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02.

 木々の合間をすり抜けて、初夏の少し冷たい風が届いた。草の匂いに交じった少し甘い香水の香りへ誘われるように読んでいた本から視線を移すと、隣ではノア様が気持ちよさそうに眠っていた。吸い込まれるようなブルーの瞳は閉じられて、長い睫が影を落とす。金色の髪が風になびくと、薄い唇は無防備にほんの少しだけ開かれて……。


「ここが楽園……?」


 なんて思わず錯覚してしまいそうになるけれど、ここはエヴァンス家の庭でノア様はお昼寝中、私は何かあった時にーー主に彼のサボりに痺れを切らした部下の方が探しに来た時だーーノア様を起こす為に、ここで待機するよう命じられている。命じられているとはいえ、例えば何かあった時にここまで彼を起こしに来れば良いものをわざわざ隣で座って待つ辺り、私も同罪なのだけれど。それでもこの至福の時間には抗えなくて、言い付け通りにという名目で彼と同じ時間を過ごしていた。

 ひとしきり彼の寝顔を堪能してーー本当はあと3時間は眺めていられるだろうけれど、それを言い出すとキリがないーー視線を本のページに戻すと、小説の中では主人公の想い人である男性が愛を伝えていた。身分差の恋に様々な困難が立ちはだかる中、障害を乗り越えて結ばれる男女を描いたこの恋物語は、許されない愛だとわかっていても真っ直ぐな想いを貫く主人公の想い人の男性が素敵なのだと今若い女性の間で流行っているらしい。


“君が何よりも大切なんだ”

“他の男になんて、絶対に渡さない”

“どんな悲しい事からも、君を守るよ”


 物語特有の甘い甘いセリフを指先で辿ると、ほぅと息が漏れた。愛した人に愛されるなんて、一体どれ程幸せな事なんだろう。もしもノア様からこんなに素敵な言葉をもらったなら、きっと幸せ過ぎて空だって飛べる気がした。


「ノア様……」


 心地良い風に揺れる彼の髪に指先で触れると、やわらかさとくすぐったさに胸の奥の方が暖かくなった。たったそれだけの事でこんなに幸せになれるのに、愛されたりなんてしたら……空を飛ぶどころか、そのまま天に召されてもおかしくないだろう。


「ねえ、ノア様。あなたは私のすべてです。あなた以上に大切な人なんて、この世界のどこにも存在しないの。あなたがいつも幸せでいられるように、ずっと……ずっと、見守っています」


 セリフをなぞるように、けれど私の心そのままの言葉を紡ぐ。不思議と恥ずかしさはなかった。だって、決して届く事はないのだから。



***



 茜色に染まっていた瞼の裏に影が差して、何かが頬を撫でる感触がした。この感触を私はよく知っている。暖かくて、大きくて、少し骨張った、私の大好きな……。


「ん……っ」

「あ、起きた」

「え……?」


 目の前には優しく笑うノア様がいる。重い瞼を擦って一つ、二つ、三つ数えると、私はようやく自分が眠ってしまっていた事に気が付いた。


「も、もももも申し訳ございません……!」

「あははっ! そんなに慌てなくて大丈夫だよ」

「ですがっ! 私、眠ってしまって……!」

「いいよ、リディの可愛い寝顔が見れたから」


 そう言って片目を閉じて見せた彼の笑顔に、頬が熱くなるのがわかる。たまらなくなって俯くと、彼の手元には先程まで私が読んでいた本が持たれていた。


「ノア様、それ……」

「あぁ、少し暇だったから読ませてもらってたんだ。これ、今女の子の中で流行ってるやつだろ? リディもこういうのが好き?」 

「そうですね、気持ちを真っ直ぐに伝えるのは素敵な事だと思います」

「ふーん……。はい、これ返すね」


 片手でパラパラとページを捲りながら目を細めた彼は、そのまま本を閉じて私の手に乗せた。指先が一瞬だけ触れあって、すぐに引こうとした私の手を彼の大きな手が包み込む。


「可愛い可愛いリディア、君が世界で一番大切だよ」

「……っ?!」

「他の奴になんて絶対に渡さない。君は俺が守るから」

「あ、あの……っ!」

「愛してるよ、リディ」

「ノ、ノア様……」

「……なんて、さっきの本とどっちが良かった?」

「……え?」


 先程までの真剣な眼差しから一転し、悪戯っぽく笑う彼に思わず間抜けな声が漏れた。もしかして、今のセリフって……。


「ノア様っ! からかいましたね?!」

「さあ、何の事かな? さーてとっ、そろそろ仕事に戻ろうか」

「そうですね……」


 ぐっと伸びをして立ち上がった彼の背中を追いかけるように、スカートの裾を少し叩いて立ち上がる。1度高鳴ってしまった胸の鼓動は中々落ち着いてくれなくて、せめて彼に気付かれないようにとこっそり深呼吸をした。

 嘘でも、冗談でも良かった。ただ、彼のブルーの瞳が真っ直ぐに私を映して、少し低くて心地良い声が私の名前を呼んで、その薄い唇から世界中の言葉をかき集めたって勝てないくらいの甘い言葉を与えられたのだ。まるで羽でも生えたようにどんどんと軽くなる体を弾ませて、紅く染まった頬を隠す為に彼より先に屋敷へと駆けだして行った。

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