05.
エヴァンス家と親交の深い方だけが招かれた晩餐会は、大規模なパーティー程ではなかったけれどとても賑やかに行われた。親交の深い、と言うと当然キャンベル家の方々もお越しになっていて、ノア様とエレナ様は並んで食事を楽しんでいる。わかっていた事ではあるけれど、二人が視界に映る度にじくじくと痛むこの胸はとても正直だ。
料理も出し終えてようやく落ち着いた裏方組の私は特にする事もなくなって、今日はもう休んで良いとの言葉に甘えて足早に会場を後にした。見て傷付くのなら、見ない事が一番だ。この心を守る方法を、私は他に知らないのだから。
「……メイド失格だわ、私」
「なんで?」
「ひっ……! あ、アレン様!?」
ただの独り言のはずだったのに、思いがけず返事が返ってきて小さく悲鳴を上げてしまった。けれどそんな私を気にも止めず、彼はマイペースに話し続ける。
「あっちはもう終わり?」
「ええ、もう私の仕事は終わりました。それよりアレン様の方こそ、こんな所にいらしてよろしいのですか?」
「んー、もう飽きたから。お腹もいっぱいだし」
「後でお叱りを受けても知りませんよ?」
主役である彼が会場を離れてこんな所にいるのもどうかと思うが、飽きたと言った彼がもうそこに戻る事はないだろうと言うのは私もよくわかっていたし、それ以上は何も言わなかった。それよりも今は早く一人になりたいのだ。なのに、次々と会話を繋げる彼がそれを許してくれそうにない。
「良いのか? 兄さんとエレナ、随分と楽しそうにしてたけど」
「良いも何も、私には関係のないことです」
「あーあ、素直じゃないなあ」
クスクスと笑い声を漏らす彼に苛立ちを覚えたのは、多少の八つ当たりもあったと思う。けれど、彼の大きな丸い瞳がこの痛む心の中を見透かすようにじっと見つめるから、私の気持ちまでバレている気がして怖かったのだ。なんて誤魔化して良いのかわからない。
「今日はもう休みますので、失礼してもよろしいでしょうか?」
「えー、せっかく帰ってきたっていうのにつれないな。俺、久しぶりにリディアのお茶飲みたいんだけど」
「……かしこまりました」
早く彼から離れたくて伝えたのに、結局こうなってしまったことに溜息が出そうになったけれど、グッと堪えて頭を下げる。とにかく今の私は一刻も早く彼から離れて一人になることが一番重要なのだ。だって、今の私はきっととても嫌な女の子だから。
レモンバームにミントを少しだけ入れたティーポットに熱いお湯を注ぐと、爽やかな香りがキッチンに広がる。このどうしようもないモヤモヤを取り払って欲しいと願って深く息を吸うと、胸いっぱいに広がった香りが先程までの嫌な私をほんの少しだけ潜ませた。
「いい香りだ」
「そうですね」
一人になる為にキッチンに来たはずなのに何故か彼は今も私の前に居て、テーブルを挟んだ向かい側で特に何をするわけでもなくただ紅茶が蒸らされているのを眺めている。部屋まで運ぶからと、やんわりと付いて来ないで欲しいと伝えたのに、何度言っても聞いてもらえなくてついには諦めたのだ。
「言葉を選ぶのは面倒だからはっきり聞いておきたいんだけど」
「……なんでしょうか?」
「リディアって兄さんのこと好きだよな?」
ティーカップに紅茶を注ぐ手が揺れて、カップの中が波を打つ。もしかして、とは思っていたけれど、予想していたよりもずっとストレートに聞かれると動揺してしまうのは仕方がなかった。なるべく悟られないように、何事もなかったようにと再び手を動かすと、ひたすら無表情を決め込む。
「主人として、ノア様のことは尊敬していますよ」
「模範解答か。そうじゃなくて、男としてって意味なんだけど」
「立場上そのような感情は持ち合わせておりません」
「よく言うよな、こんな紅茶淹れておいて。……まあ、認めないならそれはそれで良いんだけど」
一瞬つまらなそうにした彼だったが、すぐにヘラリと笑うと机に身を乗り出して距離を詰められた。淹れたばかりのティーカップは境界線を引くように彼と私の真ん中に置いてみたけれど、未だ表情が変わらない辺り、ほんの細やかな抵抗も彼には通じていないらしい。
「じゃあさ、俺のこと好きになってよ」
「……は?」
思いがけない彼からの言葉に、思考も動きも完全に止まってしまう。ちょっと待ってと言う暇もなく、着いていけない私を置いて彼は続ける。
「俺のこと好きになって、俺と付き合ってよ」
「……い、意味がわかりかねます」
「これ以上どう説明すればいいんだよ」
呆れ顔の彼が本気で言っているとは思えなかったけれど、これ以上からかわれるのはごめんだ。出来る限り真面目な顔で、しっかりと彼を見つめた。
「私はメイドですので、エヴァンス家の方々に対してそのような感情は持ちません」
「それは立場の話であって、リディアの気持ちじゃないだろ」
「大事なのは気持ちよりも立場です」
「それ、気持ちはそうじゃないって言ってるようなものだと思うけど?」
ぐっ、と奥歯を噛んで次の言葉は飲み込んだ。このままじゃ私は何を言うか自分でもわからない。何を考えているのか涼しい顔をして紅茶を楽しんでいる彼が、私が知るよりもずっと意地が悪くなったようだと言うのは確かだけれど。
とにかく、今日の私は気が立っている。些細な事でこんなに気持ちを乱してしまうようでは、これ以上ここに居たって良いことは何もない。さっきの話はなかった事にしよう。一人でそう結論を付けると、さっさと茶器を片付けて彼に頭を下げた。
「それでは、今夜はこれで失礼しますね」
「あぁ、おやすみ。お茶ありがとう」
「いえ。それでは、おやすみなさいませ」
「あ、さっきの話、考えておいてくれよ?」
最後の言葉は聞こえなかった振りをして、さっさと部屋を後にした。
明日になれば、きっといつも通りに出来る。そう自分に言い聞かせて、1秒でも早く今日が終わる事を願った。