルキア殿」
「はい。ですが、気になることとは?」
「好奇心のようなものなのでご心配なく。すぐに戻ります」
リンはするりと人の輪をかいくぐって広間の奥へと進んだ。危機感のない様子だったが、やはり何を考えているのかは読めない。隠された左目の理由が気になるが、彼はスーの味方なのだ。
天女の呪縛がある限り、スーを守るという表面上の思惑はルカと一致するはずである。
目を惹くはずのサイオンの礼装なのに、まるで背景に溶け込むようにすぐに彼の姿を見失う。気配の殺し方にも技があると言いたげな身のこなしだった。
「叔父様は相変わらずですね。申し訳ありません、ルカ様」
スーにはリンの様子が奔放に見えたのか、戸惑った様子でルカを仰いだ。
「いいえ、スー。あなたの叔父には助けになってもらっています。彼がいると心強い」
「叔父様が? ルカ様のお役に立っているのであれば良かったです」
「殿下、スー様、こちらをどうぞ」
ルキアが二人に飲み物を差しだした。ルカのグラスはシャンパンのようだが、スーにはアルコール度のない柘榴の果汁をすすめている。三人はできるだけ目立たない壁際に移動したが、背後で感じていたざわざわとした喧騒が、ふいにすこし遠ざかった気がした。
ルキアが目配せをするのを見て、ルカは振り返る。厚い人の輪を引き連れるようにして、ディオクレオ大公がこちらへと歩み寄ってくる。
人々の視線を感じて、ルカは今まで感じたことがないような嫌悪感が胸にこみあげるのを感じた。スーに向けられる浅ましさの混じった好奇の目。
露出が少なく清楚に仕立てられたドレスだが、サイオンの意匠よりはるかに体の線が際立つ。
優美な形や引き絞られた腰の細さは隠しようもない。
じわりと嫉妬にも似た感情が浮かび上がる。
スーを誰の目にも触れさせてくない。婚約披露の時には思い描くこともなかった意識を片隅で感じていた。
ルカは自覚した狭量さを持て余しながら、そっと触れ合う距離までスーに歩み寄る。帝国式のドレスで強調された細い腰に手を回して引き寄せた。
「スー、私に身を寄せてください」
小声で伝えると、彼女は即時に魔性の王女を演じるという使命感に駆られたようだ。何の抵抗もなくぴったりと寄り添い、ルカの胸元に手を添えた。
完全になりきっているのか、見慣れた無邪気さは影をひそめ、蠱惑的にほほ笑んでいる。
皇太子を虜にする魔性を完璧に演出しているが、ルカはスーの意気込みに吹きだしそうになった。彼女に向けられる視線に感じていた嫌悪が幾分まぎれる。
ルカは近づいてくるディオクレアへ目を向けた。
「皇太子殿下、本日はレオン殿下の婚約により、皇家のさらなる繁栄を祝福いたします」
軍装ではないルカを元帥と呼ぶことを控え、大公は会釈した。スーと揃いの生地で仕立てた衣装にも、噂の上書きをする意図を含んでいる。夜の華からレオンへ連なる噂は、今日を機会に完全に封じておきたい。
帝国貴族が男女で衣装を合わせるのは、たいてい熱烈な恋仲か、または仲睦まじい夫妻だった。
ルカは目の前の大公にほほ笑んで見せる。
「この度のレオンの婚約は大公の尽力によるものかと思います」
「そのように評していただけあるのであれば光栄です」
ディオクレアと他愛無い会話を続けながら、ルカはふと彼の衣装の生地に施されている柄が家紋ではないことに気づいた。恰幅の良い体型を豪奢に飾る衣装は大公家らしい華やかさにあふれ、今日のために仕立てたのは間違いない。あえて家紋を外すことは帝国貴族としては珍しいことではないが、大公家ともなるとこのような場では衣装でも家柄を誇示するのがしきたりに近い風潮だった。
ルカとしては何か意図があるのかと勘ぐりたくなる。
彼の衣装に気をとられていると、ディオクレアが気遣うように身を屈めた。
「おや? スー王女、お顔の色が優れないようですが」
「そんなことは……、照明の加減ではないでしょうか」
スーはすぐに答えたが、ルカは胸に添えられた彼女の手が、つよく拳に握られていることに気づく。顔を見るとたしかに蒼白だった。
「スー?」
ルカが呼びかけると彼女はぎゅっとルカにしがみついて顔を隠した。まるで怯えるように体が小刻みに震えている。
「ご気分が悪いのですか? それとも、何か恐ろしいことでもございましたか?」
(恐ろしいこと?)
飛躍した問いかけに、ルカは大公の作為を感じたが、スーの様子は尋常ではない。全身から血の気がひいたように青ざめて震えているのだ。
「殿下、こちらへ」
ルキアも異変を悟ったらしく、すぐに大広間を出る道筋へと先導する。ルカは大公と周りに集った者に「すこし失礼します」と告げて、スーを抱き上げて踵を返した。
不穏なざわめきが大広間に満ちると、ディオクレアが大袈裟に声をあげた。
「私が力になれることがございましたら何なりとお申し付けください。何も恐れず、偽りなきお心で健やかにお過ごしになれるよう、必ずや良き方向へと取りはからいます」
背後で聞いたディオクレアの声に、ルカは血が逆流しそうな怒りを覚える。同時に、敵の策にはまっていたことに気づいた。
抱き上げたスーの顔は紙のように白く冷や汗がにじみだしている。依然として凍えるように体が震えていた。
たしかに何かに怯えているように見える。
「スー、大丈夫ですか?」
「申し訳ありません、ルカ様。急に貧血のようになって、とても、恐ろしくて……」
「恐ろしい?」
「はい。何がと言われると、よくわからないのですが。不安で……」
「とりあえず少し休みましょう」
「申し訳ありません」
彼女の小刻みな震えはおさまらず、呼吸も浅い。
大広間を出るとすぐに護衛がつく気配を感じた。ルキアに王宮の一室へと案内されながら、ルカはやりきれずに唇を噛む。
スーを襲った突然の不調。
警戒は万全で、何かを仕掛けられるはずはなかった。自分たちに隙があったとも思えない。
けれど、ディオクレアにはこの成り行きがわかっていたのだ。だからこそ、去り際に放たれた発言が意味をもつ。
皇太子と王女の不仲を決定づける布石。
二人の実情を知らない者たちには、くっきりと刻まれるだろう。
皇太子を恐れて、王女が意に沿わぬ婚姻に従っているという図式。
帝国の悪魔と奔放な夜の華。
ありもしない噂がもし真実なら。
たしかに冷徹な帝国の悪魔は、王女を許しはしないだろう。
恐怖による服従。
人々にとっては、それが真実に見えるにちがいない。




