04.
「リディア! この食器をテーブルに並べてきてちょうだい!」
「はいっ!」
「それが終わったらドリンクの確認をしてきてもらえる? これ、リストだから!」
「かしこまりましたっ!」
パタパタと忙しない足音がそこかしこに響く。屋敷中のメイドが総動員して取り掛かる今、私もノア様のお側を離れてこの晩餐会のお手伝いに駆り出されていた。何と言っても今日は特別な日なのだ。
「一年ぶりかしら、アレン様がお戻りになられるのは」
「そうねえ……、結局留学中は一度もお戻りになられなかったし。あちらはよっぽど居心地が宜しかったのかしら?」
並べた食器の枚数を数えながら、隣でテーブルセッティングをする先輩達の会話に耳を傾ける。彼女達の言うアレン様とは、アレン・エヴァンス様。エヴァンス家次男でノア様の弟だ。私と同い年のアレン様は隣国に留学されていたのだけれど、一年間の留学期間を終えて本日帰国される。その帰国パーティーに向け、今こうして私達は働いているというわけだ。
「ドリンクの確認に行って参ります!」
「ええ、お願いね!」
ダイニングルームから離れて一人になると先程までの騒がしさも幾らか落ち着いて、まだ仕事の途中ではあるもののほんの少しだけ息がつけた。普段はノア様の側でお世話をしている私は、あんな風に慌ただしい場所には慣れていないのだ。
「一年ぶりか……アレン様、お元気かしら」
冷えたシャンパンとドリンクリストに記されている数字を照らし合わせながら思い浮かべるのは、やはり今日の主役の事だ。彼とは同い年という事もあり、時間が合えばお喋りをする事も多かった。私が読んだ本の事、彼の学校での出来事、そんな他愛ない話ばかりだったけれど、一緒に過ごす時間はいつだって楽しかった。線が細くて柔らかい雰囲気のアレン様は異性というよりも女の子の友達に近いような感覚だった事をよく覚えている。
「お会いするの、楽しみだな……」
「へえ、それって俺のこと?」
「きゃああああ!」
「うるさっ……」
突然掛けられた声と、背後から絡められた筋肉質な腕。不審者だ、と頭で考えるよりも先に出た情けない程の大声のおかげで、私を拘束した腕はあっさりと離れていった。心臓はばくばくとうるさいけれど、振り返って背後の男性を精一杯睨み付け、一歩後ろへ下がった。何故私はここに自分一人きりだと思ったんだろう、完全に油断していた。
「リディ!? 今叫び声が聞こえたけど一体何が……って、アレン?」
「やあ、ただいま兄さん」
どこからやって来たのか、私と目の前の男性の間に入ったノア様の言葉に耳を疑う。アレン様? この人が?
「お前、彼女に何かしたのか?」
「なーんにも。ちょっと驚かせてやろうと思って悪戯しただけ」
「こら、あんまり彼女をいじめると怒るぞ」
どうにも信じられず背中越しにそっと姿を覗き見ると、アレン様だと言われた男性は面倒そうに片耳を塞いでいた。そんなバカな、アレン様はもう少し背だって低くて、髪も短くて、ふわふわした柔らかいお方だった筈だ。
「嘘……、アレン様はもっと細くて、身長も私とこんなに変わらなかったです」
「は? あのな、俺達くらいの年頃なら一年経てば背だって伸びるし筋肉もつくだろ」
「で、でも髪はもっと短かったです!」
「ああ、これ? あっちで流行ってるんだ。似合うだろ?」
肩に掛かる程の髪を指先でいじりながら、得意気に笑う彼をもう一度凝視する。すっかり変わってしまったけれど、切れ長の猫のような瞳とか、スッと通った鼻筋だとか、よく見れば面影は残っている。信じられないんじゃなくて、信じたくないのかもしれない。
「俺は先月向こうで会ったけど、リディは一年ぶりだもんなあ。驚くのも当たり前だ。俺だって最初に見た時は驚いたしね」
「見た目どころか口調も性格も変わってます」
「異文化交流してきたからな」
「都会に染まってしまわれたのですね……」
「なんだよそれ、相変わらずリディアは面白いなあ」
くしゃりと私の髪を撫でて彼は笑う。このクセのある撫で方は、昔庭に迷い込んだ猫を構っていた時の撫で方だ。笑った時に片眉が上がる所だって、あの時のアレン様のまま。さっきまであんなに不信感でいっぱいだったのに、この笑顔を見るとすとんと心にはまるように納得した。
「本当の本当にアレン様なんですね」
「だから、さっきからずっとそう言ってるだろ?」
「ええ、そうでした。では……」
こほんと一つ咳払いをして姿勢を正すと、丁寧に頭を下げた。顔を上げたら、あとはとびきりの笑顔を一つ。
「おかえりなさいませ、アレン様」
「ああ、ただいま」
「リディア、あなたいつまでドリンクの確認をしてるの? 早く戻ってきてちょうだい!」
和やかな空気を切り裂くように、メイド長の声が響いた。あまりの事にすっかり忘れていたけれど、私はまだ仕事中だ。
「いけない! 私、もう戻りますね」
「ああ、晩餐会の準備だっけ? 頑張って」
「俺の帰国パーティーか。適当で良いよ、適当で」
「そういう訳にはいきません、折角アレン様がお戻りになられたんですもの。一生懸命準備して参ります!」
軽く頭を下げて二人に挨拶をすると、部屋を後にする。見た目は少々変わってしまったけれど、アレン様が戻ってきた事に変わりはない。素敵なパーティーになるようにと気合いを一つ入れ直して、不機嫌なメイド長の待つダイニングルームへと駆けだした。