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不老不死を手に入れた人類の中でなぜか、隣人だけは老いていた

作中にご高齢の方を悪く言う描写がありますが、決してその目的で書いたものではないということをご理解のほどよろしくお願いします。

「死ぬのが怖くないの?」

 私の質問に彼は爽やかな笑みを携えて答えた。

「ああ怖いよ。余命が近づくのを毎日感じているさ」

「ならどうして魂魄移植手術を受けないの?」

「……どうしてだろうねえ」

 彼は遠くの方を眺めながら、けれどその答えをしっかりと持っているような表情でただ頷いただけだった。

 ここ一世紀で最も偉大な発見はAIの発展でもAR技術の趨勢でもなく、人類による永遠の命の獲得である。

 魂には分子とか原子とかとは別の構成粒子が存在する、その発見が私たちの歴史を大きく変えた。

 三次元の物質ではない何か、高校生の私には理解できないけれど、とにかくすごいことなんだ。魂は四次元に在る、らしい。

 ことの発端はAIに人間と同等の意識を表出させる実験だ。自由意志の確認は、”命令に反くことができるか”である。けれど彼らは想像に反して、どうやってもロボットの域を出なかった。

 次にアフリカで人工脳みそに人格を移植する手術が行われた。記憶を引き継いだ人工脳みそは、けれどロボットの域を出ない。ここで再び脚光を浴びたのがマグドゥーガルの実験だった。

 今では珍しい縁側のある和風家屋。新緑彩る庭で私たちは日曜日の昼を堪能していた。

 ここは斉藤おじいちゃんの家であり、私の隣家だった。最近引っ越してきた彼の綺麗な庭に気を惹かれ、つまらない学校も休んでよく遊びにきていた。

 斉藤さんはいつも優しく縁側に置いてある対の座布団に招き入れてくれたが、絶対に家の中には入れてくれなかった。

「トイレ」

 そう言って彼は席を立ち、引き戸を開けて家の中に消えていく。何かをするたび重い息を吐きながら彼は動く。生きることそのものが重労働であるかのように。

 魂は21グラムである。『魂が生体から遊離したことをもって』におけるマグドゥーガルの主張は半分正しかった。間違っていたことは死んだら魂は消失するのではなく、エネルギーを失って四次元のものから三次元物質へと変化する、ということだったのだ。

 時代の流れは疎密波だ。一つ事実が発覚すれば科学の進歩はあっという間である。魂を見つけてから十年で私たちは魂魄移植手術を発明し、永遠の命を手に入れた。

 それから、数十年が経った。

 私は今の時代じゃ珍しいニューカマー。二千百二十年に誕生した五百人のうちの一人である。私たちはみんな都内に集められ共同生活を強いられている。たった一つの学校で和気藹々と勉学に励む。

 訳が無い。

 覚えることは山のようにあって、昔の総理大臣が義務教育二十年時代とか抜かしやがったから、私たちは制服を二十歳になるまで脱げない。今では外見で区別がつけられないから、ニューカマーは制服の着用が義務付けられているのだ。世間は狭いから溌溂とした肉体も解放できない。私は鬱憤が溜まってる。鬱憤が溜まっているのだ。

 だから私は斉藤さんの家に行く。斉藤さんは話のわかるご老人で、”清水瑠美”という名札のついた制服を脱ぎ、彼と同じ作務衣を着ても怒らないんだ。こうやっていつもと違う服に着替えるだけで、誰かに見つかったらという恐怖とワクワク感で私はいつもより少しだけ、大人になったような気分になれる。

「ただいま、今何時かな」

 斉藤さんは私と違って作務衣を着崩したりはしなかった。さらに七分袖だけれど、左腕を覆うような火傷の痕を隠すように腕にサポーターのようなものをつけていた。

「まだ三時くらいだよ」

「そうかい。おやつの時間だね」

 彼は奥間からせんべいの入ったお盆を持ってきた。それを二人の間に置いて彼は座る。

 座布団の上に座り直して一つ手に取ると,個装を破った。

 ぽたぽた焼と袋には書いていた。斉藤さんちに来ると大抵ぽたぽた焼か雪の宿だ。ついでに出てくる麦茶が最高にミスマッチで美味しい。生まれてまだ十五年だけれど懐かしい気分になるのはどうしてだろう?

「せんべい、好きなの?」

 聞くと彼は虚をつかれたような顔をし、それから上半身全体で揺らすように笑った。こういう笑いの時、それはだいたい自嘲であることを私は知っていた。

「老人はせんべいが好きなようだね。俺もどうしてかと思っていたけれど、口に入れた時簡単に噛めるからだと今気付いたよ」

 ばり、ばりというせんべいを喰む音だけが残る。老人は食べる時も大袈裟だ。喉を通すのにいちいち咳き込む。皺だらけの喉仏がぶるりと震えた。私はそれを感慨深く眺める。

 老いは貧困者の象徴となっていた。富豪はよりよい肉体と知能を持つ個体へと転生し、マジョリティはある程度のカスタムを施された五歳児になる。三十代になるかならないかくらいで私たちは魂魄移植手術(転生と呼ぶ人もいる)を考え始める。身体の不調を感じただけで転生する人もいるくらいだ。皺だらけの人は世捨て人か浮浪者くらいしかいない。

 斉藤さんはそのどちらでもなさそうだった。古風な家は広く一軒家、噂によれば一括払いで土地ごと買い取ったそうだ。いったいどれだけ稼げばそれが可能になるのか、私には想像もできない。

 私の視線に気づいた斉藤さんはバツが悪そうに頬を歪めた。

「うるさかったか、すまんな」

「ううん、全然! 気にしないでー」

 おじいちゃんはよく謝る。これもまた斉藤さんちに行かなければ一生知ることのできなかったことだ。よく謝るのはおじいちゃんと教室の隅っこにいる男子くらいだ。私はよく謝られる。けれど今気分が悪くないのは斉藤さんだからだろうか。

「……君は案外柔らかい子だね。俺が君くらいの頃は自分以外は全て鬱陶しく感じていたよ」

「ふうん」

 私はまったりと座布団の上で寝転がり彼の話を促した。少し着崩れて胸元が開く。ちらりと様子を伺えば、もちろん彼は一瞬たりとも私の胸に視線を伸ばさず、私の目だけを一直線に射抜いていた。

「思春期だよ。君が学校をサボってここにいるように、俺もまた思春期だったんだ。ついそういう態度がかっこいいと思っていたんだよ」

 彼の目が優しく細くなる。右手の甲に一筋入った傷痕をゆっくりと左手の指でなぞっていた。猫に引っ掻かれた傷痕だと彼は以前教えてくれた。その傷をなぞる時、彼は暖かな記憶を思い出している時だと、私は知っていた。

「当時好きな子がいてね。よくある話。ちらとやんちゃな男が好きだと聞いてから俺はそのようになったんだよ」

「可愛いじゃん」

 私はくすくす笑う。目の前のおじいちゃんにそういう時代があったなんてすぐには想像できなかった。

「恥ずかしい過去さ。俺は恵まれていたことに、好きなタイプと好きな相手は別ってその子に諭されてね。今となってはいい思い出だが、あれほど顔から火が出る思いをしたことがないね」

 ごろんと転がって仰向けになる。日差しが差し込んで額を照らした。葉っぱの影が目の当たりでちらつく。私たちは庭の外側を見ないよう庭を見ながら、たぶんお互い似たような感情に埋没していた。

「結婚……はしたの? その人と」

 私の言葉に彼は百面相が如く表情を見せた。老人は豊かだ。皺の少ない私にはない色を出すことができる。私はたぶん友達が転生し始めたら流れに乗って手術するだろうから、一生その顔を出すことはできない。

 老人は愛らしい。かつて日本人口の三分の一を占めたらしい彼らも今では探す方が苦労するんだけれど。

 斉藤さんは右手の傷跡を親指で抉るように撫でた。私はまだ、その仕草が何を表すのかを知らない。

「この傷をくれたミヨがいなくなるまでは俺も幸せだったよ」

 その表情を光が遮って見ることができなかった。どうしてか火傷のことが頭をよぎったけれど、私はやはり気にせず、「ふうん」と返した。とやかく問い詰めたって意味がない。私はこの時間が好きなんだ。おじいちゃんとの時間が、特別なんだ。


 二年後、私は今日も縁側に座っている。座布団は一枚しかない。彼にしてはあっけない最期で、私はその瞬間に立ち会った。こんにちでは遭遇することの稀なその瞬間に。身寄りのいない彼の世話をしていたのはロボットと私だけだった。

 斉藤さんは顔を白くさせ、目を開ける時間は一日の中で数分あればいい方だった。彼の意識が表出すれば、私はロボットが移植手術を催促し始めるのを蹴飛ばしてたくさんたくさん話しかけていた。一度だけ私も催促したことがあるのだ。死を予感した彼が、死を決意したと私に話してくれた時。

「俺はもうすぐ死ぬ。君には迷惑をかけるが、私を看取ってほしいんだ。頼めるかい」

 私のいかなる言葉も、彼は聞く耳を持たなかった。老人の悪い癖だ、耳が遠いことをいいことに聞かないふりをする。めんどくさくて可愛い癖。私はすぐに、手術を促すことを諦めた。彼から遺書を手渡されたものだから、その意思の強さに負けたのだ。

 そして彼は死んだ。死を予知したロボットが私を呼んだ。部屋に滑り込んだ時、彼は誰よりも優しい顔をしていた。

「ありがとう」

 それだけしっかりと言い切って、二度と目を開かなかった。ロボットは設定通り、死体を検査してから自分の仕事を始めた。月並みだけれど、どうせ寝てるだけじゃんって何度も思った。まさかこんなに幸せそうな顔をしている人が、死んでるわけないじゃんって。

 私は未だに泣いていない。漫画みたいに、ドラマのように、苦しみを目から吐き出せていない。お手伝いロボットたちとともに慰留品を片づけ、遺言の履行に忙しく、労働が思考を阻んでいた。

 彼の莫大な遺産はとある都道府県のとある街に寄付された。私がもらったのは、あの庭の綺麗な家だけだ。それ以外は全て受け取らなかった。私にとって彼との思い出はこの縁側だけだったから。

 遺言に従って動くうちに彼の仕事や人生に少しだけ触れた。彼はこの時代を築き上げたといってもいい、魂魄移植手術技術の考案メンバーだったのだ。

 私は未だに泣いていない。縁側で一人、寒空を見上げては寝転んでいる。縁側の、彼が座っていた場所辺りの木板を指でなぞる。そこだけ白くはげていた。彼は私がいない日も、毎日飽きずに同じ場所に座っていたのだ。彼はその時、誰と話していたのだろう?

 その瞬間つつと涙が流れ落ちる。そしてまた、彼が飼い猫のミヨにもらった傷を抉るように撫でた理由を悟ったのだった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。またの会える機会をお待ちしております。

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